猿田和三
猿田 和三 さるた かずみ | |
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生年月日 | 1963年4月3日(61歳) |
出生地 | 日本 秋田県秋田市 |
出身校 | 慶應義塾大学法学部政治学科 |
前職 | 秋田県副知事 |
公式サイト | 前秋田県副知事 さるた和三 公式サイト |
基本情報 | |
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国籍 | 日本 |
出身地 | 秋田県秋田市 |
生年月日 | 1963年4月3日(61歳) |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 内野手 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
この表について
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猿田 和三(さるた かずみ、1963年〈昭和38年〉4月3日 - )は、日本の地方公務員で、元秋田県副知事。学生時代には東京六大学野球連盟の選手としての活動歴がある。
来歴
[編集]秋田県秋田市出身。3人兄弟の末っ子だった[1]。4歳のころには5歳年上の兄とキャッチボールを始める[2]。小学生のとき、兄が通う秋田県立秋田高等学校が夏の秋田大会で優勝。1年だった兄が打席に立つことはなかったが、兄や見知った顔の選手たちが喜びに沸く姿を球場のスタンドから見ていた。「甲子園に行くってすごいことなんだ」と、甲子園出場を目標にする[2]。
兄の後を追う形で秋田高校に進む。硬式野球部の主将を務め、1学年下の石井浩郎と主軸を形成した[3]。
慶應義塾大学法学部政治学科に、2年の浪人を経て進学した[4]。慶大では野球部選手となり、首位打者1回、ベストナイン2回を獲得し、同じく2浪して入学した鈴木哲、大森剛らとともに、1987年春季リーグと全日本大学野球選手権大会で優勝に貢献した[3]。当時立教大学硬式野球部で4番で主将だった長嶋一茂とも激しいタイトル争いを繰り広げた[3][注釈 1]。日米大学野球選手権大会でも主将として武田一浩、長嶋一茂、古田敦也ら、後にプロ野球に進む選手をまとめた[3]。プロ野球ドラフト会議の指名候補にも挙げられたが、プロ野球には進まなかった[4]。
1988年(昭和63年)に秋田県庁に入庁して、土地改良事業、看護師養成、道路河川公園管理、観光振興、企業誘致、中小企業支援、予算編成等に従事した後、2020年(令和2年)に産業労働部長を経て、2021年(令和3年)秋田県副知事に就任した[2][3][6]。
2024年(令和6年)11月25日、任期満了に伴う2025年(令和7年)の秋田県知事選に無所属で立候補することを正式に表明し[6][7]、同年11月30日に秋田県副知事を退任した[8][9]。
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ 野球が教えてくれたこと #001 猿田和三 - BALLPARK AKITA
- ^ a b c “日米大学野球の元主将が副知事に 「県内企業支えたい」”. 朝日新聞. (2021年6月23日) 2025年1月3日閲覧。
- ^ a b c d e “元6大学首位打者・猿田和三氏が秋田県副知事に 古田氏らと日米野球にも”. 日刊スポーツ. (2021年4月16日) 2025年1月3日閲覧。
- ^ a b 今村忠 (2021年6月15日). “【甘口辛口】慶大、1987年以来の全日本制覇 当時の主将・猿田和三秋田県副知事は入庁後も野球部OBのネットワークをフル活用”. サンケイスポーツ 2025年1月4日閲覧。
- ^ “秋田県出身 慶應義塾大学野球部OB選手|猿田和三主将( 内野手、秋田-豊岩 )”. ★ 備忘録 「熱球通信」 ・ 特定非営利活動法人秋田県野球フォーラム ★ (2024年11月18日). 2025年1月4日閲覧。
- ^ a b “秋田県知事選、副知事の猿田和三氏が出馬表明”. 日本経済新聞. (2024年11月25日) 2025年1月3日閲覧。
- ^ “来年4月の知事選 猿田和三氏が立候補表明”. NHK秋田放送局. (2024年11月25日) 2025年1月3日閲覧。
- ^ “猿田副知事、秋田県知事選出馬を表明 「誇りに思える秋田つくる」”. 秋田魁新報. (2024年11月25日) 2025年1月3日閲覧。
- ^ “さるた和三(猿田和三) 公式サイト”. さるた和三 公式サイト. 2025年1月3日閲覧。
外部リンク
[編集]- 前秋田県副知事 さるた和三 公式サイト
- 猿田和三 (@saruta_kazumi) - X(旧Twitter)
- 猿田和三 (さるた和三(前秋田県副知事)) - Facebook
- 猿田和三 (@sarutakazumi_office) - Instagram