玉柳実
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玉柳実 たまやなぎ みのる | |
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生年月日 | 1903年10月27日 |
出生地 |
日本 愛媛県温泉郡味生村南斎院 (現愛媛県松山市) |
没年月日 | 1960年3月15日(56歳没) |
出身校 |
松山中学校 (現愛媛県立松山東高等学校) 大阪高等商業学校中退 (現大阪市立大学) |
前職 | 愛媛県経済部長 |
現職 | 弁護士 |
所属政党 |
(無所属→) 自由党 |
選挙区 | 愛媛県選挙区 |
当選回数 | 1回 |
在任期間 | 1951年4月 - 1953年5月2日 |
玉柳 実(實、たまやなぎ みのる、1903年(明治36年)10月27日[1] - 1960年(昭和35年)3月15日[1][2])は、昭和期の内務官僚、厚生官僚、政治家、弁護士。参議院議員。現在の愛媛県松山市生まれ。
概要
[編集]愛媛県[2]温泉郡味生村南斎院(現:松山市)で玉柳政吉の長男として生まれる[1]。松山中学校(現愛媛県立松山東高等学校)を経て[1]、1923年(大正12年)に大阪高等商業学校(現大阪市立大学)中退[3][4][注釈 1]。1929年(昭和4年)10月に高等試験行政科合格[3][4]。1930年(昭和5年)に高等試験司法科に合格[3]。同年、内務省に入省し岩手県属に任官[4]。1943年(昭和18年)に厚生省保険局船員労災課長、1946年(昭和21年)に愛媛県農地部長、1948年(昭和23年)に愛媛県経済部長[3]。1951年(昭和26年)4月に退官[3]。
愛媛県知事に立候補した久松定武の辞職に伴う1951年(昭和26年)4月2日告示・5月21日投票日の第1回参議院議員通常選挙・愛媛県選挙区補欠選挙に無所属で立候補し、立候補者が1人しかいなかったため無投票当選という形で参議院議員となる[1][3][5](現在まで国政選挙における最後の無投票当選となっている)。同年5月29日に自由党に入党した[6]。1953年(昭和28年)4月の第3回通常選挙では全国区から立候補するも落選した[7]。
その後、松山市で弁護士を開業した[1]。
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 『愛媛県史 人物』400頁では卒業。
出典
[編集]参考文献
[編集]- 『愛媛県史 人物』愛媛県史編纂委員会、1989年。
- 衆議院、参議院『議会制度百年史 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。ISBN 9784122051522。
- 秦郁彦編『日本官僚制総合事典1868-2000』第2版、東京大学出版会、2007年。
- 『国政選挙総覧 1947-2016』日外アソシエーツ、2017年。