コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

田中一貞

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
田中 一貞

田中 一貞(たなか かずさだ、本名:いってい、1872年7月12日明治5年6月7日) - 1921年大正10年)9月22日)は、日本社会学者慶應義塾図書館初代館長、日本図書館協会第7代会長、慶應義塾初代社会学教授、雅号は嘯月。

略歴

[編集]
没後
    • 後任の館長には大学法学科教授の占部百太郎が就いた。
    • 9月24日 - 北寺町の大松寺にて告別式が行われる。
    • 11月 - 石田新太郎らが発起人となり、故田中一貞教授記念図書購入資金募集が行われる。

親族

[編集]

著作物

[編集]

著書

[編集]
  • 1898年(明治31年) - 『筑紫日記』
  • 1915年(大正4年) - 『世界道中かばんの塵』 岸田書店

編纂

[編集]

訳著

[編集]
  • 2008年(平成20年) - 『修養論』 著:ジョン・ブラッキー 民友社

論文

[編集]
  • 1898年(明治31年) - 『亮天社及び其学風』 慶應義塾学報8号
  • 1899年(明治32年) - 『オーギュスト・コムトの社会学』 慶應義塾学報
    • 『一言加藤君に答ふ』 慶應義塾学報
    • 『加藤博士の道徳説に就て』 慶應義塾学報
    • 『最大幸福主義と良心』 慶應義塾学報
  • 1901年(明治34年) - 『エール大学200年祭の状況』 慶應義塾学報
    • 『ハートの教育』 慶應義塾学報
  • 1902年(明治35年) - 『無政府主義の発達』 慶應義塾学報
  • 1903年(明治36年) - 『瑞西の風景』 慶應義塾学報
  • 1904年(明治37年) - 『戦時の帰朝』 慶應義塾学報
  • 1906年(明治39年) - 『英米に於ける慈善制度』 明治三十九年夏季講習会講義録、日蓮宗大学林同窓会編
    • 『図書館建築に就て』 慶應義塾学報
    • 『非美術国日本』 新時代1巻4号
  • 1907年(明治40年) - 『社会道徳と新聞紙の責任』 慶應義塾学報
    • 『西洋の日蓮宗』新時代
    • 『西洋文明と出生率の減少』 慶應義塾学報
  • 1908年(明治41年) - 『公開図書館の任務と貸本屋』 図書館雑誌
  • 1909年(明治42年) - 『社会学上に於ける同種意識説と模倣説との比較』 三田学会雑誌
    • 『人物発生に対する自然界の勢力』 三田学会雑誌
    • 『都市と人物発生との関係』 三田学会雑誌
    • 『福沢先生と明治最初の図書館』 慶應義塾学報145号
  • 1910年(明治43年) - 『「フォルクスウェース」とは何ぞや』 三田学会雑誌
    • 『社会的勢力としての欲望を論ず』 三田学会雑誌
  • 1912年(大正元年)[元号要検証] - 『紀年図書館建築の特色』 慶應義塾学報
  • 1913年(大正2年) - 『煽動の力』 慶應義塾学報
  • 『伯林より』 図書館雑誌
  • 1914年(大正3年) - 『ヴント氏民族心理学要論に就て』 慶應義塾学報
    • 『羅馬より』 図書館雑誌19号
    • 『欧米視察談』 図書館雑誌
    • 『社会の根本的現象』 日本社会学院年報・第2巻
    • 『西洋に於ける日本文明』 慶應義塾学報
  • 1915年(大正4年) - 『海外図書館訪問記』 三田評論
    • 『番傘日記』 三田評論
  • 1916年(大正5年) - 『日本図書館と建築様式』 建築世界
    • 『歴史哲学と社会学』 三田文学7巻7号
  • 1917年(大正6年) - 『福沢先生の情的方面』 現代之実業
  • 1918年(大正7年) - 『私人として・公人として』 大学及大学生
    • 『大学図書館に就て』 大学及大学生
  • 1920年(大正9年) - 『プロパガンダの心理』 三田社会学会講演集・第1輯
    • 『小幡甚三郎氏の墓とニュウブランスウィック市』 三田評論
    • 『労働会議所感』 三田評論273号
  • 『羅馬の一日』 三田文学

訳著論文

[編集]
  • 『伯林の包囲』著:Daudet Alphpnse 三田文学5巻10号

参考文献

[編集]

外部リンク

[編集]
その他の役職
先代
(新設)
慶應義塾図書館監督
1905年 - 1921年
次代
占部百太郎
先代
太田為三郎
日本図書館協会会長
1914年 - 1916年
次代
和田万吉