生長の家政治連合
生長の家政治連合(せいちょうのいえせいじれんごう)は、1964年(昭和39年) - 1983年(昭和58年)に活動していた日本の政治団体(政党)。生長の家の信徒らが中心となって結成した。
概要
[編集]1964年(昭和39年)に発足。略称、生政連。生長の家創始者の谷口雅春は、戦時下では皇軍必勝を唱えた。戦後も「日本の天皇が国家生命の全機的統一者」であるなどとし、政治結社・全国精神主義連盟、生長の家選挙対策委員会などを設置し、社会活動・政治活動を行っていた。1960年代に入り政治運動を活発化させ、1964年(昭和39年)に生長の家政治連合(略称:生政連)が発足した[1]。
生政連の目的は「『生命の実相』の精神を日本国民全てに浸透せしめ、唯神実相[2]哲学の原理を政治面に実現し、もって政界を浄化し、唯物論的世界観を克服した真の日本建設と人類公明化に貢献する」というものであった[3][1]。
1966年(昭和41年)には全国約200の大学を組織して「生長の家学生会全国総連合」(略称・生学連)を、1967年(昭和42年)にはカトリックなどとともに、「優生保護法改廃期成同盟」(のちの「母と胎児のいのちを守る会」)を、1969年(昭和44年)には佛所護念会教団などとともに「自主憲法制定国民会議」を結成している。その他、1969年(昭和44年)に結成された全国学生自治体連絡協議会(略称:全国学協)にも生学連関係者が複数関わっている[1]。
生政連は、かつては組織内議員を当選させたこともあり、地方議会レベルでは独自の公認候補の当選例(合志栄一等)もあった。また、生政連は、1970年代の「元号法制化運動」などの原動力ともなった、との指摘がある[1][4]。
1983年(昭和58年)、生長の家が方針を転換し、政治関与を止めたことで、生長の家政治連合(略称:生政連)は活動停止した[1][5]。1995年(平成7年)には正式に総務大臣へ解散届を提出した[6]。
所属議員・出身議員
[編集]- 玉置和郎 - 自由民主党元・参議院議員、元総務庁長官、1965年初当選[1]
- 村上正邦 - 自由民主党元参議院議員、元・労働大臣、1980年初当選[1]
- 寺内弘子 - 自由民主党元参議院議員、元・生長の家政治連合職員、1986年初当選[1]
- 小山孝雄 - 自由民主党元参議院議員、元・生長の家政治連合職員、1995年初当選
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g h 塚田穂高、宗教と政治の転轍点、花伝社、2015年。
- ^ 生長の家の基本的な教え - 生長の家(2010年版/2016年10月18日閲覧)
- ^ 「宗教団体の選挙活動ーその現状と今後」、朝日新聞社調査研究室、1978年
- ^ 日隈威徳、宗教と共産主義、新日本新書、1985年。
- ^ 「生長の家」、堀幸雄『最新右翼辞典』、柏書房、2006年。314-315ページ。
- ^ 生長の家『“新しい文明”を築こう』上巻、36頁