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「港区立青山中学校」の版間の差分

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2022年10月7日 (金) 05:18時点における版

港区立青山中学校
Aoyama Junior High School
地図北緯35度40分27秒 東経139度43分20秒 / 北緯35.674167度 東経139.722139度 / 35.674167; 139.722139座標: 北緯35度40分27秒 東経139度43分20秒 / 北緯35.674167度 東経139.722139度 / 35.674167; 139.722139
国公私立の別 公立学校
設置者 港区
設立年月日 1947年昭和22年)4月29日
共学・別学 男女共学
学期 3学期制
学校コード C113210300073 ウィキデータを編集
中学校コード 1301212
所在地 107-0061 
東京都港区北青山一丁目1番9号
外部リンク 公式ウェブサイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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港区立青山中学校(みなとくりつあおやま ちゅうがっこう)は、東京都港区北青山一丁目にある公立中学校である。

概要

都立日比谷高校内に附設された新制新星中学校として設立された由来をもつ。そのため、千代田区立麹町中学校などと同様、いわば都立日比谷高校への登竜門と位置づけられることもある。

学校選択制前からの学区内の公立小学校は、青山小学校および青南小学校となる。

マンションから北青山1丁目アパートなどの都営団地まで林立する青山地域は、一口に「青山」といっても以前ほどではないにしろ広範な階層住民で成り立つ街でもあり、生徒・卒業生の進路も多様な方向に向いている。

公立中学としての進学実績では近隣の高陵中学校の他、高松中学校御成門中学校などと並ぶ高い実績がある。また近隣各校と同様に中学校入学時から越境通学する生徒もみられ、近年でも出身小学校は21校にも及ぶ年もあった。

周囲は、上記北青山1丁目アパートの都営団地群および明治神宮外苑赤坂御用地に囲まれた環境にある。同校敷地は、元は陸軍大学校があった場所になる。

沿革

  • 1947年昭和22年)4月29日 - 東京都立第一中学校(現:都立日比谷高校)に港区新星(しんぼし)中学校として併設された。都立第一中学校長・菊池龍道が校長兼職。旧制都立一中2・3年次生徒は一中の附属生扱いとして新制新星中学2・3年次男子のみの2学級(100名)に再編された。
  • 1948年(昭和23年)4月1日 - 港区立青山中学校と改称。同年4月13日、都立一中より港区立青南小学校校舎に移転。渋谷区立外苑中学校より女子生徒(99名)を受け入れる。
  • 1950年(昭和25年)3月25日 - 第1回卒業式挙行(男子190名・女子84名、計274名)。
  • 1954年(昭和29年)2月18日 - 港区立青山小学校校舎に分教室を置き第2学年全員が移転。
  • 1955年(昭和30年)3月1日 - 旧陸軍大学校校舎を新校舎として現在地に移転。
  • 1985年(昭和60年)5月11日 - 現校舎が完成。
  • 2006年平成18年)4月1日 - 特別支援学級を設置。

教育方針

2006年(平成18年)度より、日比谷高校への登竜門としての名門校再生・伝統復活へ向け、前16代学校長・平林健の下、学校選択制の時代の中、生活指導と共に進学指導にも力を入れた。具体策として土曜授業を復活し、正規の授業は第1・3土曜であり、第2・4土曜は土曜特別講座が行われている。他に習熟度別授業少人数授業も行い、進学実績の向上を目指している。現在は、新たに着任した18代学校長・福井正仁によって引き継がれている。

校訓は、「真剣な学習/Study seriously 節度ある行動/Be temperate in behavior」であり、学校玄関前の時計塔に掲げられている。

教育目標[1]
人権尊重の精神を基調として、心身ともに健康で、知性と感性に富み、生涯を通じて主体的に学び続け、国際社会に貢献できる人間性豊かな生徒の育成を推進する。
「ねばり強く、真剣に学習する生徒」「思いやりの心をもち、奉仕する生徒」「進んで心身の健康に努める生徒」
生徒数と教員数[2]
年度 生徒総数 1年生 2年生 3年生 教員数 職員数
平成23年 139人 49人 34人 56人 15人 4人
平成24年 143人 58人 51人 34人 14人 4人
平成25年 173人 60人 60人 53人 15人 5人
平成26年 166人 49人 56人 61人 17人 4人
平成27年 186人 68人 57人 61人 16人 4人
平成28年 166人 62人 49人 55人 16人 5人
平成29年 167人 54人 61人 52人 17人 5人
平成30年 167人 44人 64人 59人 18人 5人
令和元年 148人 45人 42人 61人 17人 5人
令和2年 132人 39人 48人 45人 17人 2人
令和3年 132人 43人 40人 49人 16人 1人

学校行事

  • 運動会(青山杯) - クラスで紅白に分かれ、生徒、教職員、保護者、地域が一体となり、各チームが勝利を目指す。

諸活動

委員会
  • 生徒会役員会
  • 生活委員会
  • 広報委員会
  • 健康委員会
  • 図書委員会
部活動
部活動は活発で、9割以上の生徒が参加している。
  • バドミントン部
  • テニス部
  • 野球部
  • 鉄道研究部
  • ボランティア・アート部
  • 吹奏楽部
  • ガーデニング部
  • バスケットボール部
  • 国際交流部
  • 華道部
  • ラグビー部
  • ダンス部

学校施設

  • 時計台 - 正門脇に時計台があり、石版には「真剣な学習」「節度ある行動」と刻まれている。
  • 多目的ホール - 全校生徒も収容できる大きなホール。交通の便も良いため、会議や講話など幅広く利用されている。
  • 体育館 - バレーボールのコートが2面張ることができる。
  • 第二体育館 - 柔剣道場になっている。
  • 校庭 - 200mのトラックがあり、直線で100mとれる。
  • テニスコート - 校庭にある専用硬式テニスコート。人工芝に砂を混ぜたコート。
  • コンピュータ室 - 40台のコンピュータが配備されていて、授業および課外での活動に利用されている。

校歌

創立当時の音楽科の梁田貞教諭により作曲、国語科の吉田三男也教諭により作詞された。特に、梁田貞教諭は有名な「どんぐりころころ」や「城ヶ島の雨」の作曲者として全国的に著名である。

通学区域

住所別通学区域
南青山
一丁目
南青山
二丁目
南青山
三丁目
南青山
四丁目
南青山
五丁目
- 七丁目
北青山
一丁目、二丁目
北青山
三丁目
西麻布
二丁目
1 - 12番 全域 1 - 18番 1 - 28番 全域 全域 1 - 15番 18番、19番

交通

関係者

出身者
新制新星中学校時代
新星中3年(都立一中附属生[3]) → 日比谷高
新星中2年・青山中3年(都立一高附属生[3]) → 日比谷高

脚注

  1. ^ 学校概要 - 港区立青山中学校
  2. ^ 東京都教育委員会「令和3年度 公立学校統計調査報告書」統計・調査、2022年2月15日、2022年3月6日閲覧
  3. ^ a b 戦後学制改革により、1947年(昭和22年)4月、都立一中4年・5年は従来の旧制中学校として存続し、2年・3年は新制中学校の港区立新星中学校となった。都立一中としては新1年生は募集せず。翌1948年(昭和23年)4月、都立一中が新制の都立一高と改称し、中学3年のみが都立一高附属生扱いの併設新制中学校である港区立青山中学校となった(日比谷高校の歴史 都立日比谷高校、沿革 港区立青山中学校)。

関連項目

外部リンク