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甘露寺妍子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

甘露寺 妍子(かんろじ きよこ、1806年7月8日文化3年5月2日) - 1851年11月21日嘉永4年10月28日))は、仁孝天皇典侍淑子内親王の生母。久邇宮朝彦親王の養母。父は大納言甘露寺国長。官位は従三位

生涯

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大納言甘露寺国長の次女として生まれる。仁孝天皇の後宮として使え、後に典侍となり淑子内親王ら1皇子と3皇女を産んだ。しかし淑子内親王以外は夭折している[1]。また後に久邇宮朝彦親王の養母となった。天皇没後は剃髪して禎祥院と号した[2]

1851年11月21日嘉永4年10月28日)、死去。享年46[2]

脚注

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  1. ^ 「日本女性人名辞典」(日本図書センター1993年
  2. ^ a b 「日本人名大辞典」(講談社