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瑞興郡

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
黄海北道 瑞興郡
位置
各種表記
チョソングル: 서흥군
漢字: 瑞興郡
日本語読み仮名: ずいきょうぐん
片仮名転写: ソフン=グン
ローマ字転写 (MR): Sŏhŭng-kun
統計(2008年
面積: 566.14 km2
総人口: 100,887 人
人口密度: 178.20 人/km2
行政
国: 朝鮮民主主義人民共和国の旗 朝鮮民主主義人民共和国
上位自治体: 黄海北道
下位行政区画: 1邑20里
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瑞興郡(ソフンぐん)は、朝鮮民主主義人民共和国黄海北道に属する郡。

地理

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黄海北道の中部に位置する。

行政区域

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1邑・20里で構成される。

  • 瑞興邑(ソフンウプ)
  • 加倉里(カチャンニ)
  • 巨門里(コムンニ)
  • 古城里(コソンニ)
  • 金陵里(クムヌンニ)
  • 南漢里(ナマンニ)
  • 大坪里(テピョンニ)
  • 洛村里(ラクチョンニ)
  • 文武里(ムンムリ)
  • 白岩里(ペガムニ)
  • 泛雁里(ポマンニ)
  • 鳳下里(ポンハリ)
  • 松月里(ソンウォルリ)
  • 新塘里(シンダンニ)
  • 陽射里(ヤンサリ)
  • 陽岩里(ヤンアムニ)
  • 雲川里(ウンチョンニ)
  • 自作里(チャジャンニ)
  • 青浦里(チョンポリ)
  • 花谷里(ファゴンニ)
  • 花峯里(ファボンニ)

歴史

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日本統治時代黄海道瑞興郡は12から構成されていた。

1952年12月に、北朝鮮の行政区画再編に伴い、瑞興郡(1邑23里)が再構成された。

年表

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この節の出典[1]

  • 1914年4月1日 - 郡面併合により、黄海道瑞興郡に以下の面が成立。(12面)
    • 九圃面・道面・龍坪面・内徳面・東部面・木甘面・梅陽面・中部面・禾回面・栗里面・細坪面・所沙面
  • 1929年 - 中部面が瑞興面に改称。(12面)
  • 1943年10月1日 - 東部面・禾回面が合併し、新幕邑が発足。(1邑10面)
  • 1947年 - 新幕邑が新幕面に降格。(11面)
  • 1952年12月 - 郡面里統廃合により、瑞興郡新幕面・梅陽面・龍坪面・栗里面・瑞興面および木甘面・九圃面の各一部地域をもって、瑞興郡を設置。瑞興郡に以下の邑・里が成立。(1邑23里)
    • 瑞興邑・新塘里・加倉里・青浦里・大坪里・古城里・松月里・花峯里・白岩里・泛雁里・鳳下里・自作里・金陵里・雲川里・唐峴里・巨門里・泉谷里・大成里・南漢里・三川里・文武里・新幕里・洛村里・水曲里
  • 1953年 - 白岩里の一部が泛雁里に編入。(1邑23里)
  • 1954年10月 - 黄海道の分割により、黄海北道瑞興郡となる。(1邑24里)
    • 青浦里の一部が分立し、陽射里が発足。
  • 1956年 - 大成里が新幕里・巨門里に分割編入。(1邑23里)
  • 1958年6月 (1邑24里)
    • 瑞興邑が花谷里に降格。
    • 新幕里に平山郡物開里の一部を編入させ、瑞興邑が発足。
    • 平山郡陽岩里を編入。
  • 1963年 - 花峯里の一部が大坪里に編入。(1邑24里)
  • 1967年 - 新塘里の一部が雲川里に編入。(1邑24里)
  • 1974年 - 泉谷里が南漢里・青浦里に分割編入。(1邑23里)
  • 1981年 - 唐峴里が恩情里に改称。(1邑23里)
  • 1989年 (1邑20里)
    • 恩情里および三川里・水曲里の各一部が鳳山郡に編入。
    • 三川里の残部が文武里に編入。
    • 水曲里の残部が泛雁里に編入。

交通

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鉄道

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高速道路

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脚注

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外部リンク

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