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| 校名 = 宮崎県立日南高等学校 |
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2022年10月6日 (木) 20:54時点における版
宮崎県立日南高等学校 | |
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北緯31度37分37秒 東経131度21分58.1秒 / 北緯31.62694度 東経131.366139度座標: 北緯31度37分37秒 東経131度21分58.1秒 / 北緯31.62694度 東経131.366139度 | |
過去の名称 |
宮崎県立飫肥中学校 宮崎県立飫肥高等学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 宮崎県 |
併合学校 |
宮崎県立飫肥高等女学校 宮崎県立吾田高等学校 |
校訓 | EXCELSIOR(エクセルショー) |
設立年月日 | 1920年(大正10年) |
共学・別学 | 男女共学 |
課程 | 全日制課程 |
単位制・学年制 | 学年制 |
設置学科 | 普通科 |
学科内専門コース | 探究科学コース |
学期 | 3学期制 |
学校コード | D145220460078 |
高校コード | 45125J |
所在地 | 〒889-2533 |
宮崎県日南市大字星倉5800 | |
外部リンク | 公式ウェブサイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
宮崎県立日南高等学校(みやざきけんりつ にちなんこうとうがっこう)は、宮崎県日南市大字星倉に所在する公立の高等学校。
概要
- 歴史
- 1918年(大正7年)創立の高等女学校「宮崎県立飫肥高等女学校」と、1920年(大正9年)創立の旧制中学校「宮崎県立飫肥中学校」を前身とする。1948年(昭和23年)の学制改革で、両校が統合され新制高等学校「宮崎県立飫肥高等学校」が発足。現校名になったのは1950年(昭和25年)。旧制中学校の創立した1920年(大正9年)を創立年としており、2020年創立100周年を迎えた。
- 校訓
- 「EXCELSIOR」(エクセルショー)
- 校章
- 海の波を図案化したものを背景にして、中央に「高」の文字を置いている。
- 校歌
- 作詞は矢野不二男、作曲は園山民平による。歌詞は3番まであり、各番に校名の「日南」と校訓の「エクセルショー」が登場する。
- 同窓会
- 「黒潮同窓会」と称している。
沿革
- 旧制中学校時代
- 1920年(大正10年)2月 - 「宮崎県立飫肥中学校」(旧制中学校)が開校。初代校長に山本耕造が就任。
- 定員を200名、入学資格を尋常小学校を修了した12歳以上の男子、修業年限を5年(現在の中1から高2に相当)とする。
- 1922年(大正12年)
- 1月 - 南那珂郡吾田村に移転。
- 4月 - 本校と武道場が完成。
- 1923年(大正13年)1月 - 普通教室が完成。
- 1930年(昭和5年)10月 - 図書館が完成。
- 1936年(昭和11年)11月 - 温室が完成。
- 1941年(昭和16年)
- 1944年(昭和19年)4月 - 教育ニ関スル戦時非常措置方策により、中等教育令施行前に入学した在校生(新3・4年生)にも修業年限4年が適用されることとなった。
- 1946年(昭和21年)4月 - 修業年限が5年となる(ただし4年修了時点で卒業することもできた)。
- 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革(六・三制の実施)が行われる。
- 旧制中学校の募集を停止。
- 新制中学校を併設し(以下・併設中学校)、旧制中学校1・2年修了者を新制中学校2・3年生として収容。
- 併設中学校は経過措置としてあくまで暫定的に設置されたため、新たに生徒募集は行われず、在校生が2・3年生のみの中学校であった。
- 旧制中学校3・4年修了者はそのまま旧制中学校4・5年生として在籍(ただし4年修了時点で卒業することもできた)。
- 高等女学校時代
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- 1918年(大正7年)6月 - 飫肥町立飫肥高等女学校が開校。
- 1919年(大正8年)- 組合立飫肥高等女学校となる。
- 1924年(大正13年)- 南那珂十六ケ町村組合飫肥高等女学校となる。
- 1925年(大正14年)- 県立に移管し、宮崎県飫肥高等女学校となる。
- 1928年(昭和3年)- 宮崎県立飫肥高等女学校と改称。
- 1946年(昭和21年)4月 - 修業年限が5年となる(ただし4年修了時点で卒業することもできた)。
- 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革(六・三制の実施)が行われる。
- 高等女学校の募集を停止。
- 新制中学校を併設し(以下・併設中学校)、高等女学校1・2年修了者を新制中学校2・3年生として収容。
- 併設中学校は経過措置としてあくまで暫定的に設置されたため、新たに生徒募集は行われず、在校生が2・3年生のみの中学校であった。
- 高等女学校3・4年修了者はそのまま高等女学校4・5年生として在籍(ただし4年修了時点で卒業することもできた)。
- 新制高等学校
- 1948年(昭和23年)4月1日 - 学制改革により、飫肥中学校と飫肥高等女学校の2校が統合され、新制高等学校「宮崎県立飫肥高等学校」が発足。
- 1949年(昭和24年)
- 3月31日 - 併設中学校を廃止。
- 4月1日 - 公立高等学校の再編により、宮崎県立吾田高等学校を統合し、農業課程(吾田校舎)とする。南郷分校が移管される。
- 1950年(昭和25年)
- 1月1日 - 日南市の発足により、「宮崎県立日南高等学校」(現校名)に改称。
- 4月1日 - 商業課程(後の商業科)と家庭課程(後の家政科)を新設。水産課程が分離し宮崎県立水産高等学校として独立。
- 1951年(昭和26年)
- 1月 - 新図書館が完成。
- 6月 - 農業課程が分離し、宮崎県立日南農林高等学校として独立。同時に南郷分校[1]を移管。
- 1954年(昭和29年)9月 - 台風により体育館が全壊。
- 1955年(昭和30年)- 商業科教室が完成。
- 1956年(昭和31年)10月 - 新体育館が完成。
- 1958年(昭和33年)6月 - 鉄筋コンクリート造の本館が完成。
- 1962年(昭和37年)- 鉄筋コンクリート造の校舎を増築。
- 1963年(昭和38年)
- 2月 - 校旗を制定。
- 3月 - プールが完成。
- 1970年(昭和45年)4月1日 - 宮崎県立日南振徳商業高等学校の新設に伴い、商業科の募集を停止。
- 1972年(昭和47年)3月31日 - 商業科を廃止。
- 1978年(昭和53年)3月 - 新体育館が完成。
- 1980年(昭和55年)4月 - 新管理棟が完成。旧管理棟を部室に改築。
- 1988年(昭和63年)3月 - EXCELSIOR(校訓)石碑を建立。
- 1991年(平成3年)3月 - 新弓道場が完成。
- 1992年(平成4年)5月 - セミナーハウス(研修施設)が完成。
- 1996年(平成8年)
- 4月 - 家政科の募集を停止。
- 9月 - 運動場の大規模改修工事を完了。
- 1998年(平成10年)3月31日 - 家政科を廃止。
- 2013年(平成25年)4月1日 - 普通科に探究科学コースを新設。
- 2014年(平成26年)3月 - 太陽光パネルを設置。
- 2020年(令和2年)創立100周年を迎える
学校行事
- 9月 - エクセルシア祭(体育の部・文化の部)
- 10月 - 無限会(強歩)
部活動
- 運動部
- 野球部
- 春のセンバツ甲子園大会に2回出場(1963年(昭和38年)・1964年(昭和39年))
- 夏の甲子園大会に2回出場(1975年(昭和50年)・1986年(昭和61年))
- 陸上部
- バスケットボール部
- バレーボール部
- ソフトテニス部
- サッカー部
- バドミントン部
- 弓道部
- 硬式テニス部
- 黒潮部(卓球部、ラグビー部)
- 文化部
著名な出身者
- 鬼束ちひろ - シンガーソングライター
- MisaChi(久嶋美さち) - シンガー
- 丸山昇一 - 脚本家
- 紗池晃久[2] - 漫画家
- 外山斎 - 元参議院議員
- 髙橋透 - 日南市長
- 北川昌典 - 元衆議院議員、元日南市長
- 谷口義幸 - 元日南市長
- 西島英利 - 医師、元参議院議員
- 崎村忠士 - 元シナネンホールディングス社長、全国LPガス協会副会長
- DJ POCKY(本名:坂元誠一) - 九州地方で活躍しているディスクジョッキー、元エフエム宮崎アナウンサー
- 山田忠男 - 元プロ野球選手
- 甲斐和雄 - 元プロ野球選手
- 佐藤和史 - 元プロ野球選手
- ケムナブラッド誠 - プロ野球選手、広島東洋カープ
- 榎木田朱美 - テレビ宮崎アナウンサー
アクセス
- 最寄りの鉄道駅
- 最寄りのバス停
- 宮崎交通 「飫肥駅」バス停
- 最寄りの幹線道路
- 国道222号・宮崎県道432号元狩倉日南線「星倉一丁目」交差点