「愛知県立刈谷高等学校」の版間の差分
編集の要約なし |
m Bot作業依頼: 学校インフォボックステンプレート統合に伴う変更 (Template:Infobox 日本の学校) - log |
||
1行目: | 1行目: | ||
{{日本の |
{{Infobox 日本の学校 |
||
|校名=愛知県立刈谷高等学校 |
|校名=愛知県立刈谷高等学校 |
||
|画像=[[File:Aichi Prefectural Kariya High School ac (2).jpg|250px]] |
|画像=[[File:Aichi Prefectural Kariya High School ac (2).jpg|250px]] |
2022年10月6日 (木) 23:25時点における版
愛知県立刈谷高等学校 | |
---|---|
北緯34度59分2.25秒 東経136度59分53.76秒 / 北緯34.9839583度 東経136.9982667度座標: 北緯34度59分2.25秒 東経136度59分53.76秒 / 北緯34.9839583度 東経136.9982667度 | |
過去の名称 |
愛知県立第八中学校 愛知県刈谷中学校 愛知県立刈谷南高等学校 愛知県立刈谷高等学校南校舎 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 愛知県 |
学区 | 三河群A |
校訓 | 質実剛健 |
設立年月日 | 1919年(大正8年)4月 |
共学・別学 | 男女共学 |
課程 | 全日制課程 |
単位制・学年制 | 学年制 |
設置学科 | 普通科 |
学校コード | D123210001017 |
高校コード | 23176C |
所在地 | 〒448-8504 |
外部リンク | 刈谷高校ウェブサイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
愛知県立刈谷高等学校(あいちけんりつ かりやこうとうがっこう, Aicihi Prefectural Kariya High School)は、愛知県刈谷市寿町に所在する県立高等学校。略称は刈高(かりこう)。
概要
1919年(大正8年)に設立された愛知県立第八中学校を前身とし、100年以上の歴史を有する。東京帝国大学卒の初代校長・羽生隆は「イートンに学べ。東洋のイートンたれ」と、英国の名門パブリックスクールであるイートン校をモデルとした学校運営を行った。このため、野球を禁じてサッカーとマラソンを校技とし、生徒用の寄宿舎が同校の敷地内(現在の校舎北側のテニスコート、ハンドボールコートのあたり)に整備された(現在はない)。1988年(昭和63年)以来、イートン校と正式に交換留学を行っている[1]。
大学入試センター試験の会場に利用されることがある。
歴史
旧制中学校・新制高等学校(男子校)時代
- 1918年(大正7年)11月 - 中学校の設立が認可される。
- 1919年(大正8年)4月 - 愛知県立第八中学校として開校。
- 1922年(大正11年)5月1日 - 愛知県刈谷中学校に改称。
- 1948年(昭和23年)
- 4月1日 - 学制改革により旧制中学校が廃止され、新制高等学校愛知県立刈谷南高等学校(男子校)が発足。
新制高等学校(男女共学校)時代
- 1948年(昭和23年)
- 10月1日 - 公立高校の再編により、愛知県立刈谷北高等学校(旧・高等女学校、女子校)と統合され、愛知県立刈谷高等学校に改称。
- 両校の校舎は北校舎(女子部)、南校舎(男子部)として使用される。
- 10月1日 - 公立高校の再編により、愛知県立刈谷北高等学校(旧・高等女学校、女子校)と統合され、愛知県立刈谷高等学校に改称。
- 1949年(昭和24年)
- 4月1日 - 高校三原則に基づく公立高校の再編が行われる。
- 通常課程(普通課程・商業課程)と夜間課程(普通課程)及び別科を設置。
- 男女混合の学級を編成し、男女共学を実施。
- 学区制を実施。
- 10月 - 知立分校が愛知県立岡崎高等学校より移管される。
- 4月1日 - 高校三原則に基づく公立高校の再編が行われる。
- 1950年(昭和25年)
- 4月 - 東浦分校を設置。
- 6月 - 新校歌を制定。
- 1951年(昭和26年)4月1日 - 愛知県立刈谷商業家庭高等学校の新設により、商業課程を同校に移管。普通科のみとなる。
- 1953年(昭和28年)2月 - 新校旗を制定。
- 1958年(昭和33年)4月1日 - 知立分校が分離し、愛知県立知立高等学校として独立。
- 1969年(昭和44年)4月1日 - 愛知県立刈谷東高等学校の新設により、夜間課程を同校に移管。
- 1973年(昭和48年)4月1日 - 東浦分校が分離し、愛知県立東浦高等学校として独立。学校群制度の導入により、刈谷北高校と刈谷学校群を組む。
- 1988年(昭和63年)- 英国のイートン校との交換留学を開始。
- 1989年(平成元年)4月 - 学校群制度を廃止し、複合選抜入試制度を開始。三河2群Aグループに属する。
- 2011年(平成23年) - 文部科学省 よりスーパーサイエンスハイスクール(SSH)の指定を受ける。
- 2016年(平成28年) - 文部科学省 よりスーパーサイエンスハイスクール(SSH)の指定を受け、第二期SSH事業を開始する。
- 2017年(平成29年) - 正門が登録有形文化財(建造物)に登録される[2]。
- 2018年(平成30年) - 創立100周年を迎え、「創立100周年記念事業」が行われた[3]。
刈高祭
刈谷高校の生徒全員が参加する学校祭が「刈高祭」である。3年1組・2年1組・1年1組で「1組団」、3年2組・2年2組・1年2組で「2組団」…という具合に学年を組番ごとに縦割り団を形成し、その団同士の成績で優劣を競い合う。各団はそれぞれテーマになる色とモチーフを決め、団の名前も考える(例:蒼迅団、極煌団など)。
刈高祭は「合唱祭」「文化祭」「体育祭」の3つに分けられ、3日間に渡って行われる。生徒は後述する「応援団」「合唱団」「デコレーション」「クラス展示」をそれぞれ1つ選択し、指定された期間にてその練習・作業に取り組む。
- 合唱祭 - 刈谷市総合文化センターにて行われ、合唱団による発表が行われる。また、団の発表の後に合唱部による発表がある。
- 文化祭 - 校舎内にて行われ、クラス展示の発表が行われる。部活や有志の発表もある。
- 体育祭 - 刈谷市総合運動公園のウェーブスタジアムにて行われ、各個人が各競技に参加し、応援団の発表(応援合戦)も行われる。
このように刈谷市の設備を活用して刈高祭は行われる。なお体育祭は、校舎が新しくなる以前は校庭にて観客席の台を設置して行われていたが、2015年頃に校舎が新しくなる際にプレハブ校舎が校庭に設置されたことを機に刈谷市総合運動公園で行われるようになった[要出典]。また、合唱や応援合戦の様子を収録したDVDが毎年発行されている(2,000円)。
生徒が選択する「応援団」「合唱団」「デコレーション」「クラス展示」について説明する。
- 応援団 - 体育祭における花形競技である応援合戦を行う。学ランに団の色のタスキ、ハチマキを着用し太鼓に合わせ演舞を行い、声の大きさ、演舞のキレの優劣を競う。ところどころで扇子を使用する。刈高100周年ならびに平成最後の体育祭では、白団(皐麗団)が九尾をモチーフにし優勝を飾った。その評判はとても高く、地元のケーブルテレビ局により中継されることもあった。西三河地域の中学、高校は上記のDVDを見て応援合戦の参考にすることも多く、なかにはまるまる真似をするところもある。卒業後もこの「応援合戦」をしたいと考えるものが多く、「青春応援団我無沙羅」が2003年に設立された。
- 合唱団 - 課題曲、自由曲を1曲ずつ歌い、その優劣を競う。
- クラス展示 - 通称「クラ展」。いわゆる普通の高校の文化祭と同じである。
- デコレーション - 大きな無地の旗に団の色、動物を基にしたイラストを描き上げ、団旗を作る。応援団の使用する扇子に色を付けたり団共通のTシャツのデザインをしたりもする。
部活動
運動部
- サッカー部→詳細は「刈谷市のスポーツ § 「赤だすき」刈谷高校」を参照
- 野球部
- これまで1978年の第50回選抜高等学校野球大会(甲子園)に出場しており、近年でも2008年夏の高校野球選手権大会東愛知大会では準決勝、2009年夏の高校野球選手権大会愛知大会では決勝に進出している。
- 陸上部
- 新体操部
- 剣道部
- 弓道部
- 卓球部
- 水泳部
- 最近はリレーで東海大会出場などの成績を収めている。
- ソフトテニス部
- 硬式テニス部
- バレーボール部
- ハンドボール部
- バスケットボール部
- バドミントン部
文化部
- 演劇部→詳細は「全国高等学校演劇大会」を参照
- 中部日本高等学校演劇連盟に所属しており、これまでに愛知県大会に11度、中部大会(中部地区約300校中17校が進出)に2009年度、2011年度、2012年度、2013年度の4度出場している。また、脚本から演出まで、全て生徒だけで作り上げている。
- 吹奏楽
- 囲碁将棋部
- 合唱部
- 入学式や刈高祭の合唱祭、各種大会、地域行事等で発表を行う[4]。2018年、愛知県ヴォーカル・アンサンブルコンテスト銀賞および銅賞。2017年、全国学校音楽コンクール高校生の部、銅賞。
- 美術部
- 写真部
- 放送部
- 最近成績は著しく、全国大会に出場するほどである。
- 茶華道部
- 2019年にイートン校の生徒と交流会を行った。
- 文学研究部
- 月に一度位の頻度で合同部誌「くちなし」を発行している。
- 漫画研究部
- 月に一度位の頻度で合同部誌「くちなし」を発行している。
- SS部(SuperScience部)
著名な卒業生
- 石川忠司(豊田自動織機会長)
- 大川恵子(元女優、里見浩太朗と同期)
- 大川立樹(フジテレビアナウンサー)
- 太田圭祐(サッカー選手、ロート・ヴァイス・アーレン)
- 太田幸夫(多摩美術大学デザイン学科 教授、ピクトグラムデザイン、「非常口」を世界共通デザインにした)
- 大野耐一(元トヨタ自動車副社長、「トヨタ生産方式」の考案者)
- 大山昌宏(政治家、衆議院議員)
- 加藤謙一(宇都宮大学 教育学部 准教授、カリキュラム開発学)
- 加藤東洋(名古屋グランパスエイト社長)
- 加藤六美(東京工業大学学長、人事官、国立大学協会会長、日本建築学会会長)
- 河原温(美術家、「概念芸術」の第一人者)
- 河本春男(ユーハイム元社長)
- 金原淑郎(元トヨタ自動車副社長、元自動車技術会会長)
- 越尾圭(小説家)
- 後藤繁雄(名古屋大学 名誉教授、分子反応プロセス)
- 小平雄希(NUMBER VOGEL、ドラム)
- 小山勝二(京都大学大学院 理学研究科 教授、宇宙物理学)
- 日高義樹(国際ジャーナリスト、元NHKワシントン支局長、テレビ東京「日高義樹のワシントン・リポート」キャスター)
- 酒井雄二(歌手ゴスペラーズ、NHK紅白歌合戦に6回出場、NHK俳句講座ナレーター)
- 宍戸昌夫(横浜市立大学医学部名誉教授)
- 杉野正博(元LIXILグループ社長、元INAX社長)
- 鈴木武(元トヨタファイナンシャルサービス社長)
- 鈴木直人(千葉大学 客員教授、都市環境工学教育研究領域)
- 鈴原あいみ(タレント・モデル、ミスインターナショナル日本代表候補)
- 高野鎮雄(日本ビクター元副社長、「VHSの父」)
- 高橋英辰(サッカー日本代表元監督 1957年、1960年から1962年)
- 多和田眞(名古屋大学大学院経済学研究科 教授、国際経済学)
- 竹内芳美(大阪大学大学院工学研究科 教授、生産加工システム)
- 竹中登一(アステラス製薬社長、日本製薬団体連合会会長、東京大学大学院薬学系研究科特任教授、紫綬褒章)
- 竹中良則(政治家、刈谷市長)
- 田中義克(トヨタ自動車北海道社長、北海道立総合研究機構理事長、北海道経済連合会副会長)
- 都築譲(政治家、旧・一色町長)
- 天白松嵐(画家、工芸家、染色家)
- 外山滋比古(お茶の水女子大学名誉教授、英文学者、エッセイスト、国語入試問題頻出著者、ベストセラー「思考の整理学(ちくま文庫)」の著者。「全日本家庭教育研究会」総裁。)
- 内藤誠(映画監督)
- 永田雅宜(京都大学名誉教授、代数幾何学、フィールズ賞受賞の日本人3人の内、広中平祐、森重文に博士号を授与した)
- 新美智秀(元名古屋大学工学部長、元日本機械学会流体工学部門長)
- 禰冝田政信(碧南市長)
- 服部九二雄(鳥取大学 教授、コンクリート工学)
- 兵藤友博(立命館大学経営学部 教授、現代技術論、科学技術史)
- 広瀬襄(映画監督)
- 松尾晃雅(野球選手・グリーンビル・ドライブ(ボストン・レッドソックス傘下1A)、投手)
- 美濃部正(元日本海軍少佐・元航空自衛隊空将、芙蓉部隊の指揮官で特攻作戦に反対し夜襲部隊として運用させた)
- 宮崎青爾(岐阜大学 名誉教授、医学)
- 武藤芳照(東京大学副学長、教育学部長、東京大学大学院教育学研究科 教授、整形外科・身体教育学)
- 村瀬洋(元名古屋大学情報学部長、紫綬褒章、前島密賞、刈高26回生)[7][8]
- 本村伸子(政治家、日本共産党衆議院議員)
- 横井明(元豊田自動織機会長、元トヨタ自動車副社長、元中部経済連合会副会長)
- 牛田多加志(刈高26回生、東京大学大学院 工学系研究科 教授)[7]
進学状況
2020年(令和2年)3月において、国公立大学合格者は計283名であった。東京大学7名、京都大学13名、名古屋大学は56名、旧帝一工の合計は計106名であった[9]。
2016年(平成28年)3月において、この年の国公立大学合格者数は、計247名(現役183名)であった。東京大学13名、京都大学17名、地元の名古屋大学は107名であった。一方、私立大学合格者数は2014年3月において、計512名であった。早稲田大学26名、慶応義塾大学10名、立命館大学169名、同志社大学79名であった[10]。
交通アクセス
関連項目
- 愛知県高等学校一覧
- 旧制中等教育学校の一覧 (愛知県)
- 旧制中学校
- ナンバースクール
- イートン校
- FC刈谷 - ユニホームのデザイン(赤襷)は同校サッカー部のものをモチーフにしている。
- スーパーサイエンスハイスクール
脚注
注釈
出典
- ^ 国際交流 愛知県立刈谷高校ウェブサイト Archived 2014年10月17日, at the Wayback Machine.
- ^ 相坂穣 (2017年3月11日). “文化審議会答申 県内対象 重要文化財 万葉集(紀州本) 登録有形文化財 県立高13校正門など”. 中日新聞 (中日新聞社): p. 朝刊 県内版 26
- ^ “創立100周年記念事業”. 刈谷高校Webサイト. 2020年5月25日閲覧。
- ^ “刈谷高校Webサイト/部活動/合唱部”. 刈谷高校Webサイト. 2020年5月25日閲覧。
- ^ 刈谷高校SS部 活動記録 - 刈谷高校SS部の公式ブログ
- ^ “沿革・受賞歴”. 刈谷高校SS部 活動記録 (2017年4月1日). 2020年5月25日閲覧。
- ^ a b 刈谷高校 百周年記念誌 LIFE. 愛知県立刈谷高等学校 創立100周年記念事業実行委員会. (2018年11月)
- ^ “村瀬 洋のホームページ(Hiroshi Murase)”. www.murase.is.i.nagoya-u.ac.jp. 2020年5月26日閲覧。
- ^ “進路状況”. 刈谷高校Webサイト. 2020年5月25日閲覧。
- ^ 進学状況 愛知県立刈谷高校ウェブサイト
外部リンク
- 愛知県立刈谷高等学校
- 刈谷高校SS部 活動記録 - 刈谷高校SS部のブログ。
- 刈谷高校SS部Twitter