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2022年10月7日 (金) 17:24時点における版

海陽町立浅川小学校
地図北緯33度37分32秒 東経134度21分36秒 / 北緯33.625556度 東経134.36度 / 33.625556; 134.36座標: 北緯33度37分32秒 東経134度21分36秒 / 北緯33.625556度 東経134.36度 / 33.625556; 134.36
過去の名称 浅川小学校
浅川村落小学校
公立浅川小学校
浅川簡易小学校
浅川尋常小学校
浅川尋常高等小学校
浅川村立尋常高等小学校
海部郡浅川尋常高等小学校
浅川国民学校
浅川村立浅川小学校
海南町立浅川小学校
国公私立の別 公立学校
設置者 海陽町
設立年月日 1873年(明治6年)
閉校年月日 2011年(平成23年)4月1日
共学・別学 男女共学
学期 3学期制
所在地 775-0101
徳島県海部郡海陽町浅川カミノ41-3
外部リンク 公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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海陽町立浅川小学校(かいようちょうりつ あさかわしょうがっこう)は、徳島県海部郡海陽町浅川カミノにあった公立小学校

校区の過疎化に伴い児童数減少が著しく、2010年度現在の在籍児童数は32名となっていた[1]

沿革

  • 1873年(明治6年)9月28日 - 浅川浦・江音寺に、浅川小学校として開校。
  • 1875年(明治8年)8月11日 - 浅川村落小学校と改称。
  • 1882年(明治15年)11月1日 - 公立浅川小学校と改称。
  • 1886年(明治19年)10月1日 - 浅川簡易小学校と改称。 - 児童数148名
  • 1888年(明治21年)4月1日 - 浅川尋常小学校と改称。 - 児童数102名
  • 1894年(明治27年)4月30日 - 浅川尋常高等小学校と改称。 - 児童数167名
  • 1909年(明治42年)4月1日 - 竹ノ内分校設置。
  • 1926年(大正15年)8月3日 - 徳島県浅川村立尋常高等小学校と改称。 - 児童数442名
  • 1932年(昭和7年)8月1日 - 徳島県海部郡浅川尋常高等小学校と改称。 - 児童数533名
  • 1941年(昭和16年)4月1日 - 浅川国民学校と改称。
  • 1946年(昭和21年)12月21日 - 昭和南海地震により、津波の被害を受ける。
  • 1947年(昭和22年)4月1日 - 浅川村立浅川小学校と改称。 - 児童数461名
  • 1955年(昭和30年)4月1日 - 町村合併に伴い、海南町立浅川小学校と改称。 - 児童数476名
  • 1956年(昭和31年)5月25日 - 校舎改築(木造2階建、460坪)。
  • 1965年(昭和40年)4月1日 - 竹ノ内分校,本校に統合。スクールバスでの通学となる。
  • 1971年(昭和46年)4月1日 - 海南町立浅川幼稚園を併設。
  • 1971年(昭和46年)7月20日 - プール竣工。 - 児童数235名
  • 1973年(昭和48年)9月28日 - 創立百周年記念行事を挙行。 - 児童数218名
  • 1976年(昭和51年)11月1日 - 浅川幼稚園を分離。
  • 1977年(昭和52年)2月28日 - 体育館完成。 - 児童数189名
  • 1982年(昭和57年)4月8日 - 校舎新築。 - 児童数165名
  • 2006年(平成18年)3月31日 - 町村合併に伴い、海陽町立浅川小学校と改称。
  • 2011年(平成23年)4月1日 - 海陽町立海南小学校海陽町立川上小学校と統合し、(新)海陽町立海南小学校設立、浅川小学校は閉校。

通学区域

  • 海陽町
    • 浅川
卒業生は基本的に海陽町立海南中学校へ進学していた。

周辺

アクセス

出身著名人

脚注

関連項目

外部リンク