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2022年10月7日 (金) 02:25時点における版

興譲館高等学校
興譲館高等学校
地図北緯34度36分5.8秒 東経133度28分30.4秒 / 北緯34.601611度 東経133.475111度 / 34.601611; 133.475111座標: 北緯34度36分5.8秒 東経133度28分30.4秒 / 北緯34.601611度 東経133.475111度 / 34.601611; 133.475111
国公私立の別 私立学校
設置者 学校法人興譲館
設立年月日 1853年嘉永6年)
創立記念日 10月1日
創立者 阪谷朗廬
共学・別学 男女共学
課程 全日制課程
設置学科 普通科
学期 2学期制
学校コード D133310000149 ウィキデータを編集
高校コード 33515A
所在地 715-0006
岡山県井原市西江原町2257番地1
外部リンク 公式ウェブサイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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興譲館高等学校(こうじょうかんこうとうがっこう)は、岡山県井原市西江原町にある私立高等学校である。

特色

1853年嘉永6年)、後月郡西江原村に創立。2004年平成16年)度から「普通科スーパー進学コース」を設置。2006年(平成18年)度、普通科のみのコース制に移行するなどの「興譲館革命」と称した学科再編を実施。

学科

  • 普通科
    • 特別進学コース
    • トータル進学コース
    • キャリアデザインコース
      • 商業系
      • 工業系
    • スポーツコース

クラブ活動

歴史

年表

1857年安政4年)に建設された[1]興譲館の校門(岡山県指定史跡)。扁額には「明治壬子六月 澁澤栄一書」とある
  • 1853年嘉永6年)- 岡山興譲館として開校。初代館長は阪谷朗廬
  • 1900年明治33年)- 漢学・数学2学科併設の私立学校となる。
  • 1908年(明治41年)4月 - 中学校令により興譲館中学校開校[2]
  • 1936年昭和11年)4月1日- 興譲館商業学校が開校[3]
  • 1944年(昭和19年)- 工業学校を併設。
  • 1948年(昭和23年)- 学制改革により興譲館中学校及び興譲館高等学校(普通・商業・工業)を設立。
  • 1964年(昭和39年)- 電気科新設。
  • 2000年平成12年)- 学科改編。普通科、情報ビジネス科、情報技術科の3学科となる。
  • 2004年(平成16年)- 普通科スーパー進学コース新設。
  • 2006年(平成18年)- 全普通科に改編。
  • 2013年(平成25年)
    • 3月11日 - 井原市東江原町に野球練習場が完成[4]
    • 3月21日 - 男子寮「小松安弘記念教育寮」が竣工。エフピコ会長の小松安弘が建設費を寄付、敷地は化繊ノズル製作所が無償提供。これにより運動部以外の生徒の入寮が可能となる[5]
    • 5月11日 - 野球練習場の落成式および記念試合を行う[6]
  • 2014年(平成26年)- この年の新入生から、国公立特別進学コース、特別進学コース、地域産業コース、文化・スポーツコースに改編。
  • 2015年(平成27年) - この年の新入生から、トータル進学コースが追加。
    • 1月15日 - 井原市井原町にあった特定医療法人天敬会井原中央病院(2014年末に自主廃業)の土地建物が本校に寄付されることとなり、譲渡契約を結ぶ[9][10]

著名な出身者

著作物

  • 『興譲館・長距離ランナー走りのつくりかた 安定した走りを生みだす、補強運動と動きづくり』(指導・解説 : 森政芳寿(興譲館高校陸上部監督)、実技 : 興譲館高校女子陸上部、ジャパンライム、2010年12月、DVD

アクセス

脚注

出典

  1. ^ 日本資本主義の父 渋沢栄一と井原の深い関わり”. 井原市観光協会. 2022年7月9日閲覧。
  2. ^ 官報 明治41年4月1日
  3. ^ 文部省告示第144号 官報 昭和11年4月1日
  4. ^ “待望のグラウンドで初練習 井原、興譲館高野球部”. 山陽新聞朝刊 笠岡・井原圏版 (山陽新聞社): p. 26. (2013年3月13日). オリジナルの2013年5月15日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20130515192944/http://www.sanyo.oni.co.jp/news_s/news/d/2013031310231976/ 2014年8月12日閲覧。 
  5. ^ 宗宮正行 (2013年3月22日). “興譲館高の新男子寮完成 運動部以外も利用可能”. 山陽新聞朝刊 笠岡・井原圏版 (山陽新聞社): p. 32 
  6. ^ “野球部OBが専用球場プレゼント 井原・興譲館高が記念試合”. 山陽新聞 (山陽新聞社). (2013年5月11日). オリジナルの2013年6月5日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20130605050458/http://www.sanyo.oni.co.jp/news_s/news/d/2013051120102060/ 2014年8月12日閲覧。 
  7. ^ “興譲館高 笠岡・飛島拠点に通信制 15年4月新設 廃校使い面接授業”. 山陽新聞 (山陽新聞社). (2014年12月13日). http://www.sanyonews.jp/article/107809/1/?rct=igasa 2014年12月17日閲覧。 
  8. ^ “興譲館高が離島の廃校で通信教育”. 中国新聞 (中国新聞社). (2014年12月13日). オリジナルの2014年12月17日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20141217035902/http://www.chugoku-np.co.jp/local/news/article.php?comment_id=113551&comment_sub_id=0&category_id=110 2015年9月22日閲覧。 
  9. ^ “旧井原中央病院の土地建物寄付 運営の医療法人、興譲館高に”. 山陽新聞 (山陽新聞社). (2015年1月15日). http://www.sanyonews.jp/article/120936/1/?rct=igasa 2015年1月19日閲覧。 
  10. ^ “元井原中央病院を興譲館に譲渡”. 中国新聞 (中国新聞社). (2015年1月16日). オリジナルの2015年1月19日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20150119163749/http://www.chugoku-np.co.jp/local/news/article.php?comment_id=121956&comment_sub_id=0&category_id=112 2015年9月22日閲覧。 
  11. ^ a b c 【挑め-リオに出場する郷土勢】<1>陸上女子1万メートル 高島由香(資生堂、岡山・興譲館高出)”. 中国新聞 (2016年7月12日). 2016年8月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年8月13日閲覧。

関連項目

外部リンク