珠洲市立飯田小学校
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珠洲市立飯田小学校 | |
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北緯37度26分23.74秒 東経137度15分34.85秒 / 北緯37.4399278度 東経137.2596806度座標: 北緯37度26分23.74秒 東経137度15分34.85秒 / 北緯37.4399278度 東経137.2596806度 | |
過去の名称 |
能登国第12区区学校 第2中学区飯田小学校 珠洲郡公立飯田小学校 飯田町立飯田尋常小学校 飯田町立飯田尋常高等小学校 飯田国民学校 飯田町立飯田小学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 珠洲市 |
設立年月日 | 1873年4月3日 |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 3学期制 |
学校コード | B117220500023 |
所在地 | 〒927-1214 |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
珠洲市立飯田小学校(すずしりつ いいだしょうがっこう)は、石川県珠洲市飯田町にある公立小学校。
沿革
[編集]- 1873年(明治6年)
- 1875年(明治8年)5月 - 校舎を10部60番地に移転。
- 1879年(明治12年)1月 - 珠洲郡公立飯田小学校と改称。
- 1885年(明治18年)4月 - 高等小学校に指定。
- 1886年(明治19年)11月 - 学校の等位が、高等・尋常・簡易の3小学校となる。
- 1888年(明治21年)4月13日 - 飯田町11部54番地の新校舎に移転。
- 1892年(明治25年)4月 - 飯田町立飯田尋常小学校と改称。階上に、珠洲郡珠洲高等小学校を設立。
- 1896年(明治29年)4月 - 飯田町立飯田尋常高等小学校と改称。
- 1920年(大正9年)7月31日 - 若山村出田41部7番地に新校舎が一部竣工し、移転する。
- 1922年(大正11年)4月15日 - 講堂が落成。
- 1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令により、飯田国民学校と改称。
- 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革により、飯田町立飯田小学校と改称。同日、町立飯田中学校を併置。
- 1949年(昭和24年)4月 - 飯田中学校が移転。
- 1954年(昭和29年)7月15日 - 昭和の大合併による珠洲市発足により、珠洲市立飯田小学校と改称。
- 1970年(昭和45年)5月28日 - 飯田町イ字2番地の旧緑丘中学校春日教場跡へ移転。
- 1974年(昭和49年)3月22日 - 健児の像除幕式挙行。
- 1983年(昭和58年)12月27日 - 火災により、校舎が音楽室と体育館を残して全焼。
- 1984年(昭和59年)3月22日 - 前年12月の火災の影響により、第37回卒業式を珠洲市福祉センターホールで行った。
- 1985年(昭和60年)3月16日 - 飯田町19部61番地(現在地)に新校舎が竣工し、移転。
- 1986年(昭和61年)
- 1987年(昭和62年)7月30日 - 屋外プール竣工。
- 2021年(令和3年)4月1日 - 珠洲市学校給食共同調理場を開設。
- 2022年(令和4年)4月1日 - コミュニティ・スクール開始。
- 2024年(令和6年)
通学区域と進学先中学校
[編集]- 出典[2]
通学区域
[編集]- 飯田町(全域)
- 若山町出田(脇田谷内)
- 上戸町北方(春日団地・晴気台団地・春日通り)
進学先中学校
[編集]学校周辺
[編集]- 城山
- 愛宕神社
- 南町集会所
- 国道249号
- 珠洲市役所
著名な卒業生
[編集]アクセス
[編集]このデータは、能登半島地震発生前のものです。地震の影響で、運行状況等が変わっている場合があります。 |
- すずバス(珠洲市コミュニティバス)で、「わくわく広場」停留所(起終点)から、徒歩約585m・約9分。
- 北鉄奥能登バス特急珠洲金沢線・のと鉄道転換バスで、「珠洲市役所前」停留所から、徒歩約585m・約9分。
関連項目
[編集]脚注
[編集]- ^ 石川県内86小中高が休校、55校は再開めど立たず 能登半島地震 - 毎日新聞電子版・2024年1月9日11時32分最終更新
- ^ ○珠洲市立学校の通学区域に関する規則(平成20年2月15日・教育委員会規則第1号) - 珠洲市教育委員会
- ^ 駿馬、新幕下昇進最年長記録なるか(2015年7月6日、デイリースポーツ)2024年12月18日閲覧