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「ノート:分 (数)」の版間の差分

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:::(3)が3)4)6)に対する返答。5)の「基準は1でなくても別によいのですが、分 (数)の場合は、それが1だというだけのことです。」は断定的に聞こえます。
:::(3)が3)4)6)に対する返答。5)の「基準は1でなくても別によいのですが、分 (数)の場合は、それが1だというだけのことです。」は断定的に聞こえます。
:::(4)は報告です。以上--[[利用者:As6022014|As6022014]]([[利用者‐会話:As6022014|会話]]) 2023年9月28日 (木) 05:31 (UTC)
:::(4)は報告です。以上--[[利用者:As6022014|As6022014]]([[利用者‐会話:As6022014|会話]]) 2023年9月28日 (木) 05:31 (UTC)

>(1)それは「分」に限らず十進法なら・・・

このノートは、分 (数)についての議論ですから、無意味かつ無関係な主張です。「寸は尺の10分の1」であることは「分が寸の10分の1」であることとは別の話です。

>小泉は「錢、分、厘という方式がいつ始まったかは中国の歴史家もわからないという。」と言っていて、ということは、「分」が何に対する0.1を基に単位系が定められたかも本当のところ謎ということになります。

これはあなたの独自の判断です。小泉は方式の開始の時期が不明としか言っていません。

>小泉(1989)も「上位の単位」というぼやかした表現を用いている

これもあなたの独自判断です。「上位の単位」の表現は別にぼやかした表現ではありません。分 (数)の上位の単位は、寸や匁や度であることは文脈上明らかです。


>(2)「基本単位」は1に当たる場合が多いのは事実だが、すべてがそうではない。「基本単位」が10に当たる場合もある。そこはきちんと記述すべきと考えます。

 分 (数)についての記述において、なんのために、「基本単位」が10に当たる場合もあることを記述する必要があるのですか。全く必要ありません。読者が余計に混乱するだけです。

なお、「基本単位」の意義は、この分 (数)における基準となる単位(または小泉が言う「上位の単位」)とは全く異なる概念です。このことを理解していただけないのですか?

>「基本単位」という言い方は・・・法令にもある。

 「基本単位」の語は計量法関係法令には使われていません。商標法施行規則(昭和三十五年通商産業省令第十三号)のみに「誘導単位」とともに出てくるだけです。


>(3)最後の部分があたかも断定的に聞こえ、全体を10とする場合を伏せてい
ると受け取られても・・・

  断定的になど記述していません。他の文脈(または別の項)において全体を10とする場合があるなら、そのように記述すればよいことです。


あなたの御議論は御議論として、全体として、この項(分 (数)の項)の'''本文について、どのように修正・記述するとおっしゃるのか、一文一文、具体的に'''示していただけませんか。その具体的記述について生産的に議論をするようにいたしましょう。

なお、本文に追加されていた要出典のラベルは、このノートでの議論が終了するまでは削除いたします。一般に、論争が済むまでは、安定していた時点(ここでは、2023-06-12T15:07:18‎ )の記述に戻しておくのが慣例です。  --2023年10月1日 (日) 12:02 (UTC)

2023年10月1日 (日) 12:02時点における版

ーーーーーーーーーーーーー 編集者の指摘:分が十の一をあらわすことではなく、割が十の一の表現法である。だから、上記の説明は間違っている。--以上の署名のないコメントは、Inseop Hong会話投稿記録)さんが 2009年10月21日 (水) 13:20 (UTC) に投稿したものです。[返信]

1100との誤解」の項を設けるなど、上記の誤解を解くように記述しました。--Awaniko会話2015年6月7日 (日) 13:26 (UTC)[返信]

基準単位と基本単位

2023-09-20T07:25:23‎ と 2023-09-20T07:49:20 に「基本単位」と「基準単位」を取り違えた編集がなされました。

基本単位とは、SI基本単位(メートル、キログラム、秒など)や尺貫法における基本となる単位(尺、貫など)など、計量法規における物象の状態の量ごとの基本となる単位のことです。

これに対して、この「分 (数)」の記述における「基準単位」とは、「分」のもととなる単位(分の10倍の単位)のことを説明の便宜として用いています。

したがって長さの基準単位は、寸であり、分はその1/10です。質量の基準単位は匁であり、分はその1/10です。などなど・・・

以上のことから、記述を2023-06-12T15:07:18‎時点のものに差し戻しました。 --Awaniko会話2023年9月20日 (水) 13:41 (UTC)[返信]

仰ることもわかりますが、説明の便宜であるとしても寸や匁を「基準単位」と置くのは自己研究に他ならないと考えます。小泉(1989)が尺や両を東洋や日本・中国などにおける「基本的単位」と述べている以上、たとえ基本と基準の違いはあれど、読者に誤解を与えかねない内容であると考えます。--As6022014会話2023年9月21日 (木) 00:16 (UTC)[返信]
「分」が数として1100は誤解で、110を表すのであるという説明を強調したいがためにこのような記事になったのだと思います。学術論文・書籍など信頼ある出典に寸、匁、角を「基準単位」として設定する実例がない限りは百科事典としては不適切だと思いますが、個人的に講演などで説明する場面においては「基準単位」を設定する方法もありうるでしょう。しかしその場合も、その「基準」は本説明に限るものである旨、あらかじめ解説が必要です。
その場合、寸、匁、角(基準単位として設定されていますが、通貨の補助単位であり、読者の誤解を招きかねません)などはたまたま基本単位に対する110の補助単位として存在していたためにそのような説明も可能であったのでしょうけど、日本円に関しては角に相当する基準単位として置くべき単位が存在しないから、のような説明になっているのだと思いますが、これは読者を納得させるような説明ではありません。
また「基準」を 1 と置く、という現代的概念にこだわりすぎている様に感じました。もちろん学術的にはSIなど科学分野ではその通りですが、歴史的単位については「基準」が 10 である場合が少なくないということです。そうすれば基準と基本が一致し読者に対する誤解も解きやすいです。尺、両、圓にたいする分は、0.1割であると説明するほうが遥かに素直です。
また「百分の一を意味するとの誤解」の項目の「まるで分が1100を意味する分量単位であるかのように誤解されがちである。」の説明は正しくありません。最低限「分量単位である」部分は削除すべきです。
通貨の単位及び貨幣の発行等に関する法律では、第二条二項において「一円未満の金額の計算単位は、銭及び厘とする。この場合において、銭は円の百分の一をいい、厘は銭の十分の一をいう。」
度量衡法では、第三條 度の項目で「分 尺ノ百分ノ一」衡の項目で「分 貫ノ萬分ノ一」と定義されているのみで、基準単位云々の文言はありません。つまり、円、尺、貫の基本単位に対する分量単位として法的に定義されているだけです。
以上の提議に関して納得できる説明や返答がない場合は申し訳ございませんが、再度適正に差戻直させていただき、その場合「基準単位」は「基本単位」と読み替えさせていただきます。もちろん直ちにこのような編集を行うのではなく、コミュニティから広く意見を募られることは大いに歓迎いたします(お互いに独善的にならないためにも)。
よろしくお願いいたします。--As6022014会話2023年9月21日 (木) 04:17 (UTC)[返信]

分は1/10を表す数詞です。小泉袈裟勝は、分を次の3つに分けて記述しています(小泉袈裟勝、単位の辞典 改訂4版、p.249, 1981年7月、(株)ラテイス)。

  • 1)(種)無次元量 1/10,すなわち0.1をいう。
  • 2)(種)長さ 寸の10分の1
  • 3)(種)質量 匁の10分の1

これは、小泉(1974) p.345、小泉(1974)p.259、二村(2002) p.289 も同じ。

そして、小泉は、「分は一般に上位の単位の10分の1に当てられる。」 小泉(1989) p.233 としています。

したがって、分を説明するのに上位の単位(=基準単位)の1/10と説明することが正当です。2023年9月20日 (水) 13:41 (UTC)に述べたとおり、「基準単位」というのは、説明の便宜として使ったものです。「基準の単位」としてもいいでしょう。

計量の世界において、「基本単位」は国際単位系の中心概念の「SI基本単位」の意味であり、同じ概念は旧度量衡法でも採用していたので、その意味の「基本単位」と、この項での便宜的な「基準単位」とを間違える人はいないでしょう。通貨の補助単位と間違えることもないです。

伝統的日本語において、「七分袖」、「腹八分目」、「七分咲き」、「九分九厘」というように、全体を1として、それぞれ 0.7袖、腹0.8目、0.7咲き、0.99 の意味として使っています。この点からも全体を1とする記述が伝統的な考え方と一致しますので好ましいです。

「分」を、「分: 尺ノ百分ノ一」、「分: 貫ノ萬分ノ一」などと定義・説明した場合には、「分」の本質の説明にはなりえません。

(注)文献の著者・年・ページは、本文と同じもの  --Awaniko会話2023年9月21日 (木) 13:36 (UTC)[返信]

返答ありがとうございます。
改めて問います。
1.「基準単位」というものは本記事の説明の便宜のために、Awaniko会話)さんが独自に設定したものですか。
2.1.ではない場合、「寸や匁を基準単位とする」例が記述された出典を示してください。
小泉(1974)は、「分は一般に上位の単位の10分の1に当てられる。」と言っているのですね。しかし、それは「分」に限ったことではないです。寸は尺の10分の1、 mm は cm の10分の1などともいえます。「基準単位に対する10分の1に当てられる」とは書かれていません。記事では便宜的な「基準単位」と今回説明があったものが、その説明もなしに、あたかもその存在が事実かの如くの前提で書かれています。
「分」の本質の説明というのが、「分」の意味が無次元量の0.1という数を表しているのは疑いのない事実です。しかし、問いたいのは「基準単位1に対する110の分量単位と出典に明記されている」のか、です。「基準単位」は「基本単位」と違って学術用語ではないですよね。
一方で、「基本単位」は文献や、法令の条文で検証可能性を満たした事実です。歴史的には「尺」や「両」が基本単位、「分」が0.1ならこれらの基本単位は10に当たる。度量衡法(それをメートル法やヤードポンド法に対比して尺貫法という)では「尺」や「貫」を基本とし、「分」はそれぞれ1100110000と定義されている(けっして「分」が1100110000の数を意味するといっているのではない)。この場合は基本単位、「分」が0.1なら、基本単位「尺」は10、「貫」は1000に当たるというだけです。
記事の冒頭にある「数の単位としての分(ぶ、ぶん)は、主として尺貫法において、十分の一を表す分量単位である。」は、まず、「主として尺貫法において」と「分量単位である」部分が不適切です。あくまで度量衡法は基本単位に対する1100110000の分量単位で定義している(けっして「分」が1100110000の数を意味するといっているのではない)のであって、それを基準単位という便宜的に設定されたものに対する分量単位という風に言い換えてもいいのですか。度量衡法の条文の作成者は、歴史的に東洋では「分」が3 mm強、あるいは373 mg程度であったのをほぼ踏襲して、3.03・・mm、375 mgとなるように基本単位に対して定義しているのであって、「分」の原義である0.1という数や基準単位という概念まで論理的に考えていないと思います。
伝統的日本語において、「七分袖」、「腹八分目」、「七分咲き」、「九分九厘」、これらは確かに全体を1としている例です。しかし、そのような例「だけ」を挙げて、伝統的日本語があたかもそうである(すべて)と表しているがごとく述べるのは適切ではありません。伝統的日本語で全体を10とする例は無視されていますね。またSIの質量の基本単位はkgですが、これは1ではなく1000に当たりますね。別に基準(基本)は1でなくてよいのです。このように議論に都合の良い部分だけを抜き出して論ずるのは、錯誤相関を生み出す原因となります。例えば「クジラが海岸に打ち上げられれば大地震が起こる」みたいな。--As6022014会話2023年9月25日 (月) 04:15 (UTC)[返信]
1)「基準単位」は便宜のために使ったと前便でも申し上げました。また「基準単位」でなくても、「基準の単位」でもいいでしょう、と申し上げました。「基準となる単位」でもいいでしょう。小泉が言う「上位の単位」でもいいでしょう。
または「基準単位」が説明上の臨時の用語であることを注記するのがいちばんいいですかね。
2)>それは「分」に限ったことではないです。寸は尺の10分の1、 mm は cm の10分の1などともいえます。
 寸やmmが1/10だからといって、何が問題なのか文意が不明です。
3)>伝統的日本語があたかもそうである(すべて)と表しているがごとく
   そのような表現をしていません。4つの例を挙げたことが、どうして「すべて」と受け取られるのか、それは曲解です。
4)>伝統的日本語で全体を10とする例は無視されていますね。
   どういう意味か文意を量りかねます。「七分袖」・・・は分 (数)のことの説明の補強であり、全体を10とする例(どういう例か思い当たりませんが)を持ち出す意味があるのでしょうか。
5)>SIの質量の基本単位はkgですが、これは1ではなく1000に当たりますね。別に基準(基本)は1でなくてよいのです。
論理が飛躍しているというか、全くの別問題です。SIの例は伝統的単位である「分 (数)」とは関係がありません。基準は1でなくても別によいのですが、分 (数)の場合は、それが1だというだけのことです。
6)>このように議論に都合の良い部分だけを抜き出して論ずるのは、錯誤相関を生み出す原因となります。
全く当たりません。どうして「議論に都合の良い部分だけを抜き出して論ずる」という御判断になるのか理解しかねます。
8)以下は推察ですが、分 (数)のことを記述していたときに考えていたことです。。
丈→尺→寸、貫→匁 というように段階的に単位名称があります。しかし、寸の下の単位名称、匁の下の単位名称は存在しません。だから、寸より下の単位として、分けるの意味の「分」を用い、同じく匁の下の単位としてやはり「分」を使うようになったと考えるのが自然です。
随分と昔ですが、大人が木材の長さを例えば「3寸4分」と呼んでいたのを思い出します。正に曲尺の3寸と4寸の目盛を読んで、その間を10に分けて、「4分」と呼んでいるのを実感していました。
以上のことは別に証拠や出典と言うものではありませんが尺貫法を使っていた時代の実感です。そのような実感が現在では失われたことが、当時と異なるロジックが建てられている原因なのでしょうね。
ウィキの目的は、各項目について、読者に分かりやすい説明を行うことです(百科事典全般に言えますが)。論争をすることではありません。
ここでの「分 (数)」の説明について、分かりやすい表現は何か、どう表現すればもっと分かりやすくなるかについてもっと生産的な議論をいたしませんか? そのほうが他の利用者・読者にも役に立つと思います。
そしてあまりに出典に拘るのもどうでしょうか。ウィキでの修正や議論を振り返ると、記述に根本的な対立があり(政治的な記述が多い。)それに対する疑義がある場合に反対者が出典を求める例が多いように思います。この分 (数)においては、そのようなギリギリの論争をする意味はないように思います。
--Awaniko会話2023年9月27日 (水) 11:28 (UTC)[返信]
(1)「基準単位」でも「基準の単位」でも「基準の単位」としても、説明の便宜のために導入されたものには違いありません。基本単位とは別に基準単位が存在するかのように読者は誤解すると思います。「説明上の臨時の用語」と断るのも百科事典的でないと思います。
「上位の単位」は「上の位の単位」であって、1桁上の単位とも解釈できるのではないかと。十進法なら「分」の「上位の単位」は必然的に10倍にになるわけで、それは「分」に限らず十進法なら「寸は尺の10分の1*、 mm は cm の10分の1」でも「上位の単位」に対する10分の1に必然的になるということが理解してもらえないでしょうかねぇ。(* は小泉(1974)p.183にある。)
小泉(1974)p.259は、「錢、分、厘という方式がいつ始まったかは中国の歴史家もわからないという。」と言っていて、ということは、「分」が何に対する0.1を基に単位系が定められたかも本当のところ謎ということになります。「分以下、厘・毛・・・」が正しく十進法になっているという事実しか現時点では確かなことが言えないのです。だから小泉(1989)も「上位の単位」というぼやかした表現を用いていると推察され、Awaniko会話)さんもそのことに薄々気付いているのではないですか。そのような「上位の単位」に対して、「基準」というような厳密な言葉はそぐわないと私は思います。「基準単位」のような実在しないものの導入によって、記事全体の信頼性にも関わることになり、却って損していると思います。
(2)「分」の原義が0.1を意味しているのは疑いのない事実です。また、「基本単位」という言い方は様々な研究者が実際に使っていて法令にもある。「分」を0.1とすれば、「基本単位」は1に当たる場合が多いのは事実だが、すべてがそうではない。「基本単位」が10に当たる場合もある。そこはきちんと記述すべきと考えます。私はそのような説明の方が読者に対して「「分」の原義が0.1である部分も含めて」理解し易いではないかと提議しています。
現段階では「分」を0.1とすれば、基本単位は1となるものや10となるものがある。なんとなく全体を1としたり10とする用法があった(だろう)としか言えないのです。それを1のほうだけが正しいとか、10のほうだけが正しいなどとは、どちらも断言できないのです。「貫」の基本単位は明治時代の遥か後世の話なので「分」の由来に考慮する必要はないでしょう。
(3)Awaniko会話)氏が述べられた「伝統的日本語において、「七分袖」、「腹八分目」、「七分咲き」、「九分九厘」というように、全体を1として、それぞれ 0.7袖、腹0.8目、0.7咲き、0.99 の意味として使っています。この点からも全体を1とする記述が伝統的な考え方と一致します」は、最後の部分があたかも断定的に聞こえ、全体を10とする場合を伏せていると受け取られても仕方がないと思います。全否定と部分否定があるので。
(4)あと、江戸時代の秤量貨幣であるの貨幣単位に関して、三上隆三(1996)p85に、「匁を基本単位」という記述を見出していますので報告しておきます。銀の貨幣単位はもともと質量の単位系を継承していますから、史料事実として匁に対して110を「分」と定めたとまでは言えませんが、結果的にはそのような用法となっている。の記事に書いたように、江戸時代の文書に現れる「匁」の用法は圧倒的にこの銀目によるものが多いので、今日「匁の110を分」と定めたように理解されるのも無理からぬことかとは思いました。付け加えるなら田谷博吉に言わせれば、原義である質量の「匁」から独立して貨幣単位としての「匁」が存在したとなります。この事実も加筆したいと考えています。
(1)が1)2)に対する返答。
(2)が8)「分かりやすい表現は何か、どう表現すればもっと分かりやすくなるかについてもっと生産的な議論」に対する返答。
(3)が3)4)6)に対する返答。5)の「基準は1でなくても別によいのですが、分 (数)の場合は、それが1だというだけのことです。」は断定的に聞こえます。
(4)は報告です。以上--As6022014会話2023年9月28日 (木) 05:31 (UTC)[返信]

>(1)それは「分」に限らず十進法なら・・・

このノートは、分 (数)についての議論ですから、無意味かつ無関係な主張です。「寸は尺の10分の1」であることは「分が寸の10分の1」であることとは別の話です。

>小泉は「錢、分、厘という方式がいつ始まったかは中国の歴史家もわからないという。」と言っていて、ということは、「分」が何に対する0.1を基に単位系が定められたかも本当のところ謎ということになります。

これはあなたの独自の判断です。小泉は方式の開始の時期が不明としか言っていません。

>小泉(1989)も「上位の単位」というぼやかした表現を用いている

これもあなたの独自判断です。「上位の単位」の表現は別にぼやかした表現ではありません。分 (数)の上位の単位は、寸や匁や度であることは文脈上明らかです。


>(2)「基本単位」は1に当たる場合が多いのは事実だが、すべてがそうではない。「基本単位」が10に当たる場合もある。そこはきちんと記述すべきと考えます。

 分 (数)についての記述において、なんのために、「基本単位」が10に当たる場合もあることを記述する必要があるのですか。全く必要ありません。読者が余計に混乱するだけです。

なお、「基本単位」の意義は、この分 (数)における基準となる単位(または小泉が言う「上位の単位」)とは全く異なる概念です。このことを理解していただけないのですか?

>「基本単位」という言い方は・・・法令にもある。

 「基本単位」の語は計量法関係法令には使われていません。商標法施行規則(昭和三十五年通商産業省令第十三号)のみに「誘導単位」とともに出てくるだけです。


>(3)最後の部分があたかも断定的に聞こえ、全体を10とする場合を伏せてい ると受け取られても・・・

  断定的になど記述していません。他の文脈(または別の項)において全体を10とする場合があるなら、そのように記述すればよいことです。


あなたの御議論は御議論として、全体として、この項(分 (数)の項)の本文について、どのように修正・記述するとおっしゃるのか、一文一文、具体的に示していただけませんか。その具体的記述について生産的に議論をするようにいたしましょう。

なお、本文に追加されていた要出典のラベルは、このノートでの議論が終了するまでは削除いたします。一般に、論争が済むまでは、安定していた時点(ここでは、2023-06-12T15:07:18‎ )の記述に戻しておくのが慣例です。  --2023年10月1日 (日) 12:02 (UTC)