コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

ラビットカー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
近鉄ラビットカーオレンジバーミリオン
 
16進表記 #d97a4a
RGB (217, 122, 74)
マンセル値 1.5YR 6/10
出典 「戦後飛躍期の近畿日本鉄道新製車両について」
近鉄ラビットカーホワイト
 
16進表記 #e3e3e3
RGB (227, 227, 227)
マンセル値 N 9
出典 「戦後飛躍期の近畿日本鉄道新製車両について」

ラビットカー(Rabbit Car)は、近畿日本鉄道近鉄南大阪線などで運転されていた通勤車両につけられた愛称のことである。

概要

[編集]

日本で初めての高加減速車両でもある[1][2]

近鉄が特定の車両形式に対して初めて名付けた愛称であり、狭義には6800系を指すが、具体的には復刻ラビットカーを別とすると、以下の3形式(6900系は後に6000系に改番)から構成される。

ラビットカーとの愛称名は、旧型車で運行される急行や準急のダイヤの間を高加速・高減速で縫って走る姿がウサギを連想させるために名付けられたものである。

運用開始直後の1957年11月1日のダイヤ変更で、ラビットカーの運用を限定運用で設定し、主に各駅停車で運用していたが、運用の都合で急行・準急として使用されることもあった。

増備で両数が多くなった頃には、大阪阿部野橋 - 河内長野間の急行・準急での運用にも多く入るようになり、一部は御所線や南大阪線の東部区間である古市 - 橿原神宮駅(現・橿原神宮前)間の急行・準急などの運用にも入ることがあった。しかし後にラビットカー限定運用は廃止され、マルーン塗装化以降の時代には、吉野線や道明寺線にも充当され、他の形式との混結もなされるようになった(6000系以降の車両と併結される場合は、性能は併結相手側に合わせられる形となり、高加減速はしない)。

日本で初めての高加減速車両であったことから、阪神初代5001形などのジェットカーが登場するまでの1年間は、ラビットカーが日本一起動加速度・減速度の高い車両だった。

近鉄が特定の車両形式に対して愛称を付けたのはこれは初めてのことである。ただし、「ビスタカー」や「L/Cカー」などとは異なり、この愛称は2023年時点でも登録商標とはなっていない。

ラビットカーと呼称されていた車両

[編集]

詳細は各形式の記事を参照。

  • ラビットカー - 近鉄6800系
  • 新ラビットカー - 近鉄6900系・6000系 6000系は厳密には高加減速車ではないが、全車がラビットカー塗装・サ6150形以外がラビットマーク付で落成した。
  • 復刻ラビットカー - 養老鉄道600系606F 6800系旧モ6857号車-旧モ6858号車を養老線に転出の際、改番したもの
  • 復刻ラビットカー - 近鉄6020系6051F 2012年の吉野線開業100周年を記念した復刻塗装車両

ラビットカーが就役したのは1957年であるが、2年後の1959年に就役した名古屋線用近鉄1600系も、高加減速車ではないものの、登場時には近鉄社内で名古屋ラビットと呼ばれていた[3]。1600系の社内電算記号(他鉄道事業者の編成番号に相当)が 「R」 であったのは、この名古屋ラビットに由来している。

養老鉄道600系606F
近鉄6020系6051F

ラビットカー色

[編集]
養老鉄道の復刻ラビットカーに付けられたラビットマーク

登場時はオレンジバーミリオンに100mm幅白帯の塗装であったが、1968年から1970年までに、塗装工程簡略化のためマルーン一色となり、1980年代後半にはマルーンレッドとシルキーホワイトの塗装となった。サ6150形以外には車体側面にウサギをモチーフにした 「ラビットマーク」(画家で二科会会員の吉原治良がデザイン[4]。ラビットマークは6800系の1次車から3次車までは白の塗装で、6800系の最終増備車となる4次車および6900系と6000系の全車ではステンレス無塗装のものであったが、6800系の1次車から3次車でもステンレス無塗装のものに取り換えた事例もあった。なお、デザインをした人物については異説も多数あり、岡本太郎がデザインしたとの文献も多数存在している)が取り付けられていたが、マルーン一色への塗装変更の際に取り外された。しかし、1987年のデビュー30周年記念、2009年の養老線、2012年の吉野線開業100周年記念で、登場時の塗装とラビットマークが復元された。1987年の復元の際は1次車のモ6851に原型とは異なるステンレス無塗装のものを、2009年の養老鉄道と2012年の近鉄での復刻ラビットカーでは原型には存在していなかった銀の転写式のもので復元している。

ラビットカーの車両色は、当時近鉄の車両部に在籍していた近藤恒夫が考案したものである[5]

なお、翌1958年に新造された特急車の10000系ビスタカー」や、以降の特急車でもオレンジの塗装が採用されたが、これら特急車のオレンジの色調は、ラビットカーのオレンジバーミリオンとは異なるものである。

脚注

[編集]
  1. ^ 三好好三「近鉄6800系」『近鉄電車』JTBパブリッシング〈JTBキャンブックス〉、195頁。 
  2. ^ 生田誠『近鉄大阪線。近鉄南大阪線 街と駅の1世紀』彩流社(現・アルファベータブックス)、57頁。 
  3. ^ 鹿島雅美、『近鉄II』、保育社 (カラーブックス 日本の私鉄31)、1983年、P107 ISBN 4-586-50622-9
  4. ^ 近鉄社内誌「ひかり」12巻4号、1957年11月「鋭新ラビットカー登場!!」
  5. ^ 徳永慶太郎、「近鉄特急アラカルト」、p.79。

 

参考文献

[編集]
  • 赤尾公之 「近鉄“ラビットカー”6800形」、『電気車の科学』 第10巻第10号 (通巻114号)、1957年。
  • 慶應義塾大学鉄道研究会編 『近鉄』 (私鉄ガイドブックシリーズ第4巻)、1970年。
  • 鹿島雅美 『近鉄II』、保育社 (カラーブックス 日本の私鉄31)、1983年。
  • 徳永慶太郎 「近鉄特急アラカルト」、『鉄道ピクトリアル』505、1988年。
  • 中村卓之 「近鉄南大阪線"ラビットカー"の30年」、『関西の鉄道』 19、1988年。
  • 中山嘉彦 「戦後飛躍期の近畿日本鉄道新製車両について」、『鉄道ピクトリアル』 2003年12月臨時増刊号、2003年。
  • 近鉄社内誌「ひかり」12巻4号、「鋭新ラビットカー登場!!」、1957年。

関連項目

[編集]
  • 影山光一藤縄郁三片山忠夫赤尾公之近藤恒夫(ラビットカーの設計者。近藤はそれに加えラビットカー色の考案者。この内藤縄は設計〜落成当時の車両部長であり、片山はその藤縄の後任で2次車落成時の車両部長。赤尾は藤縄〜片山が車両部長だった頃の車両部課長の役職であった。影山は専務取締役、藤縄は副社長、赤尾は常務取締役まで昇任している。片山と近藤のその後は不明)
  • ジェットカー阪神電気鉄道の高加減速車。ラビットカーより1年遅い落成だが、現在も継続して製造されている)