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「ノート:プルシリーズ」の版間の差分

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:シュウ66さん自身も「できるだけ客観的に映像を文字に起こしてみました」とおっしゃっているように、上記の記述はあくまで(Wikipediaの1ユーザー=一般人である)シュウ66さんが映像を見て文字おこしした文章であり、『一次資料』ではありません。私としては、できるだけ客観的に映像を見た上で、『MSバイブル』の記述は十分なものだと思いました。--[[利用者:TFhhtt|TFhhtt]]([[利用者‐会話:TFhhtt|会話]]) 2023年11月27日 (月) 01:41 (UTC)
:シュウ66さん自身も「できるだけ客観的に映像を文字に起こしてみました」とおっしゃっているように、上記の記述はあくまで(Wikipediaの1ユーザー=一般人である)シュウ66さんが映像を見て文字おこしした文章であり、『一次資料』ではありません。私としては、できるだけ客観的に映像を見た上で、『MSバイブル』の記述は十分なものだと思いました。--[[利用者:TFhhtt|TFhhtt]]([[利用者‐会話:TFhhtt|会話]]) 2023年11月27日 (月) 01:41 (UTC)

* 映像を見て文字おこしした文章であり、『一次資料』ではありません。私としては、できるだけ客観的に映像を見た上で、『MSバイブル』の記述は十分なものだと思いました。→私も確認を兼ねて休日に久々に鑑賞しましたが、説得の主体はミネバであり、大筋はシュウ66さんの言う通りでしたので、シュウ66さんを支持します。
また、TFhhttさんは過去の[[利用者‐会話:TFhhtt#ジェネレーターについて]]や[[ノート:アナハイム・エレクトロニクス]]などの会話やノートでも他人の言葉を独自解釈、出典を確認せずに言葉を独自解釈する事が多く、[[ユニコーン・ガンダム]]や[[ザンスカール帝国の機動兵器]]でも劇中描写から編集していることも多く、発言が矛盾しています。
過去の行いから、どちらが信用出来るかは明らかだと思います。--[[利用者:型番型パン|型番型パン]]([[利用者‐会話:型番型パン|会話]]) 2023年11月27日 (月) 10:14 (UTC)

2023年11月27日 (月) 10:15時点における版

2007年2月の議論

プルはNTとしてはジュドー以上であるとされている様ですが・・・。具体的にこのように明言した制作者の公式な見解が存在しない以上、断定的な表現は避けるべきだと思います。そもそも、「敵を感知する」「サイコミュを操作する」「オーラを発する」等といった能力(描写)は、NTを表現する上での一面的な例に過ぎないわけです。

ジュドーとプルが最初に出会った時点で、既にプルは強化措置を施されており、その能力は一定以上に成長しています。これに対しジュドーは、カミーユやキャラとの接触をきっかけとして、NTとしての覚醒を始めた直後の状態です。プルの存命中、ジュドーがNTの能力を発現させる場面は然程ありませんが、ジュドーの能力が開花を深めていくのは、寧ろプルの死と前後して、その後においての事です。(生の存在としてのプルが失われたため、それまで彼女が担っていた「NT的役割」をジュドーに担わせる演出的な必要性もあったかもしれません。勿論これは私の個人的推測の域をでないものですが、プルが死に、ジュドーが再び宇宙に上がった直後から、その様な描写が増え始めます。)はっきりと言える事柄があるとすれば、「当初の時点で、NTとしての覚醒が進んでいたのはプル」といった具合ではないでしょうか。

また、プルはジュドーの潜在的なNTとしての感性に惹かれて寝返った訳ですから、少なくとも、明らかに自分よりも器が小さいと分かる相手に対して、そのような行動には出るとは(プルの性格上)考えにくいものです。(だからといって、ジュドーの方が優れている、と断言するという事ではないのですが・・・。)

どちらが強い?といった議論はこれに限らず起こりえる事ですが、明確な根拠が存在しない以上は、具体的には書かず、ファンが想像して楽しむ程度に留めた方が良いのではないでしょうか。エポキシパテ 2007年2月15日 (木) 19:59 (UTC)[返信]

基本的にはエポキシパテさんのご意見に賛同します。(特に主役級の)キャラクターの記事に顕著なのですが、どうも主観に基づく人物論の記事となっているものが多いと感じます。本来は演出上の部分は主観によるものが多いので論争にも発展し、あまり記述すべきではないでしょう。少なくとも確実に設定となっているもの(NTである)と演出上の部分(〜より強い、〜より高いNT能力)は見出しを分けて明確に区別するべきでしょう。これだけ書籍があると「〜より高いNT能力」という記述やインタビュー記事があるかもしれませんが、その場合は出展を明らかにするべきでしょう。Worldchampion9899 2007年2月16日 (金) 13:30 (UTC)[返信]

ジュドーは富野監督や制作人の脚本家である鈴木氏もアムロやカミーユに比べたらニュータイプの能力は劣るそのために木星で訓練をさせるとNT誌の87年4月号やアニメディアのインタビュー等で語っています。しかし精神的な逞しさではこの二人を陵駕してることも発言をしています。ジュドーというキャラクターの設定自体がニュータイプとして強いとかそういうことでなく、人としての強さそういうものを描きたかったのではないでしょうか?だから個人的にはプルやハマーンがジュドーに惹かれた理由はニュータイプとしての力ではなく、そういう精神的な強さをもったキャラだったからだと思います。戦闘マシンにしかなれなかったアムロ、ニュータイプ能力が過剰肥大して精神が壊れてしまったカミーユ、そういう二人を反面教師として描いてるためニュータイプとしてはプルのが能力は高いように描かれてる場面があるのではないでしょうか--121.115.149.89 2007年2月16日 (金) 14:57 (UTC)[返信]

ご返信ありがとうございます。作品自体や登場キャラクター、また演出方法には、人それぞれの解釈の仕方があると思います。 空間認知の様な、所謂NT的な能力も精神的な逞しさも、元をただせば「その人間の力」であることに変わりは無いわけで、明確に区分して考えるべきものでもない様に思えます。発するプレッシャーの強さや、MSに搭乗しての戦闘能力といった様な、能力的な適正面での優劣は存在するでしょうが、それにしても具体的な数値といった形で明示されるわけではないので、そこの辺りは作品を観た人間がそれぞれに推測していくしかありません。また、富野監督自身も近年NTの定義について、一つの結論を出されているようですが、本来的な意味でのNTの資質は、先に述べたようなエスパー的な能力の優劣の差をもって論じるものではない様に思えます。(もっとも、その定義からいうと、それまで高い能力を持っていると言われていたキャラクターであっても、NTとしての定義からは外れてしまう恐れのある者もいる様に思える面もあります。また、監督の発言自体も、今後の意向によっては覆る可能性も考えられますが・・・。)勿論、ゲーム等に表現される様な、数値化された能力をもってNTとしての器を量る解釈の仕方も、作品世界の楽しみ方の一つとしてあり得べきものだと思います。様々な解釈の仕方があり、それに応じた楽しみ方が人それぞれにあると思います。ただ、そういった事はウィキペディアに記載するよりは、個人が想像して楽しむ範疇に留めた方が良いと思います。勿論、架空の物語である以上、「主観的判断の全く介在しない客観的な意見」といったものもまた、存在しないとは思いますが・・・。エポキシパテ 2007年2月16日 (金) 16:15 (UTC)[返信]

改名およびプルツーの統合提案

本項をプル・シリーズに改名し、記事構成を変更して本項にあるプル・シリーズの節を上に移動させ、その節の名前を概要や概説などにした上でプルツーの記述を統合し、プル、プルツーといった各個体の解説を行う形にすることを提案します。また、プルトゥエルブの記述も本項に一部転記という形にしようと思うのですがどうでしょうか。--ヨッサン 2009年2月28日 (土) 07:42 (UTC)[返信]

賛成 賛成いたします。やはり統合した方が把握しやすくなります。--ヘチコマ 2009年2月28日 (土) 12:14 (UTC)[返信]
(コメント)『機動戦士ガンダムUC』のプルトゥエルブの記述を見ましたが記述がそれほど大きくはなっておらず、現状ではUCの登場人物として説明した方がよいと考え、トゥエルブについては軽く触れるに留めておこうと思います。それにしても『フォウストーリー』のジル・ラトキエにしろ、『UC』のトゥエルブにしろアニメ本編のモブやサブキャラの扱いが惨いな・・・--ヨッサン 2009年3月1日 (日) 21:27 (UTC)[返信]
賛成 しかし、エルピー・プルがオリジナルということなので、改名せずにそのままこちらに統合しても大丈夫なのではないでしょうか。--風の旅人 2009年3月5日 (木) 14:01 (UTC)[返信]
プルツーとプルは双子のようにそっくりですが、それぞれ別人です。エルピー・プルという項目名であればあくまでプルの記述を中心としてプルツーについては軽く触れるに留めるべきであり、統合すべきではないでしょう。実在の人物を例に挙げますが朝ドラ『ふたりっ子』の三倉茉奈・三倉佳奈の姉妹は項目名をマナカナとした上で両者を解説しており、どちらか片方の名前を項目名にして2人のことを説明してはいないのと同じことです。 --ヨッサン 2009年3月5日 (木) 20:40 (UTC)[返信]
プルシリーズに改名し、統合しました。--ヨッサン 2009年3月8日 (日) 16:14 (UTC)[返信]
コメント今さらですけど、オリジナルをプルシリーズとして含めてもよかったのでしょうか。私の勘違いかもしれませんが、「プリシリーズ」はクローン達に用いられる呼称なのでは?--風の旅人 2009年3月8日 (日) 16:28 (UTC)[返信]

プルを第1号をしているから、「プル」シリーズなんでしょう。プルのクローン達に用いられるのなら「プルクローン」シリーズなり、プルのレプリカということで「PRシリーズ」といった呼称になると思いますが。--ヨッサン 2009年3月8日 (日) 20:31 (UTC)[返信]

一部転記提案

「マリーダ・クルス」というキャラクターが「プルシリーズ」の一員であること、『機動戦士ガンダムUC』のサイズが以前と比較して肥大化しつつあることから、『プルシリーズ』で記述するほうが適当と考え、『UC』の「マリーダ・クルス」に関する記述の本項への転記を提案いたします。--F.M.H 2011年9月2日 (金) 09:39 (UTC)[返信]

  • コメント(賛成寄り) 本稿の改名提案を出してプルツーを統合した際、「UC」の記事からマリーダ・クルスの記述を一部転記することを一旦考えたものの、当時はまだ記述が少なかったことを考慮して見送りとしましたが、そろそろこちらに転記をしてもいいかもしれません。それはさておき、「UC」もだいぶ記事サイズが大きくなっているので機動戦士ガンダムUCの登場人物の作成を検討したほうがいい時期に来ているように思いました。--ヨッサン 2011年9月2日 (金) 12:26 (UTC)[返信]
  • コメント(賛成寄り)俺も賛成です。--ユーヤ・エメリヤーリエンコ 2011年9月2日 (金) 13:10 (UTC)[返信]
  • コメント 確かに『UC』から登場人物すべてを分割して登場人物記事を作成しても、多少の整理を行うにしろマリーダの記述は増えるでしょうからいずれこちらへの転記という案が出てくることでしょう。ザビ家も多くは『機動戦士ガンダム』の登場人物でミネバも赤子として登場していますが、『ガンダム』の登場人物というよりは『Z』や『ZZ』、そして『UC』の登場人物というイメージが強いですし。そうしたことを踏まえればマリーダの記述を本稿に転記というのは妥当でしょう。なお「機動戦士ガンダムUCの登場人物」については当方がこうしたほうがいいのでは、という意見であって正式に分割提案として出しているものではないので念のため。--ヨッサン 2011年9月5日 (月) 20:04 (UTC)[返信]
  • コメント表立った反対意見がなかったので、一部転記を実行いたしました。基本的に本項の体裁に合わせたのと、リンク修正を行っただけですので、改良の余地はまだまだあるかと思います。--F.M.H 2011年9月18日 (日) 10:17 (UTC)[返信]

劇中描写と異なる記述の資料の扱いについて

『週刊ガンダム・モビルスーツ・バイブル』第135号では、マリーダ・クルスがリディ・マーセナスに対して説得を繰り返した、とあるそうですが、アニメ『機動戦士ガンダムUC』劇中での描写ではそうなっていません。

『UC』劇中描写では、まずオードリー・バーンが祈るようにリディに呼びかけ、それが(ニュータイプの共感として)リディに届いています。その後、クシャトリヤの前に手を開いて立ちはだかるマリーダのイメージが現れて呼びかけ、次いで現れるオードリーの声と重なり、ジンネマン、アルベルトらのイメージも次々と現れます。そして、オードリーのイメージが手を差し伸べますが、そのときにはマリーダのみ消えています。リディも手を伸ばしますが我に返り、オードリーへの恨み言を言いながらクシャトリヤにビーム・マグナムを撃ち込みます。

以上、できるだけ客観的に映像を文字に起こしてみました。マリーダが説得したと言えなくもない描写はないわけではないですがマリーダ「だけ」ではありませんし、「繰り返した」とは言えません。また、説得の主体(およびリディの恨みの主体)はオードリーであり、マリーダではありません。したがって、『MSバイブル』の当該記述は正確さに欠けていると言わざるを得ません。むしろ「オードリーがリディに対して説得を繰り返した」のほうが劇中描写に近いので、オードリーとマリーダを間違えた可能性もあります。

Wikipedia:スタイルマニュアル/フィクション関連では、フィクション作品を記事にする場合は「一次情報と二次情報の両方を情報源として使用することが必要です」としています。ここでいう一次情報とは「フィクション作品そのもの」です。また、「フィクションに関する記述は常にフィクション作品そのものを情報源として使用します」ともあり、当然ですが一次情報のほうが二次情報より優先されます。正確さに欠ける二次情報を正当化するために、無理矢理一次情報をこじつけるのは本末転倒です。

『MSバイブル』という資料自体が信憑性に欠けるとは言いませんが、当該記述に関しては出典として扱うべきではありません。扱うにしても、注釈で「…とする資料もある」とし、異説として取り扱うべきです。--シュウ66会話2023年11月23日 (木) 23:12 (UTC)[返信]

シュウ66さん自身も「できるだけ客観的に映像を文字に起こしてみました」とおっしゃっているように、上記の記述はあくまで(Wikipediaの1ユーザー=一般人である)シュウ66さんが映像を見て文字おこしした文章であり、『一次資料』ではありません。私としては、できるだけ客観的に映像を見た上で、『MSバイブル』の記述は十分なものだと思いました。--TFhhtt会話2023年11月27日 (月) 01:41 (UTC)[返信]
  • 映像を見て文字おこしした文章であり、『一次資料』ではありません。私としては、できるだけ客観的に映像を見た上で、『MSバイブル』の記述は十分なものだと思いました。→私も確認を兼ねて休日に久々に鑑賞しましたが、説得の主体はミネバであり、大筋はシュウ66さんの言う通りでしたので、シュウ66さんを支持します。

また、TFhhttさんは過去の利用者‐会話:TFhhtt#ジェネレーターについてノート:アナハイム・エレクトロニクスなどの会話やノートでも他人の言葉を独自解釈、出典を確認せずに言葉を独自解釈する事が多く、ユニコーン・ガンダムザンスカール帝国の機動兵器でも劇中描写から編集していることも多く、発言が矛盾しています。 過去の行いから、どちらが信用出来るかは明らかだと思います。--型番型パン会話2023年11月27日 (月) 10:14 (UTC)[返信]