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2022年10月7日 (金) 01:49時点における版
上野学園中学校・高等学校 | |
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北緯35度42分54.2秒 東経139度46分54.7秒 / 北緯35.715056度 東経139.781861度座標: 北緯35度42分54.2秒 東経139度46分54.7秒 / 北緯35.715056度 東経139.781861度 | |
過去の名称 |
上野女学校 上野高等女学校 |
国公私立の別 | 私立学校 |
設置者 | 学校法人上野学園 |
校訓 |
建学の精神〈自覚〉 実践徳目〈親切・努力〉 |
設立年月日 | 1904年 |
創立記念日 | 11月21日 |
創立者 | 石橋藏五郎 |
共学・別学 | 男女共学 |
中高一貫教育 | 併設型 |
課程 | 全日制課程 |
単位制・学年制 | 学年制 |
設置学科 |
普通科 音楽科 |
学科内専門コース |
中学校 普通コース 音楽コース 高等学校 特別進学コース(普通科) 総合進学コース 器楽・声楽コース(音楽科) 演奏家コース |
学期 | 3学期制 |
学校コード |
C113310600014 中学校) D113310600021 (高等学校) | (
高校コード | 13584E |
所在地 | 〒110-0015 |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
上野学園中学校・高等学校(うえのがくえんちゅうがっこう・こうとうがっこう)は、東京都台東区東上野四丁目にある私立中学校・高等学校。
旧制女学校である上野女学校(のちの旧制高等女学校である上野高等女学校)をその前身とする[1]。戦後に日本の高等学校では初となる音楽科を設置した[1]。2007年度から中学校・高等学校とも男女共学化された[1]。
本項では、かつて埼玉県草加市に所在し、上野学園高等学校へ統合され廃校となった上野学園草加高等学校についても記述する。
概要
この節の加筆が望まれています。 |
1904年(明治37年)、石橋藏五郎(1875年 - 1964年)が「自覚」を「建学の精神」として、東京府東京市下谷区上野桜木町(現在の東京都台東区上野桜木)に上野女学校を設立した[1]。
1909年(明治42年)から1912年(大正元年)にかけての時期、辻潤が英語科で教鞭を執っていた[2]。伊藤野枝は上野高等女学校在学中に英語教師であった辻潤と出会い結婚している。
制服
基本的に中高共通。
- 冬服
- 夏服
沿革
- 1904年(明治37年)11月 - 上野桜木町に私立上野女学校を創立[1]。
- 1910年(明治43年) - 上野高等女学校に改まる。
- 1910年9月 - 財団法人私立上野高等女学校を創設。
- 1912年(大正元年)10月 - 校地を移転。
- 1914年(大正3年)11月 - 私立上野実習女学校を私立上野家政女学校へ改称。
- 1945年(昭和20年)10月8日 - 学校農園の不正に対し、女学生150名による学園民主化闘争・同盟休校(ストライキ)が発生。同月21日に解決したが、これが「戦後初のストライキ」として歴史に残ることとなる[3]。
- 1946年(昭和21年)4月
- 上野女子高等学院(文化科、家政科)を設置。
- 上野高等女学校(英語科、被服科)を設置。
- 運営母体を財団法人上野学園へ改組。
- 上野高等女学校が東京都の音楽研究指定校となる。
- 1947年4月 - 上野学園中学校を設置(学校教育法実施により、上野高等女学校および専攻科は上野学園中学校・高等学校へ改組)。
- 1948年4月 - 上野学園高等学校を設置。
- 1949年4月
- 1951年2月 - 運営母体を学校法人上野学園へ改組。
- 1952年4月 上野学園短期大学が東京都台東区上野に開学。
- 1952年4月 - 上野女子高等学院を廃止。
- 1961年3月 - 上野学園家政高等学院を上野学園草加高等学校へ改組[4][5]。
- 1965年(昭和40年)- 草加市原町において、総合運動場および増設される上野学園短期大学草加校舎の建設に着手[6]。
- 1975年3月 - 上野学園草加高等学校を廃止、上野学園高等学校へ統合。
- 1985年4月 - 上野学園短期大学が上野学園大学短期大学部へ改称、草加市原町へキャンパスを移転。
- 2004年4月 - 創立100周年を迎える。
- 2007年4月 - 中学校・高等学校を男女共学化、新校舎が完成。
系列校
交通
- JR上野駅より徒歩約5分
- 首都圏新都市鉄道つくばエクスプレス浅草駅徒歩10分
- 東京メトロ日比谷線上野駅より徒歩約5分
- 東京メトロ日比谷線入谷駅より徒歩約10分
- 東京メトロ銀座線上野駅より徒歩約5分
- 京成電鉄本線京成上野駅より徒歩約10分
主な卒業生
女学校
高等女学校
中学校・高等学校
高等学校
- いしだあゆみ - 女優
- 光本幸子 - 女優
- 愛まち子 - 歌手
- 市地洋子 - 女優
- 今井和子 - 女優(中退)
- 希城なつ紀 - 元宝塚歌劇団
- 桜路晴美 - 元宝塚歌劇団
- 古賀さと子 - 童謡歌手・女優
- 藤井久仁江 - 地歌・箏曲家
- 矢野薫 - ハープシコード奏者
上野学園草加高等学校
上野学園草加高等学校(うえのがくえんそうかこうとうがっこう)は、かつて埼玉県草加市に所在した私立高等学校[7]。設置者は学校法人上野学園。女子校であった。1961年(昭和36年)3月に上野学園家政高等学院を上野学園草加高等学校へ改組し[4][5]、同年4月1日に開校した。
上野学園大学・上野学園短期大学の草加キャンパスの場所に立地していた[6]。1975年(昭和50年)3月末をもって閉校し、上野学園高等学校へ統合された。学校敷地の跡地の一部は草加市立病院(草加市草加2丁目)の敷地となっている。
なお、1983年(昭和58年)4月1日に開校した埼玉県立草加西高等学校の開校式・入学式が、同年4月9日に上野学園短期大学(草加キャンパス)の体育館を借りて行われている[8]。
脚注
- ^ a b c d e f “教育方針・校長挨拶・沿革”. 学校法人上野学園. 2020年5月14日閲覧。
- ^ 世界大百科事典 第2版『辻潤』 - コトバンク、2013年2月23日閲覧。
- ^ 講談社編『昭和 二万日の全記録 第7巻 廃墟からの出発 昭和20年〜21年』p.121、講談社、1989年2月。ISBN 406194357X
- ^ a b 学園概要 - 沿革 上野学園大学
- ^ a b 学園概要 - 沿革 上野学園大学短期大学部
- ^ a b 草加市にあった上野学園(①中学校②高等学校③大学)の、昭和36年(1961年)前後の面積、生徒数、学科について調べている。 埼玉県立久喜図書館提供、レファレンス協同データベース、国立国会図書館
- ^ 上野学園草加高等学校 同窓会支援サイト ゆびとま
- ^ 学校概要 - 沿革 埼玉県立草加西高等学校
参考文献
- 講談社編『昭和 二万日の全記録 第7巻 廃墟からの出発 昭和20年〜21年』講談社、1989年2月。ISBN 406194357X
関連項目
- 学校法人上野学園 (東京都)
- 音楽高等学校
- 日本の音楽科設置高等学校一覧
- 東京都中学校一覧
- 東京都高等学校一覧
- 埼玉県高等学校の廃校一覧
- 高等女学校
- 旧制中等教育学校の一覧 (東京都)
- 日本の学生運動
- 1945年の日本の女性史
外部リンク