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2022年10月7日 (金) 10:13時点における版
岡崎市立葵中学校 | |
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北緯34度58分27.99秒 東経137度10分32.49秒 / 北緯34.9744417度 東経137.1756917度座標: 北緯34度58分27.99秒 東経137度10分32.49秒 / 北緯34.9744417度 東経137.1756917度 | |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 岡崎市 |
設立年月日 | 1947年4月 |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 3学期制 |
学校コード | C123210001386 |
所在地 | 〒444-0078 |
外部リンク |
公式サイト(新) 公式サイト(旧) |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
岡崎市立葵中学校(おかざきしりつ あおいちゅうがっこう)は、愛知県岡崎市伊賀新町にある公立中学校。
概要
1947年(昭和22年)4月に創立した。創立時の生徒数は583名。
調査日 | 児童数 | 通常学級 | 特別支援学級 | 出典 |
---|---|---|---|---|
2013年4月8日 | 705人 | 19 | 3 | [1] |
2019年5月1日 | 720人 | 21 | 2 | [2] |
2020年5月1日 | 724人 | 21 | 2 | [3] |
2021年5月1日 | 729人 | 20 | 4 | [4] |
2022年5月1日 | 713人 | 19 | 4 | [5] |
部活動は、陸上部(男女)、水泳部(男女)、野球部、ソフトボール部(女)、卓球部(男女)、剣道部(男女)、柔道、ソフトテニス部(男女)、バスケットボール部(男女)、ハンドボール部(男)、サッカー部、バレーボール部(女)、駅伝部(男女)、吹奏楽部、メディア部、芸術部、科学技術部がある[6]。
学区
小学校名 | 町名 |
---|---|
井田小学校 (全域) |
石神町、松橋町、真伝1丁目、真伝2丁目、真伝吉祥1丁目、真伝吉祥2丁目、井田町、 真伝町(字吉祥・字清水谷のうち通称滝団地を除く。)、伊賀新町(5番地・9番地~15番地・20番地~122番地)、 稲熊町字石神、稲熊町字後田(愛知県立岡崎北高等学校東門に通ずる東西の道路以北)、 稲熊町字山神戸(1番地1~3番地1・32番地~37番地・40番地1~40番地6・40番地10~40番地16・40番地19~40番地35・41番地1を除く。)、 鴨田町字南魂場、東阿知和町字片坂、東阿知和町字松坂 |
愛宕小学校 (全域) |
能見町、東能見町、能見通、六供本町、伊賀町(429番地~438番地2・138番地5・439番地2・449番地~479番地2)、 伊賀町字愛宕下、伊賀町字南郷中、伊賀町字愛宕山、伊賀町字地蔵ヶ入、伊賀町字3丁目(29番地~36番地・69番地~75番地7を除く。)、 伊賀町字4丁目、伊賀町字5丁目、伊賀町字6丁目、六供町字甲西、六供町字甲越、六供町字出崎、六供町字三ツ岩、六供町字西茶臼、 六供町字西二本木、六供町字清水、六供町字三本松、六供町字東二本木、六供町字一本松、六供町字八貫、 六供町字1丁目(1番地~84番地)、六供町字2丁目(23番地~29番地・32番地1~41番地・42番地2~42番地7) |
広幡小学校 (一部) |
伊賀町(130番地~428番地・438番地4・439番地1・440番地1~448番地1)、伊賀町字2丁目、伊賀町字7丁目、 伊賀町字下河原、伊賀町字西郷中、伊賀町字東郷中、 伊賀新町(1番地1~1番地7・2番地3・2番地4・3番地1~4番地4・6番地1~8番地13・16番地1~19番地16・126番地~128番地・132番地~134番地)、 井田町(549番地1~564番地2・565番地1・565番地6・565番地9・565番地10・565番地11・565番地12・571番地1・571番地2・572番地)、 井田町字山王、井田町字寺前(11番地1~24番地2)、井田町字中屋敷(45番地~51番地1・51番地5・69番地1)、 井田町字南(36番地1・36番地5~36番地9・38番地2・38番地3)、 井田町字宮ノ腰(6番地1~10番地4・13番地2・14番地1・14番地2・27番地1・27番地3~28番地1) |
沿革
- 1947年(昭和22年)4月 - 開校。
- 1961年(昭和36年)4月 - 岡崎市立城北中学校の新設に伴い学区の再編成が行われる。
- 1986年(昭和61年)4月 - 葵中学は校則から「丸刈り」を削除。しかし新入生パンフレットの「男子は丸刈りとする」との文言はそのままにされた[7]。
- 1987年(昭和62年)
- 1988年(昭和63年)
- 4月 - 岡崎市立北中学校の新設に伴い学区の再編成が行われる。
- 4月25日 - 文部省初等中等教育局長は都道府県教育委員会に対し、校則の見直しを指示。管理教育の雪どけが始まる[15][16][17][18]。
- 5月30日 - 愛知県教育委員会は県の地方事務所と市教委の生活指導主事らを集めて「校則見直し」の指導を通知[18]。
- 10月21日 - 名古屋弁護士会(現・愛知県弁護士会)は葵中学に対し、頭髪規制を廃止するよう勧告[7][19]。これに対し校長は「開校以来わが校は丸刈りで、父母も多数が支持しており違和感なく定着している。(中略)丸刈りが人権侵害なら、全国三分の一の中学で人権侵害が行われていることになってしまう」と答えた[20]。葵中学では頭髪規制はその後も見直されず、南中学校が1991年9月に撤廃[21]したあとにようやく自由化された。
交通アクセス
- 名鉄バス「石神橋」下車、徒歩5分
著名な出身者
- 大宮龍男 (元プロ野球選手)[22]
- 木俣達彦 (元プロ野球選手)[23]
- 中嶋悟 (元レーシングドライバー)[24]
- 柄澤照文(ペン画家)[25]
- 加藤久仁彦 (歌手・狩人のメンバー、兄)
- 加藤高道 (歌手・狩人のメンバー、弟)
- 青木源太 (元日本テレビアナウンサー)[26]
- 神道裕 (元お笑いタレント)[27]
- 安田美南(バレーボール選手:NECレッドロケッツ)
- 虫眼鏡(YouTuber・東海オンエアのメンバー)
脚注
注釈
- ^ 自民党議員により提出された国家秘密法案(スパイ防止法案)は1985年の国会で審議未了廃案になっていたが、制定に向けた動きは止まなかった。1987年、岡崎市で市民グループ「国家秘密法はいやだ! 緊急市民連絡会」が結成され、森山昭雄は代表に就任した。しかし同年4月以降、森山は丸刈り校則撤廃運動に関わるざるを得なくなり、急遽、牧師の杉本誠が団体代表を引き継いだ[9]。
- ^ 1994年11月27日、西尾市立東部中学校の2年生の男子生徒が同級生11人からいじめを受け、110万円もの現金を脅しられたことを苦にして自殺[10]。「愛知県西尾市中学生いじめ自殺事件」として広く知られることとなったこの事件で、愛知県教育委員会は校長、教頭の処分の際、市教委から提出された「内申」の文書を非公開とする決定をした[11]。「岡崎の教育を考える市民の会」代表として市民活動を行っていた森山昭雄はこの決定に異を唱え、県公文書公開条例に基づき公開請求した。非公開の決定→異議申し立て→異議申し立て棄却となるも森山はあきらめず、文書公開を求め、1996年7月25日に名古屋地裁に提訴した[11]。
出典
- ^ “教育要覧(平成25年度)” (PDF). 岡崎市教育委員会. pp. 106-107 (2013年7月). 2020年7月26日閲覧。
- ^ “教育要覧(令和元年度)” (PDF). 岡崎市教育委員会. pp. 120-121 (2019年8月). 2020年7月26日閲覧。
- ^ “教育要覧(令和2年度)” (PDF). 岡崎市教育委員会. pp. 122-123 (2020年9月). 2020年9月27日閲覧。
- ^ “教育要覧(令和3年度)” (PDF). 岡崎市教育委員会. pp. 120-121 (2021年9月). 2021年10月5日閲覧。
- ^ “教育要覧(令和4年度)” (PDF). 岡崎市教育委員会. pp. 120-121 (2022年9月). 2022年9月27日閲覧。
- ^ 平成25年度学校要覧岡崎市立葵中学校公式サイト
- ^ a b 『中日新聞』1988年10月22日付朝刊、30面、「『丸刈り指導やめよ』 名古屋弁護士会が岡崎の中学に勧告 生徒の人権侵害」。
- ^ 愛知教育大学・森山昭雄教授による意見書(その他全般の項目に関して) - オフィシャルPro|NACS-J
- ^ 杉本誠、名古屋「青春を返せ訴訟」弁護団『統一協会信者を救え―杉本牧師の証言』緑風出版、1993年10月15日、256-257頁。ISBN 978-4846193713。
- ^ 『中日新聞』1994年12月13日付夕刊、11面、「中1男子首つり自殺 岡崎 父経営の工場で 昨日 下校途中、行方不明に」。
- ^ a b 『中日新聞』1996年7月25日付夕刊、第2社会面、14面、「校長ら処分関連の文書 非公開取り消しを 清輝君事件で愛教大教授提訴」。
- ^ 森山昭雄編『全国縦断 丸刈り強制イヤです!』風媒社、1992年3月15日、177-179頁。
- ^ 熊本地方裁判所判決 昭和60年11月13日 、昭和58(行ウ)3等、『校則一部無効確認等請求,服装規定無効確認等請求事件』。
- ^ 『中日新聞』1987年6月17日付朝刊、県内版、12面、「中学生の丸刈り 論戦“カミ”あわず 岡崎市議会委 委員(なぜ中学生だけ) 教委(校長の裁量権)」。
- ^ 児山正史. “校則見直しに対する文部省・教育委員会の影響(1) 公共サービスにおける利用者の自由”. CiNii. 2021年6月28日閲覧。
- ^ “岡崎市議会 昭和63年6月 定例会 06月08日-08号”. 岡崎市会議録検索システム. 2021年6月22日閲覧。
- ^ “生徒指導関係略年表について”. 文部科学省. 2021年6月29日閲覧。
- ^ a b 森山昭雄『丸刈り校則 たった一人の反乱』風媒社、1989年3月31日、100-101頁。
- ^ 森山昭雄『丸刈り校則 たった一人の反乱』風媒社、1989年3月31日、119-120頁。
- ^ 森山昭雄『丸刈り校則 たった一人の反乱』風媒社、1989年3月31日、114頁。
- ^ “岡崎市議会 平成3年9月 定例会 09月05日-20号”. 岡崎市会議録検索システム. 2020年7月23日閲覧。
- ^ ドラゴンズ人名事典ドラおた
- ^ “『月報 岡崎の教育』1980年12月号” (PDF). 岡崎市教育ポータルサイト OKリンク. 岡崎市教育委員会. 2022年6月13日閲覧。
- ^ 「こころは三河 私の古里」 『中日新聞』2014年4月21日付朝刊、三河版、12面。
- ^ 柄澤照文「ペン画家のみた岡崎の風景~鳥瞰画の視点から~」『第2回「岡崎学―岡崎を考える―」講演録』、岡崎大学懇話会、2007年6月、92頁。
- ^ 青木源太 Twitter 2018年8月4日 午後11:34
- ^ 辻紗貴子「こころは三河 私の古里 お笑い芸人 神道裕さん」 『中日新聞』2013年12月16日付朝刊、三河版、16面。