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2022年10月7日 (金) 07:25時点における版
三原市立第三中学校 | |
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北緯34度23分43秒 東経133度04分22秒 / 北緯34.3952度 東経133.07272度座標: 北緯34度23分43秒 東経133度04分22秒 / 北緯34.3952度 東経133.07272度 | |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 三原市 |
設立年月日 | 1947年 |
創立者 | 三原市 |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 3学期制 |
学校コード | C134210000561 |
中学校コード | 340070[1] |
所在地 | 〒723-0016 |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
三原市立第三中学校(みはらしりつ だいさんちゅうがっこう)は、広島県三原市にある公立中学校。
北側で三原市立南小学校(現在移転)が、南側で広島県立三原高等学校が隣接している。
沿革
- 1947年(昭和22年)5月 - 田野浦小学校校舎一部に本校を置き、西小学校内の西分校、須波小学校内の須波分校と共に開校。11学級、生徒311名。西分校は程なく、西野町アートライト工場内の仮校舎へ移転。
- 1948年(昭和23年)9月 - 現在地に本校舎落成。当初は第二中学校との共同使用だった。
- 1949年(昭和24年)6月 - 第二中学校が旧鉄道学校跡地へ移転し、校舎が単一使用となる。
- 1953年(昭和28年)5月 - 南小学校と共用の講堂落成。
- 1958年(昭和33年)4月 - 若竹寮を新築。
- 1982年(昭和57年)4月 - 西小学校区及び宮浦町、皆実町、新倉町を校区とする宮浦中学校が分離する。
- 2005年(平成17年)4月 - 広島県の中学校不登校対策実践指定を受ける。
- 2007年(平成19年)4月 - 広島県の中学校不登校対策実践指定を受ける。
- 2008年(平成20年)4月 - 広島県の不登校児童生徒支援モデル事業、三原市教育創造プラン推薦事業を受ける。
- 2009年(平成21年)4月 - 広島県から、中学校学力対策事業を受ける。
- 2015年(平成27年) - 建て替え決定。
- 2016年(平成28年)8月 - 新校舎完成。
校訓
- 自立・挑戦・創造
通学区域
- 三原市立南小学校の通学区域の一部[2][3]
- 宮沖一丁目~五丁目・円一町一丁目~五丁目・港町二丁目
- 三原市立田野浦小学校の通学区域全域
- 明神一丁目~五丁目・田野浦一丁目~三丁目・青葉台・宗郷一丁目~五丁目・和田一丁目~三丁目・貝野町・登町・和田沖町
周辺
すぐ西側を呉線が走る。
- 広島県立三原高等学校
- 三原市立南小学校(現在移転)
- 三原宮沖郵便局
主な出身者
- 田口信教(競泳選手、1972年ミュンヘンオリンピック100m平泳ぎ金メダリスト)
- 早稲田昇(競泳選手、1968年メキシコオリンピック日本代表)
- 川西蘭(作家・僧侶)
- 仁井谷正充(コンパイル創業者)
- Leyona(歌手)
- 川本大輔(プロ野球・読売ジャイアンツ元投手)[4]
- 片山純一(元社会人野球選手)
アクセス
脚注
- ^ “広島県所属中学コード表 - 教育開発ONLINE” (PDF). 2020年10月10日閲覧。
- ^ “市立中学校通学区域一覧表”. 三原市教育委員会. 2018年9月9日閲覧。
- ^ 三原市立南小学校の通学区域のうち、皆実一丁目~六丁目・宮浦二丁目・宮浦三丁目は三原市立宮浦中学校の通学区域となる。
- ^ 第72回 センバツ高校野球大会 - 広陵