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琴塚古墳

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
琴塚古墳

1975年撮影の航空写真
国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成
所属 琴塚古墳群
所在地 岐阜県岐阜市琴塚3-5-37
位置 北緯35度25分5.47秒 東経136度48分53.07秒 / 北緯35.4181861度 東経136.8147417度 / 35.4181861; 136.8147417
形状 前方後円墳(二重壕あり)
規模 全長115m
後円部高さ10.5m
出土品 埴輪勾玉金環耳環など
築造時期 5世紀
被葬者 伝・五十琴姫命
景行天皇妃)
史跡 1934年昭和9年)国指定
地図
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古墳の南側

琴塚古墳(ことづかこふん)は、岐阜県岐阜市にある前方後円墳。岐阜県内では3番目の大きさである(1位は大垣市の昼飯大塚古墳)。5世紀頃の古墳である。1934年昭和9年)8月9日、国の史跡に指定されている。

被葬者は景行天皇の后、五十琴姫命と伝えられ、琴塚の名もこれに由来する。

概要

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長良川南岸の岐阜市から各務原市にかけての地域に、柄山古墳(全長91メートル)、南塚古墳(全長65.6メートル、消滅)土山古墳(全長58メートル、消滅)などの前方後円墳、円墳で形成された琴塚古墳群が所在した。

本古墳は、この古墳群中の1基であり、岐阜市東部、金華山の南東に広がる低位台地の東端に位置する[1]。二重の濠をもち、現在知られている古墳のうちでは県内第3位の規模である。現在は外濠は埋め立てられており、北西と東側に痕跡は残っている。内濠は築造時のままである。未発掘のため内部構造は不明である。墳丘は三段築成、葺石、円筒埴輪をもつ。墳丘の両側に造り出しが対称に設けられている。定型化が進んだきわめて整った形をしている。

構造

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  • 墳形:前方後円墳葺石埴輪も残る)
  • 規模
    • 全長:約115メートル(外濠を含めた古墳全長は194メートル)
    • 後円部径:69メートル、後円部高さ 10.5メートル
    • 前方部幅:74.2メートル、前方部高さ 7.5メートル
    • 内濠幅:18~20メートル、外濠幅 7.2メートル、内堤の平均幅 14.5メートル
  • 主な出土品

所在地

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交通アクセス

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最寄りバス停

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  • 岐阜バス・岐阜関線、大洞団地線など 「琴塚」バス停から東へ徒歩で約4分。
  • 同 尾崎団地線 「佐兵衛新田」バス停から北へ徒歩で約4分。
  • 長森ふれあいバス(岐阜市コミュニティバス) 「新田公民館前」バス停から東へ徒歩で約1分。

JR岐阜駅からのアクセス

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名鉄岐阜駅からのアクセス

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脚注

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  1. ^ 日本歴史地名大系『琴塚古墳』 - コトバンク

関連項目

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外部リンク

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