瑤姫
瑤姫(ようき)は、中国神話の女神。別名巫山神女(ふざんしんじょ)。炎帝の娘[1]。美しく輝く仙草「瑤草」は、瑤姫の化身とされる[1]。
概要
[編集]楚の宋玉の『高唐賦』と『神女賦』(ともに『文選』所収)では「巫山の
五代十国時代の杜光庭の『墉城集仙録』では、瑤姫は西王母の二十三番目の娘「雲華夫人(うんかふじん)」とされ、禹の治水事業を助けてその后になったとされる[6][7]。
中華民国の学者・聞一多は、巫山神女は本来は楚の始祖女神であって、巫山神女、女媧、夏の塗山氏、殷の簡狄は、もともと同一の伝承から分化したものではないか、と推測している[8]。
比較神話学者の森雅子は、瑤姫はもとは豊穣女神であり、「天界(もしくは祀られている山)から降りてきて、地上の人間である王と交わった後、その姿を消す「聖婚の花嫁」」ではなかったかと推測している[9]。
瑤草
[編集]瑤草(ようそう)は、江淹の「別賦」(『文選』所収)などに見える草で、一般に『山海経』中山経にある「䔄草」と同一視される[10]。『山海経』には以下のようにある。
又東二百里曰姑媱之山、帝女死焉。其名曰、女尸。化為䔄草、其葉胥成、其華黄其実如菟丘、服之媚於人。 さらに東方二百里を、姑媱之山という。帝女がここで死んだ。その名を女尸という。死後、䔄草に姿を変えた。その葉は胥成し、其の華は黄色、其の実は菟丘のようである。これを服すれば、人から喜ばれる。[10]
1936年、民俗学者の孫作雲は、『山海経』の「姑媱山の帝女」と『高唐賦』の「巫山神女」は同一だと主張した。さらに1979年、神話学者の袁珂が、『高唐賦』は『山海経』の「䔄草」説話から発展したものだと主張し、以後、これが通説となっている[11]。
瑤草の伝承について、森雅子は「本来は
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 袁珂 著、鈴木博 訳『中国神話・伝説大事典』大修館書店、1999年4月1日、368-370, 594, 665-666頁。ISBN 4-469-01261-0。
- 高橋忠彦『新釈漢文大系 第81巻 文選(賦篇)下』明治書院、2001年7月25日、343-360頁。ISBN 4-625-67302-X。
- 聞一多 著、中島みどり 訳「高唐神女伝説の分析」『中国神話』平凡社〈東洋文庫 497〉、1989年2月10日、171-241頁。ISBN 4-582-80497-7。 - 初出『清華学報』第10巻第4期(1935年)
- 松浦史子「江淹「瑤草」考――郭璞「䔄草」の継承と展開」『東洋文化研究所紀要』第155号、東京大学東洋文化研究所、93-132頁、2009年3月27日。ISSN 0563-8089。hdl:2261/24478。
- 森雅子 著「中国の女神小事典」、吉田敦彦; 松村一男 編『アジア女神大全』青土社、2011年3月10日、225-247頁。ISBN 978-4-7917-6550-8。