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2022年10月7日 (金) 00:34時点における版

育英高等学校
地図北緯34度40分6.8秒 東経135度8分5秒 / 北緯34.668556度 東経135.13472度 / 34.668556; 135.13472座標: 北緯34度40分6.8秒 東経135度8分5秒 / 北緯34.668556度 東経135.13472度 / 34.668556; 135.13472
過去の名称 私立甲種育英商業学校
育英商業学校
国公私立の別 私立学校
設置者 学校法人武井育英会
理念 各有能(おのおののうあり)
校訓 責任を持つ・希望を持つ・誇りを持つ
設立年月日 1915年7月3日
創立記念日 10月7日
創立者 庄野一英
共学・別学 男女共学
課程 全日制課程
単位制・学年制 学年制
設置学科 普通科
学科内専門コース 総合進学コース
文系進学コース
理系進学コース
特別進学(文系選択)コース
特別進学(理系選択)コース
学期 3学期制
学校コード D128310000164 ウィキデータを編集
高校コード 28518J
所在地 653-0855
兵庫県神戸市長田区長尾町二丁目1番15号
外部リンク 公式ウェブサイト (携帯)
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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育英高等学校(いくえいこうとうがっこう)は、兵庫県神戸市長田区長尾町二丁目にある私立高等学校

沿革

  • 1899年 - 庄野一英により「数英漢学会」として創立。
  • 1900年 - 「育英義会」と改称。
  • 1902年 - 「私立神戸育英義塾」と改称。
  • 1915年 - 「私立甲種育英商業学校」設立。
  • 1920年 - 「育英商業学校」と改称。
  • 1930年 - 現校地に移転。
  • 1944年 - 失火により校舎本館全焼[1]。育英商業学校を廃止、「綿華女子商業学校」を設置。
  • 1946年 - 綿華女子商業学校を廃止、育英商業学校復活[1]
  • 1947年 - 新制「育英中学校」を併設。
  • 1948年 - 新制「育英高等学校」となる(商業科・普通科)。
  • 1956年 - 育英中学校、生徒募集停止。
  • 1957年 - 第1期校舎建築完成。
  • 1959年 - 第2期校舎建築完成。
  • 1961年 - 第3期校舎建築完成。
  • 1963年 - 第4期建築(体育館)完成。
  • 1964年 - 第5期建築完成。図書館移転。校舎落成ならびに創立65周年記念式典挙行。
  • 1968年 - 寄宿舎兼合宿所「青雲寮」完成。
  • 1969年 - 創立70周年記念式典挙行。
  • 1975年 - 育英高等学校、商業科の生徒募集停止。
  • 1979年 - 須磨区友が丘に第二グラウンド(野球場、陸上競技トラック、テニスコート、付属施設等)完成。
  • 1980年 - 創立80周年記念式典挙行。
  • 1983年 - 第二体育館兼小講堂(剣道場、柔道場、多目的フロア)完成。
  • 1989年 - 創立90周年記念式典挙行。
  • 1999年 - 創立100周年記念式典挙行。
  • 2004年 - 全館エアコン導入工事完成。
  • 2009年 - 創立110周年記念式典挙行。
  • 2015年 - 男女共学となる。
  • 2017年 - 第二グラウンドに卓球場完成。

校風・特徴

私立甲種育英商業学校

開校間もない頃の日本教育勅語の奉読中の動作不敬を問題視する時代背景にあった[2][注 1]。私立甲種育英商業学校においても例外ではなく1916年2月、奉読中の生徒が動作不敬であったことを理由に2日間の停学処分を命じられたなど、奉読中の態度や姿勢は厳しく監視された[4][注 2]。奉読中の私語や咳払いも不敬とみなされた[5][注 3]

育英商業学校

1923年に兵庫県立第一神戸中学校出身の池長孟[7]校長[注 4]が就任してからは同校の「昼食を屋外で立ち食いする」という、特徴的な校則が模倣された[6][注 5]。季節を問わず[11]生徒は校舎外での弁当の立ち食いを強制され、寒い日も湯茶の配給などは行われず、水道の蛇口に並んだ[6]。雨天の日に限って講堂の使用を許可され、校務員室で生徒は薬缶から白湯を入れてもらえた[6][注 6]

1937年には政府による戦争とそれを支える体勢の構築に国民を総動員する政策[注 7]が次々と実施されることになり、育英商業学校にもその思想統制の影響はおよび、学校の雰囲気はより厳粛なものに変わっていった[11]

生徒は厳寒期でも毛糸の下着の着用は禁止され[11]、ズボンのポケットは手を入れることができないように縫い付けることになっており[12]、時計・革靴・万年筆などの使用も贅沢品であるとの理由で許されなかった[13]。登校時には正門で週番の上級生[注 8]による服装・持ち物の点検を受けることとなっており、ボタン・ホックの掛け方、ゲートルを巻く位置をチェックされた[6]。中には南京豆の薄皮をタバコの屑と間違えられ、注意される生徒もいた[6][注 9]。点検後、奉安殿に向かって最敬礼し、朝礼・ラジオ体操の後、ラッパ鼓隊の吹奏に合わせて教室まで行進した[11]。校外においても制服・制帽・巻ゲートルを着用し、教師や上級生に合ったときには軍隊式の敬礼をしなければならなかった[13]。また、渡り廊下で処罰生徒名の掲示なども行っていた[6]。1930年2月には衆議院議員総選挙の候補者の応援演説を行ったと思われる生徒が5日間の停学処分を受けるなど、校内で過剰な政治活動をする生徒も取り締まった[5]

育英高等学校

かつて丸刈り校則が存在した[14][注 10]。「厳しさの中に自由あり」と謳っている[16]

象徴

校章

校章の中心に「育」という字を配置し「はぐくむ(慈しみ育てる)」ことが教育の中心思想であることを表現している[17]。「育」という字の周囲が菊の花びらになっているのは以前、校地が湊川の畔に位置していた為、その湊川にゆかりの深い菊水に因んであしらったものである[17]

スクールカラー

ブルー[17]

シンボルマーク

「IKUEI」の最初の2文字である「I」と「K」をモチーフに図案化している[17]。「I」の部分は歴史と伝統を一本の芯として表現、「K」の部分は神戸の風に乗って変化する赤いリボンが歴史と合わさり、一つの新しいかたちを創ることにより、男女共学化への歩みを進めることが表現されている[17]。リボンの一部分にはスクールカラーであるブルーが入っている[17]

校歌

コース制

第一学年の初めから、総合進学・文系進学・理系進学・特別進学(文・理系選択)コースの四つのコースを設けている。かつては一括して募集し、入学後に本人の希望や能力・適性等に応じて各コースに割り振られていたが、現在は出願時にいずれかのコースを選択している。進級前にテストを受け、そのテストの点数によっては任意、又は総合進学コースへ強制的にコースの変更が行われる場合がある。

総合進学コース(旧・一般クラス)
本学で最も初歩的な授業を行う。進学と銘打つが、就職等の進路にも対応する。生徒の殆どは指定校推薦で専門学校及び短期大学、大学へ進学する。
文系進学コース(旧・語学クラス)
国語・英語・地歴公民の学習に重点を置き、私立大学文系学部を目指す。
理系進学コース(旧・理数クラス)
数学・理科・英語の学習に重点を置き、私立大学理系学部を目指す。
特別進学(文・理系選択)コース(旧・特文クラス、特理クラス)
クラス内で文系選択と理系選択に分かれる(旧制度では文系選択と理系選択とでクラスが分かれていた)。第一学年は文系・理系にかかわらずほとんど共通科目を履修し、第二学年・第三学年で文系・理系の選択科目が増え、目標にあった学習をしていく。国公立大学を目指す。毎月第2・第4土曜日に授業、若しくは進路講演会などがある。

部活動

硬式野球バスケットボール剣道レスリングハンドボールなどがある。硬式野球部の1993年夏の甲子園での優勝をはじめ、全国制覇の経験のある部活動も存在する。

運動部の一部では練習時間の確保のため、総合進学コースの生徒しか入部できない。

  • 硬式野球部
  • 軟式野球部
  • 陸上競技部
  • 剣道部
  • バスケットボール部
  • バレーボール部
  • 柔道部
  • 卓球部
  • テニス部
  • ソフトテニス部
  • バドミントン部
  • 水泳(水球)部
  • ハンドボール部
  • レスリング部
  • 空手道部
  • サッカー部
  • ゴルフ部
  • 吹奏楽部
  • 写真部
  • 囲碁将棋部
  • 美術部
  • 科学部
  • 文芸部
  • 映画研究会
  • 演劇部
  • 書道部

主な不祥事

著名な出身者

野球

柔道

バスケットボール

  • 塚本清彦(元バスケットボール選手)
  • 熊谷宜之(バスケットボール選手)
  • 大西崇範(バスケットボール選手)
  • 田中範昌(バスケットボール選手)
  • 松崎賢人(バスケットボール選手)
  • 藤本巧太(バスケットボール選手)
  • 藤本裕(バスケットボール選手、モントリオールオリンピック日本代表)
  • 千種信雄(バスケットボール選手、ミュンヘンオリンピック日本代表・モントリーオールオリンピック日本代表)

格闘

  • 淺川誠二(ボクシング元日本フェザー級王者)
  • 金本浩二(新日本プロレス・元三代目タイガーマスク)
  • 井上智裕(レスリング選手、リオデジャネイロオリンピック日本代表)
  • 中村昌永(空手家)
  • 高橋昭五(レスリング選手)

芸能

その他

関連項目

脚注

注釈

  1. ^ 内村鑑三不敬事件などをはじめとして、数々の不敬事件が問題になった[3]
  2. ^ 教育勅語天皇の言葉をそのまま伝える「勅語」という形式のため[2]
  3. ^ こうした動作不敬の問題視は後の育英商業学校時代にも続いていき、育英商業学校では3時間ほど立たされる懲戒を受けた生徒も存在した[6]
  4. ^ 池長校長は校長就任後、学校に革新的な思想を求めた[8]。当時の生徒手帳に記された「万華鏡」と題された教訓には「盲従するな。附和雷同するな。正義の為には千万人をも敵として戦へ」と記され、個人としての自立を鼓舞する意図があった[8]
  5. ^ 昼弁当立食については第一神戸中学校に査察にきた文部省大島義脩視学官にその存在を問題視されている[9]。また当時の新聞に「神戸中学は壮士の養成所なり」と批判的な記事をかかげられたこともあったなどして昼弁当立食は当時、社会的に批判が少なくはなかった[10]
  6. ^ コップが用意されないので弁当箱の蓋に入れるなどする生徒がいた[6]
  7. ^ 1937年9月から始まった国民精神総動員運動や1937年5月の文部省による全国の学校への『国体の本義』の配布など[11]
  8. ^ 一度でも校内処分を受けた生徒は週番にはなれなかった[11]
  9. ^ 『大正四年度以降 処罰録』によると、処罰の対象となる問題行動で最も多かったのは試験中の不正行為だった[2]。複数人での協力による不正行為もあり、1923年7月には同一クラスの生徒15人が一斉処分されている[2]。他には喫煙による処分も多かった[2]
  10. ^ 1963年度時点[14]。当時、生徒間での教師の評判が悪く、管理的で一方的な指導と丸刈り校則を含め不評だった[14]。1963年の夏には全校生徒1552人[15]のおおよそ半数、約700人の生徒たちが自由を求めて決起[14]。体育祭と文化祭を生徒による自主運営とすることを求め、授業のボイコットまでにも発展した[14]
  11. ^ 殴られた夜、寮に戻った男子生徒は頭痛を訴え病院に運ばれ、別の病院で検査したところ顔面骨折が判明し、手術が必要と診断された[20]。10日間入院し、一時は左目が単眼複視に陥ったが回復した[20]
  12. ^ 7月22日の時点では午後8時頃との情報で報道されているが[24][25]、26日以降の記事では午後10時30分頃と記載されているため[26][27]、ここでは午後10時30分頃に犯行が行われたとして扱う。
  13. ^ 男子生徒は少女と面識はなく[31]野球部の練習を終えて帰宅途中だったという[24]
  14. ^ 一緒にいた少女の友人が110番通報した[30]
  15. ^ 事件発生から間もなく、警察から学校への連絡で把握はしていたが「家裁の決定が7月下旬に予定されており、その後に公表するつもりだった」と阪本勝彦校長は弁解している[25]。男子生徒の少年審判が7月26日、神戸家裁であり、伊東武是裁判官中等少年院送致とする保護処分を決定した[27]
  16. ^ この時点で兵庫大会で2勝し、24日に3回戦に臨む予定だった[25]。男子生徒(16)は出場選手として登録されていない[25]。男子生徒(16)は24日付で自主退学した[27]
  17. ^ 藤村雅美監督退任後の[32]野球部監督は2011年に部員への暴力行為を行い、日本学生野球協会は9月8日、東京都内で行われた審査室会議で野球部監督に対して8月8日から謹慎1年の処分を下した[33]
  18. ^ 5月上旬にも野球部員の二年生の男子生徒(16)が登校途中に、神戸市須磨区神戸市営地下鉄西神・山手線板宿駅のホームの[35]階段で、すれ違いざまに若い女性会社員[35]の胸や尻を触るなどの痴漢行為をしていたことが7月22日、学校関係者の証言で判明した[36]
  19. ^ 24日に淡路球場で行われた[38]。阪本勝彦校長は「一個人のしたことで連帯責任を負うことはおかしい[28]。(兵庫大会の)辞退は考えていない」[25]岡村純一理事長は「選手個人の問題なので、チームに罰則を与えることにはならない。地方大会出場に支障はない」[31]高野連の副会長は「ほかの部員が関与していない事実と、被害者とその家族に誠心誠意謝罪する意向が確認できた」と述べている[39]
  20. ^ 試合後、7回コールドで完勝したのにも関わらずバスに向かう育英ナインに笑顔はなく、敗者のように下を向いていた[40]。報道陣は育英ナインを追いかけようとしたが、育英校のコーチに「今日は勘弁してやってください」と止められている[40]藤村雅美監督は「選手たちにも聞こえていた。これからも中傷はあるだろう。耐えていかないと野球はできない」と語っている[40]
  21. ^ 一連の不祥事で「精神的に疲れ果てた」と藤村監督は語っている[41]。藤村監督は引責退任した翌年10月26日に脳梗塞により亡くなった[42]
  22. ^ 関係者によると2004年9月に功前理事長が死去[44]。功前理事長の妻や宏之理事長ら3人が遺産を相続[45]。2005年7月に3人の名義の簡易保険有価証券など計約2億1000万円を相続財産から除外し、遺産総額を不動産を中心に約5億6800万円、相続税を約7000万円と申告した[43]。同国税局が2007年2月から税務調査し、宏之理事長名義の預貯金6口座、計約2600万円について「宏之理事長の幼少時から預けられており、父親が形成した遺産」と指摘[44]。宏之理事長は「父の生前に贈与を受け、贈与税も納めており、死亡時には私たちの資産になっていた」と反論したが、同国税局は「贈与の証拠がなく相続財産に当たる」「父親の資産を宏之理事長名義に分散することで、遺産を圧縮した」などと判断し、重加算税の対象とした[44]。また、生命保険の掛け金や別の預貯金[45]などの計約1億8400万円の申告漏れも指摘した[44]
  23. ^ 部室は別棟にある鉄筋平屋建てで[48]、約120平方メートルのうち3クラブの部室[48]約40平方メートルが焼けた[46]長田署によると室内には火の気はなく、施錠されていた[47]。兵庫県弁護士会の照会への回答によると、学校側は火元から吸い殻が発見されたとしているが、男子生徒(後述の放火を疑われた生徒)は原因は不明であったと主張している[49]。学校公式サイト上でも火災発生の後日に「関係機関と連携、協力しながら出火原因を明らかにしたい」と触れているが[50]、2013年3月19日時点においても原因については公式サイト上で告知[51]、報道されていない。
  24. ^ 学校側は鎮火後のゴミ箱からマッチが発見されたとしているが、男子生徒含む所属運動部員に対する事情聴取によれば、部員による当日の喫煙はなく、部員に対する直後の持ち物検査によってもタバコやマッチなど具体的な出火原因となりうる物品は発見されていない[49]。兵庫県弁護士会による照会が行われた時点では鎮火後のゴミ箱から発見されたマッチもゴミ箱と共に処分されており、男子生徒による喫煙行為によって小火騒ぎが発生したと認めるに足りる証拠は存在していない[49]。照会への回答においても学校側は「本件に関し、男子生徒について何らの事実も認定していない」としている[49]
  25. ^ 4月、男子生徒は所属していた運動部ので喫煙したことが発覚し、学内謹慎処分1週間、退寮処分、部活謹慎3ヶ月の処分を受けていた[49]。また、7月に行った教諭(7月27日に同席していた教諭の一人。以下、他の注釈も含めて兵庫県弁護士会のPDFに倣い、C教諭とする)による聴取では、男子生徒は謹慎期間中を含む4月以降も喫煙していたことを自認した[55]。学校側は三宮センター街においても喫煙していたことを男子生徒は自認したとしているが、自主退学を迫った時を含め、男子生徒は一貫して否認している[55]
  26. ^ 小火騒ぎの原因調査のため、教諭が部員に対し事情聴取を行った過程において、男子生徒が7月22日に喫煙していたことが発覚[49]。男子生徒はこの事実を認め、所属運動部を退部処分となり、自宅謹慎を指示された[56]
  27. ^ 生徒指導部長は放火犯と決めつける一方、退学届には「一身上の都合」と記載するように指示[60]。このことについて同席した教諭の一人(男子生徒の所属する運動部の顧問。以下、他の注釈も含めて兵庫県弁護士会のPDFに倣い、B教諭とする)は「自主退学やったら次もあるやろって指導部長は歩み寄ってくれとう」「それに関して恩義はないんか」などと言い、男子生徒に「歩み寄り」であると説明した[60]。また、寮での喫煙発覚の際に、B教諭は男子生徒に「喫煙行為が繰り返されれば退学処分になる」と厳重注意、及び生徒指導部長が「再度喫煙行為があれば自主退学になる(のでもうしない)」と約束させたとしているが、これについて男子生徒は「次回喫煙行為があれば退学との注意は受けていない」と述べている[49]
  28. ^ 男子生徒は生徒指導部長から27日に呼び出しを受けていることを他の部員に話したところ「日頃より生徒(本件に関わっている男子生徒に限らず)を罵倒する生徒指導部長を警戒し、録音してはどうか」と助言されたため、父親から語学学習用のICレコーダーを借用の上、ポケットに忍ばせた[59]。その結果、生徒指導部長の侮辱的言辞、他二名の教諭(B教諭とC教諭)の追従する発言[61]が録音された[59]
  29. ^ 阪本校長は男子生徒の父親に「退学と言われたので過敏に反応しているのでないか」「行きすぎたところがあったなら担当教員に注意をしておく」と述べるのみだった[61]
  30. ^ 男子生徒は「放火はしていないが、喫煙したのは事実」と主張した[57]
  31. ^ 兵庫県弁護士会は「証拠もないまま火災の犯人と決めつけている。恫喝行為で生徒の自尊心を傷つけており、教師という優越的地位を利用して、教育機関として許される懲戒行為の範囲を明らかに逸脱し、人格権を侵害している[54]」「教諭らに対する監督義務違反[61]」などとした[52]。同会の調査に対し、育英高等学校は「粗野な言葉で傷つけた」と事実関係を認めている[58]。また、同会に対して生徒指導部長は「傷つけたのであれば、申し訳ない」と述べている[62]

出典

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  12. ^ 育英高等学校(編)、1999、「第一部 育英百年の歩み 第二章 成長期へ(池長 孟時代) ―商業学校時代―」、『夢の彩り : -育った力 一世紀-(育英 100年の歩み)』、武井育英会育英高等学校 国立国会図書館書誌ID:000002841885 OCLC 675594062 NCID BA46599024 pp. 44-45
  13. ^ a b 育英高等学校(編)、1999、「第一部 育英百年の歩み 第二章 成長期へ(池長 孟時代) ―商業学校時代―」、『夢の彩り : -育った力 一世紀-(育英 100年の歩み)』、武井育英会育英高等学校 国立国会図書館書誌ID:000002841885 OCLC 675594062 NCID BA46599024 p. 45
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参考文献

弁護士会による意見書

  • 林晃史; 佐藤功行 (2013年3月19日). “兵弁総24発第463号” (PDF). 兵庫県弁護士会. 2019年3月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年8月4日閲覧。

論文

書籍

校誌

関連文献

外部リンク