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「豊中市立第十五中学校」の版間の差分

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2022年10月7日 (金) 04:54時点における版

豊中市立第十五中学校
豊中市立第十五中学校
地図北緯34度47分28.5秒 東経135度29分7.5秒 / 北緯34.791250度 東経135.485417度 / 34.791250; 135.485417座標: 北緯34度47分28.5秒 東経135度29分7.5秒 / 北緯34.791250度 東経135.485417度 / 34.791250; 135.485417
国公私立の別 公立学校
設置者 豊中市
設立年月日 1979年4月1日
創立記念日 6月20日
共学・別学 男女共学
学校コード C127210001943 ウィキデータを編集
所在地 560-0014
大阪府豊中市熊野町三丁目8番1号
外部リンク 公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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豊中市立第十五中学校(とよなかしりつ だいじゅうごちゅうがっこう)は、大阪府豊中市熊野町三丁目にある公立中学校

沿革

通学区域

事件

1991年11月15日放課後、当時3年生の女子生徒が学校構内で倒れているところを発見された。生徒は病院に運ばれたが1週間後に死亡した。同級生の男女生徒4人がこの生徒に集団暴行を加えたことが分かり、警察が4人を逮捕した。その後加害生徒のうち3人を中等少年院送致、残りの1人を保護観察処分とした。遺族が起こした民事訴訟では、大阪地裁1997年4月、加害生徒および親権者に対して損害賠償を命じる判決が出されたものの、「いじめは教職員の目に見えにくいところでおこなわれた」などとして学校の過失責任および暴行の予見可能性はなかったと判断し、豊中市に対する請求は棄却された。また二審大阪高裁でも1998年11月、一審判決を支持して豊中市に対する請求を棄却した。

被害生徒は軽度の障害を持っていた。豊中市は当時、障害のある生徒も普通学級で学ぶ統合教育を推進し、障害児教育の先進地とみられていた[1]。しかしこの生徒に対して、障害を理由にしたいじめがあったが、学校側は十分な対策を取れていなかったことが明らかになった。事件は障害児教育のあり方に議論を投げかけるものとなり、国会でも取り上げられている[2]

交通

関連項目

脚注

  1. ^ 『朝日新聞』1991年11月19日、『毎日新聞』1991年11月24日、『読売新聞』1991年11月27日ほか。
  2. ^ 参議院会議録 第122回国会 厚生委員会 第1号(1991年12月17日)

外部リンク