「五島市立椛島小中学校」の版間の差分
表示
削除された内容 追加された内容
m Botによる: Bot作業依頼 学校InfoboxからTemplate:画像募集中を除去 |
m Bot作業依頼: 学校インフォボックステンプレート統合に伴う変更 (Template:Infobox 日本の学校) - log |
||
1行目: | 1行目: | ||
{{日本の |
{{Infobox 日本の学校 |
||
|校名=五島市立椛島小中学校 |
|校名=五島市立椛島小中学校 |
||
|画像 = |
|画像 = |
2022年10月7日 (金) 10:45時点における版
五島市立椛島小中学校 | |
---|---|
北緯32度45分26秒 東経128度59分22秒 / 北緯32.757167度 東経128.989472度座標: 北緯32度45分26秒 東経128度59分22秒 / 北緯32.757167度 東経128.989472度 | |
過去の名称 | 福江市立椛島小中学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 五島市 |
併合学校 |
【小学校】 福江市立本窯小学校 福江市立伊福貴小学校 【中学校】 福江市立本窯中学校 福江市立伊福貴中学校 |
校訓 | 規律・勤勉・礼儀(中学校) |
設立年月日 |
【中学校】 1965年(昭和40年)4月1日 【小学校】 1974年(昭和49年)4月1日 |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 3学期制 |
学校コード |
C142210000570 中学校) B142210001027 (小学校) | (
所在地 | 〒853-2481 |
長崎県五島市伊福貴町931番2号 | |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
五島市立椛島小中学校(ごとうしりつ かばしましょうちゅうがっこう)は、長崎県五島市伊福貴(いふき)町(五島列島椛島)にある公立小・中併設校。略称「椛小」・「椛中」。中学校は2012年(平成24年)以降、小学校は2017年(平成29年)以降休校となっている[1][2]。
2018年(平成30年)4月より、五島市立福江小学校・五島市立福江中学校の椛島分校となった[3]。
概要
- 校訓
- 「元気に 楽しく たくましく」
- 学校教育目標
- 「かわいく がんばり しんじて まなぶ」
- 校章
- 校名の椛(樺)にちなみ、樺の木の葉を3枚並べたものを背景にして中央に小学校は「椛小」、中学校は「椛中」の文字(縦書き)を置いている。
- 校歌
- 小中学校共通の校歌となっている。作詞・作曲ともに小田留吉による。歌詞は3番まであり、校名は登場しない。
- 旧校歌 - 作詞は月川東白、作曲は楠本信祐による。歌詞は3番まであり、各番に校名の「椛島小学校」が登場する。
- 校区
- 住所表記で五島市の後に「伊福貴町、本窯町」が続く地区(椛島全域)[4]。
沿革
小学校
- 前史(本窯小学校)
- 1874年(明治7年)3月10日 - 民家を借用して校舎とし、「第五大学区 第五中学区 長崎県管下松浦郡 樺島[5]小学校」が開校。伊福貴分校を設置。
- 後に児童数の増加により、樺島神社の拝殿を使用して授業を行う。
- 1878年(明治11年)- 郡制の施行により、松浦郡は東西南北の4郡に分けられ、樺島は南松浦郡に属することとなる。学区の改正により「福江部 樺島小学校」に改称。
- 1880年(明治13年)- 教育令の施行により「樺島学区 公立下等樺島小学校」に改称。
- 1882年(明治15年)- 「樺島学区 公立中等樺島小学校」に改称。
- 1883年(明治16年)- 校舎を新築。
- 1886年(明治19年)9月 - 小学校令の施行により、「尋常樺島小学校」に改称。修業年限を4年とする。
- 1889年(明治22年)4月 - 町村制の施行により、樺島村立の小学校となる。
- 1893年(明治26年)4月 - 小学校令の改正により、「樺島尋常小学校」に改称(「尋常」の位置が変わる)。
- 1894年(明治27年)- 樺島村本窯郷先窯に校舎を新築。
- 1900年(明治33年)7月 - 豪雨により裏山が崩落し、校舎が倒壊。校舎復旧までの間、仮校舎での分散授業を余儀なくされる。
- 1901年(明治34年)5月 - 新校舎が完成。
- 1903年(明治36年)6月 - 樺島実業補習学校(修業年限2年)を併設。
- 1908年(明治41年)4月 - 小学校令の改正により、義務教育年限が4年から6年に延長されたため、尋常科5年を新設。伊福貴分校が分離し「伊福貴尋常小学校」として独立。
- 1909年(明治42年)4月 - 尋常科6年を新設。
- 1918年(大正7年)9月 - 校舎を移転。
- 1919年(大正8年)4月 - 高等科を併置し、「樺島尋常高等小学校」に改称(尋常科6年・高等科2年)。
- 1925年(大正14年)5月 - 校旗および万国旗が寄贈される。
- 1935年(昭和10年)- 青年学校令の施行により、併置の樺島実業補習学校が「樺島青年学校」に改称。
- 1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令の施行により「樺島第一国民学校」に改称。尋常科を初等科に改める(初等科6年・高等科2年)。
- 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革(六・三制の実施)が行われる。
- 国民学校の初等科が改組され、「樺島村立第一小学校」に改称。
- 国民学校の高等科と青年学校の普通科が改組され、新制中学校「樺島村立第一中学校」が発足。当初小学校に併設される。
- 1949年(昭和24年)4月1日 - 「樺島村立本窯小学校」に改称。
- 1953年(昭和28年)9月 - 新校舎が完成。
- 1957年(昭和32年)3月31日 - 樺島村が福江市に編入され「福江市立本窯小学校」に改称。
- 1960年(昭和35年)4月 - 児童数が最大の216名を記録する。
- 1965年(昭和40年)4月1日 - 中学校統合(本窯中学校と伊福貴中学校の統合で「福江市立椛島中学校」が発足)により、中学校との併設を解消。
- 1966年(昭和41年)6月 - パン・ミルク給食を開始。
- 1973年(昭和48年)12月11日 - 創立100周年記念式典を挙行。
- 1974年(昭和49年)3月31日 - 小学校統合のために閉校(最終所在地:北緯32度46分5.8秒 東経128度59分50.1秒)。
- 前史(伊福貴小学校)
- 1874年(明治7年)3月10日 - 伊福貴村の伊福貴神社・蛭子神社を借用して校舎とし、「第五大学区 第五中学区 長崎県管下松浦郡 樺島小学校 伊福貴分校」が開校。
- 1894年(明治27年)- 仮校舎を桑原嘉末の旧宅に移転。
- 1902年(明治35年)- 校舎を新築し移転。
- 1903年(明治36年)6月 - 樺島実業補習学校 伊福貴分校(修業年限2年)を併設。
- 1904年(明治37年)4月 - 児童数が最大の295名を記録。
- 1908年(明治41年)4月 - 樺島小学校から分離し「伊福貴尋常小学校」として独立。
- 1912年(明治45年)4月 - 樺島実業補習学校伊福貴分校が「伊福貴実業補習学校」となる。
- 1919年(大正8年)4月 - 高等科を併置し、「伊福貴尋常高等小学校」に改称(尋常科6年・高等科2年)。
- 1935年(昭和10年)- 青年学校令の施行により、併置の伊福貴実業補習学校が「伊福貴青年学校」に改称。
- 1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令の施行により「樺島第二国民学校」に改称。尋常科を初等科に改める(初等科6年・高等科2年)。
- 1943年(昭和18年)8月 - 新校舎が完成。
- 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革(六・三制の実施)が行われる。
- 国民学校の初等科が改組され、「樺島村立第二小学校」に改称。
- 国民学校の高等科と青年学校の普通科が改組され、新制中学校「樺島村立第二中学校」が発足。
- 1949年(昭和24年)4月1日 - 「樺島村立伊福貴小学校」に改称。
- 1954年(昭和29年)
- 2月 - 校旗を制定。
- 5月 - 校歌を制定。
- 1955年(昭和30年)5月 - 第二運動場が完成。
- 1957年(昭和32年)3月31日 - 樺島村が福江市に編入され「福江市立伊福貴小学校」に改称。
- 1960年(昭和35年)4月 - 児童数が最大の216名を記録する。
- 1965年(昭和40年)4月1日 - 中学校統合(本窯中学校と伊福貴中学校の統合で「福江市立椛島中学校」が発足)により、中学校との併設を解消。
- 1966年(昭和41年)9月 - 高度へき地給食を開始。
- 1973年(昭和48年)3月24日 - 創立100周年記念式典を挙行。
- 1974年(昭和49年)3月31日 - 小学校統合のために閉校(最終所在地:北緯32度45分2.8秒 東経128度58分29.9秒)。
- 統合・椛島小学校
- 1974年(昭和49年)4月1日 - 上記2校が統合され「福江市立椛島小学校」が開校。
- この時点では校舎および通学路が未完成であったため、完成するまでの間、旧2校の校舎を「本窯校舎」・「伊福貴校舎」として使用を継続。
- 1970年(昭和50年)[いつ?]
- 3月 - 現在地に新校舎が完成。開校式を挙行し、新校歌を披露。
- 5月 - 体育館が完成。
- 1976年(昭和51年)
- 3月 - 校旗が寄贈される。
- 4月 - 伊福貴通学路が開通。
- 1978年(昭和53年)9月 - 校門門柱が設置される。
- 1979年(昭和54年)9月 - 運動場が整備される。
- 1984年(昭和59年)4月 - 完全給食を開始。
- 1987年(昭和62年)9月 - 長崎市立西坂小学校とへき地交流学習を行う。
- 1992年(平成4年)4月1日 - 福江市立椛島中学校との併設校となる。
- 1994年(平成6年)4月1日 - 福江市立椛島中学校との併設を解消。
- 2004年(平成16年)8月1日 - 市町村合併で五島市が発足したことにより、「五島市立椛島小学校」(現校名)へ改称。
- 2007年(平成17年)4月1日 - 再び五島市立椛島中学校との併設校となる。
- 2011年(平成23年)4月1日 - 特別支援学級を設置。
- 2012年(平成24年)4月1日 - 五島市立椛島中学校の休校により、小学校単独となる。
- 2017年(平成29年)3月31日 - 休校。
- 2018年(平成30年)4月1日 - 統合により「五島市立福江小学校 椛島分校」となる[3]。
中学校
- 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革により、樺島村内の国民学校2校の高等科および青年学校の普通科が改組され、新制中学校が設置される。
- 「樺島村立第一中学校」・「樺島村立第二中学校」
- 1949年(昭和24年)4月1日 - 「樺島村立本窯中学校」・「樺島村立伊富貴中学校」に改称。
- 1957年(昭和32年)3月31日 - 市町村合併により「福江市立本窯中学校」・「福江市立伊富貴中学校」に改称。
- 1961年(昭和36年)4月 - 福江市立本窯中学校の在籍生徒数が最大の91名を記録する。
- 1964年(昭和39年)4月 - 福江市立伊富貴中学校の在籍生徒数が最大の152名を記録する。
- 1965年(昭和40年)4月1日 - 上記2校を統合の上、「福江市立椛島中学校」を設置。
- 統合校舎が完成するまでの間、旧2校の校舎をそれぞれ「本窯分室」(3学級)・「伊富貴分室」(3学級)として分散授業を実施。
- 1966年(昭和41年)
- 3月 - 統合新校舎が完成。
- 4月1日 - 統合新校舎に本窯分室・伊富貴分室の生徒を収容し、各分室を廃止。学級数は6、在籍生徒数は188名。
- 4月6日 - 新校舎で授業を開始。
- 9月 - ミルク給食を開始。
- 1975年(昭和50年)5月 - へき地集会所が完成。
- 1983年(昭和58年)3月 - 運動場を拡張。
- 1984年(昭和59年)4月 - 完全給食を開始。
- 1986年(昭和61年)7月 - 体験学習の一環として第1回筏航海を実施。
- 1987年(昭和62年)10月 - 校旗を制定。
- 1992年(平成4年)4月1日 - 福江市立椛島小学校との併設校となる。
- 1994年(平成6年)4月1日 - 福江市立椛島小学校との併設を解消。
- 2004年(平成16年)8月1日 - 市町村合併で五島市が発足したことにより、「五島市立椛島中学校」へ改称。
- 2007年(平成17年)4月1日 - 再び、五島市立椛島小学校との併設校となる。
- 2012年(平成24年)4月1日 - 休校。
- 校章 - 背景は小学校と同じく、校名の椛(樺)にちなみ、樺の木の葉を3枚並べたもので、中央に「中」の文字を置いている。
- 校歌 - 作詞・作曲ともに小田留吉による。歌詞は3番まであり、校名は登場しない。
- 校訓 - 「規律・勤勉・礼儀」
- 2018年(平成30年)4月1日 - 統合により「五島市立福江中学校 椛島分校」となる[3]。
交通アクセス
- 最寄りの道路
周辺
参考資料
- 「福江市史」(2001年(平成13年)3月31日)p. 589 -(小学校)、p.441 - (中学校)
脚注
- ^ 島のみんなが先生役~児童1人の小学校で~
- ^ 毎日新聞 1人だけの卒業 五島の椛島小、在校生おらず休校式も /長崎 2017年3月18日
- ^ a b c 平成30年3月定例教育委員会資料 (PDF) - 長崎県教育委員会ウェブサイト
- ^ 就学指定学校及び区域外通学について - 五島市ウェブサイト
- ^ 以前は「樺」と表記されていた。