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2022年10月7日 (金) 13:27時点における版
玄海町立有浦中学校 | |
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北緯33度28分4秒 東経129度51分22秒 / 北緯33.46778度 東経129.85611度座標: 北緯33度28分4秒 東経129度51分22秒 / 北緯33.46778度 東経129.85611度 | |
過去の名称 | 有浦村立有浦中学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 玄海町 |
設立年月日 | 1947年(昭和22年)4月 |
閉校年月日 | 2015年(平成27年)3月31日 |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 3学期制 |
所在地 | 〒847-1421 |
佐賀県東松浦郡玄海町大字新田1809番地6 | |
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玄海町立有浦中学校(げんかいちょうりつ ありうらちゅうがっこう)は佐賀県東松浦郡玄海町大字新田にかつて存在した町立の中学校。2015年(平成27年)3月末に閉校した。
概要
- 歴史
- 1947年(昭和22年)の学制改革により、新制中学校「有浦村立有浦中学校」として有浦村立有浦小学校に併設される。現校名になったのは1956年(昭和31年)。1974年(昭和49年)に現在地に移転。創立から68年目の2015年(平成27年)には、値賀小との統合により、玄海町立玄海中学校が新設。2017年(平成29年)には玄海小と玄海中の統合により、義務教育学校「玄海町立玄海みらい学園」が新設され、旧・有浦中学校校地に新校舎が建設された。
- 校章
- 「中」の文字と有浦のイニシャル「A」を図案化したものを組み合わせている。校旗は紫色の旗地に、金色の糸で「中」の文字が、銀色の糸で図案化した「A」がフチ取られている。
- 校歌
- 1958年(昭和33年)1月に制定。作詞は中島哀浪、作曲は豊増昇による。歌詞は3番まであり、各番に校名の「有浦」が登場する。
沿革
- 1947年(昭和22年)4月 - 学制改革(六・三制の実施)により、新制中学校「有浦村立有浦中学校」が開校。
- 校舎完成までの間、当面有浦村立有浦小学校に併設される。初代校長は中村円治。
- 1948年(昭和23年)5月 - 東側隣接地に木造2階建ての新校舎が完成。小学校校舎一部の借用を解消。
- 1956年(昭和31年)9月30日 - 玄海町の発足により、「玄海町立有浦小学校」に改称。
- 1957年(昭和32年)4月1日 - 石田、花の木、仮屋が有浦中学校区となる。
- 1958年(昭和33年)
- 1961年(昭和36年) - 生徒数が最大の524名(男子282名・女子242名)を記録する。木造2階建ての校舎(普通教室4・特別教室4)を増築。
- 1964年(昭和39年)から1967年(昭和42年)- 家事室・技術室・体育倉庫が完成。
- 1974年(昭和49年)7月 - 現在地に鉄筋コンクリート造3階建ての新校舎が完成し、移転を完了。
- 1975年(昭和50年)- 屋内運動場(体育館)が完成。
- 1976年(昭和51年)- プールが完成。
- 2015年(平成27年)3月31日 - 閉校。68年の歴史に幕を下ろす。
- 閉校後
- 2015年(平成27年)4月1日 - 玄海町内の中学校2校(有徳・値賀)が統合され、「玄海町立玄海中学校」が新設される。
- 同時期に新設された玄海町立玄海小学校とともに、小中一貫教育を開始。有浦中学校の校地に新校舎が完成。
- 2017年(平成29年)4月1日 - 玄海小学校と玄海中学校を統合の上、義務教育学校「玄海町立玄海みらい学園」が新設される。
交通
- 最寄りのバス停
- 昭和バス 「金の手」バス停
- 最寄りの幹線道路
周辺
- 玄海町総合運動場
- 玄海球場
- 玄海町町民会館
- 玄海町社会体育館
- ふるさと発想館
- 綿積神社
脚注
参考資料
- 「玄海町史 下巻」(2000年(平成12年)3月, 玄海町史編纂員会)p.242 - p.245