田中理
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田中理 | |
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基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 茨城県 |
生年月日 | 1942年9月15日(82歳) |
身長 | 167 |
血液型 | A |
選手情報 | |
所属 | 東京支部 |
登録番号 | 1849 |
登録期 | 16期 |
選手実績 | |
デビュー日 | 1964年 |
選手引退日 | 2005年 |
通算勝利 | 1990勝 |
主要獲得タイトル | |
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田中 理(たなか おさむ、1942年〈昭和17年〉9月15日 - )は、茨城県出身の元ボートレーサー。
来歴
[編集]大田区立東浦中学校を卒業後は東芝蒲田工場で5年9ヶ月勤務し、競艇選手に転向。
1964年4月に山本泰照と共に16期生としてデビューすると、「1等を取る競走をする」をモットーに活躍。一時は記念戦線の一角にいた事もあるほど勢いがあったが、2002年前期にはB1に転落。2004年は2月に怪我で4ヶ月欠場するが、後期には6期ぶりのA2級復帰を果たす。最後の優勝は1997年6月15日の唐津一般戦(3号艇5コースからまくり差し)で[1]、最後の優出は2003年9月25日の芦屋一般戦「日本財団会長杯争奪戦競走」であった(結果は4号艇4コース進入で5着)[2]。2005年4月8日の宮島一般戦「桜花賞競走」2日目1Rで通算1990勝(1号艇1コースから逃げ切り)を挙げ[3]、2000勝まで残り10勝であったが、23日の徳山「一般競走」3日目1Rが最後の出走となった(3号艇3コース進入で6着)[4]。同年引退。