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「笠松町立笠松小学校」の版間の差分

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2022年10月7日 (金) 16:16時点における版

笠松町立笠松小学校
地図北緯35度22分13秒 東経136度45分36秒 / 北緯35.37022度 東経136.7599度 / 35.37022; 136.7599座標: 北緯35度22分13秒 東経136度45分36秒 / 北緯35.37022度 東経136.7599度 / 35.37022; 136.7599
国公私立の別 公立学校
設置者 笠松町
設立年月日 1872年
共学・別学 男女共学
学校コード B121230300019 ウィキデータを編集
所在地 501-6073
岐阜県羽島郡笠松町下新町171
外部リンク 公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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笠松町立笠松小学校(かさまつちょりつ かさまつしょうがっこう)は、岐阜県羽島郡笠松町下新町にある公立小学校

通学区域

  • 通学区域は上新町、中新町、下新町、新町、西宮町、東宮町、天王町、西町、柳原町、下本町、上本町、司町、港町、相生町、県町、八幡町、宮川町、二見町、奈良町、西金池町、東金池町、若葉町、上柳川町、下柳川町、門前町、泉町、清住町、弥生町、如月町、大池町、朝日町、美笠通1-3丁目、中川町、瓢町、友楽町、桜町、羽衣町、春日町、常盤町、東陽町、松栄町、緑町、月美町、田代の一部、円城寺の一部である[1]。公立中学校の進学先は笠松町立笠松中学校である。

沿革

  • 1872年明治5年)4月 - 羽栗郡笠松村、田代村徳田村の一部が共同で育英義校を創立。都合、東本願寺笠松別院瑞応寺で、南校と北校に分けての開校。
  • 1873年(明治6年) - 田代村が博習義校を設置し、離脱。
  • 1874年(明治7年)3月 - 岐阜県県庁舎(初代)(旧・笠松陣屋)に移転する。
  • 1874年(明治8年) - 徳田村、薬師寺村を通学区域とするの主敬学舎を吸収する。
  • 1880年(明治13年)1月 - 笠松学校に改称する。
  • 1886年(明治19年)10月 - 笠松尋常高等小学校に改称する。
  • 1889年(明治22年) - 笠松村が町制施行し、笠松町となる。
  • 1891年(明治24年)
    • 10月28日 - 濃尾地震により校舎が全壊する。
    • 12月 - 仮校舎が完成し、授業を再開する。
  • 1897年(明治30年) - 下印食村徳田村上印食村薬師寺村が合併し、八剣村が発足。旧徳田村、薬師寺村の生徒は八剣尋常小学校に編入される。
  • 1904年(明治37年) - 笠松商工補習学校を併設する。
  • 1907年(明治41年) - 夜間学校の工女夜学を設置する。
  • 1913年大正2年)9月 - 現在地に新校舎が完成し、移転する。
  • 1930年昭和5年) - 実践女学校を附設する。
  • 1941年(昭和16年)4月 - 笠松町立笠松国民学校に改称する。
  • 1947年(昭和22年)4月 - 笠松町立笠松小学校と改称。卒業生は笠松町立笠松中学校に進学する。
  • 1960年(昭和35年)3月 - 校舎(第一期工事)が完成する。
  • 1961年(昭和36年)3月 - 校舎(第二期工事)が完成する。
  • 1962年(昭和37年)3月 - 校舎(第三期工事)が完成する。
  • 1964年(昭和39年)
    • 4月 - 校舎(第四期工事)が完成する。
    • 7月 - プールが完成する。
  • 1965年(昭和40年)6月 - 校舎(第五期工事)が完成する。
  • 1974年(昭和49年)10月 - 西舎が完成する。
  • 1983年(昭和58年)1月 - 校舎の防音工事が完成する。
  • 2010年平成22年)10月 - 校舎の耐震工事が完成する。

交通機関

学校周辺

関連項目

脚注

  1. ^ 笠松町立小学校就学区域一覧表(羽島郡二町教育委員会)