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2022年10月7日 (金) 13:12時点における版
上宮学園中学校 | |
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北緯34度39分44.4秒 東経135度31分14.7秒 / 北緯34.662333度 東経135.520750度座標: 北緯34度39分44.4秒 東経135度31分14.7秒 / 北緯34.662333度 東経135.520750度 | |
国公私立の別 | 私立学校 |
設置者 | 学校法人上宮学園 |
設立年月日 | 2018年(平成30年) |
共学・別学 | 男女共学 |
学校コード | C127310000201 |
所在地 | 〒543-0037 |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
上宮学園中学校(うえのみや がくえん ちゅうがっこう、英称:Uenomiya Gakuen Junior High School)は、大阪府大阪市天王寺区上之宮町にある私立の中学校。上宮高等学校併設の「上宮中学校」が、系列の上宮太子中学校(大阪府太子町)とともに廃校となり、2中学を統合した形で2018年(平成30年)度に新設された。設置者は学校法人上宮学園。
概要
団塊ジュニア世代の卒業した1990年代から始まった少子化と私立中学校受験者の激減に伴い、近畿圏の私立中学校のレベルが低下し、入試レベルも二極化。一方で中学校の数は変わらないため、大阪府内の私立中の3分の1が定員割れとなった。
上宮中学校は「レベル的に言えば特進(コース)で偏差値50ほど、アップコースで45と言っている」状況で、同じ難関の私立中も「偏差値が50あるならば、明星・清風・大阪女学院に十分合格できる(40台でも合格する可能性は高くなっている)」状況まで落ち込んでいた。また、太子町にある上宮太子中学校も2014年(平成26年)度の入試で「『1次B』の手続き者が『0』」となるなど「毎年生徒募集には苦労」しており[1]、上宮中学校と上宮太子中学校の2校を統廃合する形で開校した。
上宮高等学校と共通の校舎(本館および新校舎)は、大阪府近代化遺産(建造物等)となっている。図書館は府内の学校でも5本の指に入る広さと5万冊を超える蔵書数(年2回新しい本を約1000冊購入している)。江戸時代の掛け軸など多数の歴史的学術資料を有しており、織田作之助の文学にも登場する。2007年春には、高校OBで直木賞作家司馬遼太郎の在校時の作品が発見された。
大阪府内でも珍しい屋内プールがあり、水泳活動が年中でき、水泳部の部活も充実している。
沿革
母体の上宮高等学校は浄土宗知恩院派によって1890年(明治23年)創立の浄土宗教校大阪校を源流とする大阪で最古の私学で、1912年(明治45年)3月に旧制中学校「上宮中學校」として設立を文部省から認可(告示第86号[2])。その旧制中学を母胎として1947年(昭和22年)、太平洋戦争後の学制改革に伴う新制の中学校「上宮中学校」が設置された。
1967年に生徒募集を休止。長らく事実上の廃校となっていたがバブル景気の1980年代に太子町に移転し「上宮太子中学校」として復活開校。1993年(平成5年)新たに「上宮中学校」が天王寺区に開校された。
年表
- 1947年(昭和22年) - 学制改革に伴い、新制の「上宮中学校」認可、発足
- 1948年 - 4月1日、新制の「上宮高等学校」認可、発足
- 1952年 - アメリカなどGHQ占領軍による本校舎の接収が解除。清堀校舎(現・大阪市立高津中学校の場所)より本校舎へ復帰
- 1966年 - 大阪府太子町に太子町校地を造成、完了
- 1967年 - 上宮中学校の生徒募集を休止(事実上の廃校)
- 1985年 - 上宮中学校を復活する形で、太子町に「上宮中学校」開校
- 1988年 - 上宮高等学校太子町学舎が開校
- 1991年(平成元年) - 太子町学舎が「上宮太子高等学校」として独立
- 1993年 - 3月28日、新たな「上宮中学校」(天王寺区)認可。4月1日、開校(太子町の上宮中学校を「上宮太子中学校」と改称)
- 2002年 - 上宮中学校に特進コースを設置
- 2011年 - 4月、高校も含め男女共学に
- 2018年 - 上宮中学校と上宮太子中学校の廃止が決まり(募集停止)、新たに「上宮学園中学校」が天王寺区に開校[3]
- 2019年 - 天王寺区の南敷地に校舎完成(創立130周年記念事業の一環)
- 2020年(令和2年) - 3月、上宮太子中学校が卒業式を挙行し廃校[4]
基礎データ
生徒数
学則定員(各3学年合計)480名[5]。2020年(令和2年)度の入学者(1年生)111名[6]。
諸費用
初年度の費用(授業料など)は、126万円(2019年度の実績[6])。
交通アクセス
鉄道
バス
- 大阪シティバス「上本町八丁目」停留所より東へ徒歩2分
象徴
校訓・学順
- 校訓は「正思明行」(せいしめいこう)で、「正しく考え、明らかに行動する」という意味である[5]。
- 学順とは、上宮独自の教訓のことである。
「一に掃除、二に勤行、三に学問」であり、身の回りを学習に専念できる環境に整えてから、学問に励む、という意味である[5]。 勤行の読み方は上宮内だけの特殊な読み方で「ごんぎょう」ではなく「きんぎょう」である。
校歌
浄土宗宗歌と同じく法然上人の詠んだ歌で、「月影」と呼ばれており、日本で一番短い校歌としても有名でテレビで取り上げられたこともある[5]。
「月影の いたらぬ里は なけれども 眺むる人の 心にぞ澄む」
校内では毎朝8時20分月影が流れている。 毎朝8時25分には月影 鐘verで流れている。
制服
男子の制服はV字型の詰襟で、女子の制服は丸襟ブラウスとノーカラージャケット、フレアスカート[6]。
授業
設置学科・コース
「特進コース」「Gコース」がある[6]。
部活動
学校行事
修学旅行
2019年(令和元年)の場合、3年生は9月にシンガポールへ修学旅行を行った[7]。
ちなみに旧「上宮中学校」の修学旅行先は東北・北海道(4泊5日)で、沖縄県だった時もあった。2011年・2012年度は、東日本大震災の影響で熊本県・大分県に変更。2014年度は長崎県4泊5日の予定が、熊本地震の影響で東京都4泊5日に変更となった。
著名な出身者
上宮中学校
- 内本隆文 - ソフトテニス、アジアソフトテニス選手権2016シングルス金メダル、ダブルス銀メダル
- 丸山海斗 - ソフトテニス、アジアソフトテニス選手権2016ダブルス銀メダル[8]
脚注
- ^ 平成25年度事業報告書 - 上宮学園中学校
- ^ 1912年(明治45年)3月26日官報
- ^ 大阪の私立校が募集枠発表 高校と中学、平成30年度 - 産経新聞2017年(平成29年)11月10日
- ^ 学校(学科)新設・廃止等一覧(R1→R2) - 大阪府
- ^ a b c d 平成30年度事業報告書
- ^ a b c d 学校案内2021年度中学パンフレット
- ^ 2019中学修学旅行 - UENOMIYA 上宮学園中学校・上宮高等学校
- ^ 卒業生の活躍 -ソフトテニス部- UENOMIYA 上宮学園中学校・上宮高等学校 - 上宮学園中学校2019年(令和元年)11月8日
関連項目
- 上宮高等学校
- 上宮太子高等学校 - 系列学校
- 大阪府中学校の廃校一覧
- 大阪府中学校一覧
- 大阪府高等学校一覧