コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

玉乃淳

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
玉乃 淳
名前
カタカナ タマノ ジュン
ラテン文字 TAMANO Jun
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1984-06-19) 1984年6月19日(40歳)
出身地 東京都新宿区
身長 172cm
体重 59kg
選手情報
ポジション MF
利き足 右足
ユース
日本の旗 あざみ野SC
1994-1999 日本の旗 ヴェルディ川崎
1999-2002 スペインの旗 アトレティコ・マドリード
2002 日本の旗 東京ヴェルディ1969
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2002-2005 日本の旗 東京ヴェルディ1969 26 (2)
2006 日本の旗 徳島ヴォルティス 34 (2)
2007 日本の旗 横浜FC 6 (0)
2008 日本の旗 徳島ヴォルティス 37 (2)
2009 日本の旗 ザスパ草津 9 (0)
通算 112 (6)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

玉乃 淳(たまの じゅん、1984年6月19日 - )は、東京都出身の元プロサッカー選手。ポジションはMFFW

経歴

[編集]

クラブ

[編集]

小学生からヴェルディ下部組織で育ち、15歳だった1999年にヴェルディジュニアユースが出場したナイキプレミアカップでのプレーが認められ、アトレティコ・マドリードのユースチームに加入し、3シーズン在籍。そのアトレティコ・マドリード時代はフェルナンド・トーレスともプレーした。ヴェルディユースに復帰し、ユース所属ながら東京ヴェルディ1969(現:東京ヴェルディ)トップチームに2種選手として登録されることとなった。

2002年9月18日の東京ダービーで途中起用されJリーグデビュー。2005年には、天皇杯優勝に貢献するも、シーズンを通し途中交代での出場が多く、ヴェルディでレギュラーポジションを確保するには至らなかった。2006年シーズンは徳島ヴォルティスレンタル移籍。徳島では定位置を確保したが、シーズン終了後に所属元のヴェルディから戦力外通告を受け、2007年にJ1初参戦となる横浜FCへと完全移籍。しかし多くは試合出場を得られず、チームは1年限りでJ2再降格が決定。2008年は2年前に所属した徳島ヴォルティスへ復帰し主力として起用されたが、2009年12月24日に現役引退を表明した。

引退後

[編集]

2011年は、カナダで語学の勉強をしており、帰国時にはFoot!に出演し2年半過ごしたアトレティコユースと、熱狂的なファンであるレアル・マドリードの紹介をした。

2012年よりサッカー解説者として主にJ SPORTSでJリーグの解説を担当。また、週刊サッカーダイジェストで『玉乃淳の「セカンドキャリアに幸あれ!!」』という元選手にセカンドキャリアについてのインタビューを行うコーナーを担当。J SPORTS/スカパー!でのJリーグ中継では,実況担当の下田恒幸をして「解説というより感覚的な感想が多い」「その試合や1つのプレーや、サッカーそのものをものすごく楽しんで、乗っかっちゃっている感じの波長が(自分と)近い」[1]と言わしめるほどの特徴的なコメンタリーで話題を集め、2014年12月3日放送の『マツコ&有吉の怒り新党』では、下田とのコンビで「新3大・試合より気になる放送席」の一つとして取り上げられる。

2014年12月4日、株式会社バランスマネジメントとマネジメント契約を締結したと発表した。

2016年5月23日にプロスポーツ選手のセカンドキャリア支援サイト『TAMAJUN JOURNAL』を開設。

2017年2月1日、独立し、自身が運営する 株式会社 JAPAN TRENDY にてマネジメントを開始。

2017年8月末日をもってサッカー解説やテレビ出演を全て降板し、早稲田大学人間科学部へ入学。次の目標のためにビジネス分野での『基礎練』をするためだという[2]。『TAMAJUN JOURNAL』の更新も同日付で終了した(サイト自体は残されている)。

2017年より博報堂DYメディアパートナーズのスポーツビジネス局で勤務[3]

2019年12月18日付でアルビレックス新潟ゼネラルマネージャーに就任し[3]、翌年3月28日付で前任者の退任に伴い新潟の強化部長を兼務することとなった[4]

2020年11月18日、同日付けで強化部長から退任。また、ゼネラルマネージャーからも12月31日をもって退任すると発表された[5]

個人成績

[編集]
国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
2002 東京V 33 J1 5 1 1 0 0 0 6 1
2003 3 1 1 0 0 0 4 1
2004 2 0 2 1 2 0 6 1
2005 16 0 5 0 0 0 21 0
2006 徳島 32 J2 34 2 - 2 1 36 3
2007 横浜FC 20 J1 6 0 1 0 0 0 7 0
2008 徳島 J2 37 2 - 0 0 37 2
2009 草津 9 0 - 0 0 9 0
通算 日本 J1 32 2 10 1 2 0 44 3
日本 J2 80 4 - 2 1 82 5
総通算 112 6 10 1 4 1 116 8
  • 2002年はヴェルディユース所属

出典

[編集]
  1. ^ 土屋雅史 (2017年3月15日). “『Foot!』Five Stories〜下田恒幸(後編)〜”. JSPORTS. p. 4. 2017年4月30日閲覧。
  2. ^ 玉乃淳 “話がある””. TAMAJUN JOURNAL (2017年8月31日). 2018年7月16日閲覧。
  3. ^ a b GM(ゼネラルマネージャー)人事に関するお知らせ』(プレスリリース)アルビレックス新潟、2019年12月18日https://www.albirex.co.jp/news/58587/2019年12月18日閲覧 
  4. ^ 神田 勝夫 強化部長 退任のお知らせ』(プレスリリース)アルビレックス新潟、2020年4月8日https://www.albirex.co.jp/news/59014/2020年4月21日閲覧 
  5. ^ 強化部長交代のお知らせ』(プレスリリース)アルビレックス新潟、2020年11月18日https://www.albirex.co.jp/news/60031/2020年11月20日閲覧 

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]