田中啓二
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たなか けいじ 田中 啓二 | |
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文化功労者顕彰に際して公表された肖像写真 | |
生誕 |
1949年4月10日 日本・徳島県徳島市 |
死没 |
2024年7月23日(75歳没) 日本・東京都 |
国籍 | 日本 |
研究分野 | 徳島大学大学院栄養学研究科 |
研究機関 |
ハーバード大学医学部 東京都医学総合研究所 |
主な受賞歴 |
日本学士院賞 文化功労者 など(栄典・受賞の項も参照) |
プロジェクト:人物伝 |
田中 啓二(たなか けいじ、1949年4月10日 - 2024年7月23日)は、日本の生物学者。東京都医学総合研究所理事長兼所長。
ハーバード大学のアルフレッド・L・ゴールドバーグとともにプロテアソームを発見した。徳島大学助教授・東京大学教授などを歴任。日本学士院賞等を受賞。文化功労者選出。
人物・経歴
[編集]徳島県徳島市[1]に、元職業軍人の子として生まれる。1968年徳島県立城北高等学校卒業[2]。1972年徳島大学医学部栄養学科卒業。市原明に師事し、1974年徳島大学大学院栄養学研究科修士課程修了。1976年徳島大学大学院医学研究科博士課程中退、徳島大学酵素研究施設助手。1980年徳島大学より医学博士の学位を取得。1981年から1983年までハーバード大学医学部生理学部門に研究員として留学[2][3][4]。
1995年徳島大学酵素科学研究センター助教授に昇格。1996年東京都臨床医学総合研究所分子腫瘍学研究部門部長。1998年東京大学大学院新領域創成科学研究科連携講座教授。2002年東京都医学研究機構東京都臨床医学総合研究所副所長。2006年東京都医学研究機構東京都臨床医学総合研究所所長代行。2011年東京都医学総合研究理事長兼所長、日本学術会議会員[2][3][5]。この間、東京医科歯科大学客員教授、お茶の水女子大学客員教授、順天堂大学客員教授、新潟大学客員教授[6]、徳島大学客員教授などを歴任した[7]。
2024年7月23日午前、虚血性心疾患のため東京都内の自宅で死去。75歳没[8][9]。
受賞・栄典
[編集]- 1998年 - 日本生化学会奨励賞[2][3]
- 2003年 - 内藤記念科学振興賞[2][3]
- 2004年
- 2005年 - 東京スピリット賞[2][3]
- 2007年 - 東レ科学技術賞[2][3]
- 2009年
- 2010年
- 2011年
- 2014年 - 文化功労者[3]
- 2015年 - 手島精一記念研究賞[3]
- 2017年 - 日本医療研究開発大賞[10]
脚注
[編集]- ^ 日本学士院賞授賞の決定について 日本学士院、2010年
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p 「プロテアソームの発見から生命科学の中枢へ」JT生命誌研究館
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q 「田中 啓二」東京都医学総合研究所
- ^ 「本学卒業生の田中啓二所長(東京都医学総合研究所)が文化功労者として顕彰されました」徳島大学
- ^ 「第1回日本医療研究開発大賞(健康・医療戦略推進本部長賞)の受賞について」東京都
- ^ 田中 啓二 たなか けいじ/教授/生命科学研究系東京大学
- ^ 連携講座徳島大学医学部
- ^ “田中啓二さん死去 東京都医学総合研究所理事長:時事ドットコム”. 時事ドットコム (2024年7月29日). 2024年7月29日閲覧。
- ^ “田中啓二さん死去 タンパク質の分解酵素を発見”. 共同通信 2024年7月30日閲覧。
- ^ 日本医療研究開発大賞に田中啓二氏ら 政府が今年創設朝日新聞デジタル2017年12月13日21時30分