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田中良平 (野球)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
田中 良平
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 石川県小松市
生年月日 (1982-11-18) 1982年11月18日(42歳)
身長
体重
6' 0" =約182.9 cm
170 lb =約77.1 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 2000年 ドラフト1位
初出場 2003年8月26日
最終出場 2003年10月11日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
コーチ歴

田中 良平(たなか りょうへい、1982年11月18日 - )は、石川県小松市出身の元プロ野球選手投手)。

実弟の田中靖洋は、良平がかつて所属したことがある千葉ロッテマリーンズに2022年まで所属していた。

来歴・人物

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プロ入り前

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高校生になってから投手に転向。森大輔七尾工業高)・内海哲也敦賀気比高)とともに北陸三羽ガラスと呼ばれた。

その後、2000年のドラフトで、千葉ロッテマリーンズから1位指名を受け入団。

ロッテ時代

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ルーキーイヤーの2001年2002年は一軍登板なしに終わる。2003年8月に一軍初登板を果たし5試合に出場する。

2006年から制球難克服のためサイドスローに挑戦。

2008年10月1日、球団から戦力外通告を受けた。その後12球団合同トライアウトにも参加したが獲得する球団はなく、メジャー挑戦のために渡米する。

オリオールズ傘下時代

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2009年5月4日にボルチモア・オリオールズとマイナー契約。6月からAA級ボウイに合流。12試合の先発を含む21試合に登板し4勝4敗3セーブ、防御率3.00、WHIP1.32の成績を残した。

2010年もAA級ボウイで過ごし、22試合の先発を含む29試合に登板。8勝12敗、防御率5.64、WHIP1.45の成績を残した。

2011年は4月29日にアドバンスドA級フレデリックに降格。8月30日にAAA級ノーフォークに昇格し、31日のグウィネット戦で初勝利。マイナー通算では20先発を含む31試合に登板し、10勝5敗1セーブ、防御率3.33、WHIP1.20の成績を残した。ポストシーズンではアドバンスドA級ポトマックとのプレーオフ第4戦に登板し、6回2安打2四球5三振無失点と好投したが勝敗は付かず。キンストンとの優勝決定戦第4戦では5回6安打無四球7三振2失点の投球を見せ、チームの優勝に貢献。オフには日本の12球団合同トライアウトに参加した。

2012年3月27日、ノーフォークを解雇された。

引退後

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2013年より、元読売ジャイアンツ等に所属した小野剛が塾長を務める「GSL野球塾 PRIMAVERA LIONE(プリマヴェーラ・リオーネ)」の講師に就任。また、小野が代表を務める中学生硬式野球チーム「狭山西武ボーイズ」の投手コーチも務めている[1]

2015年1月30日には学生野球資格を回復し、その後東洋学園大学硬式野球部のコーチも務めている[2]

2023年1月5日に千葉ロッテマリーンズの東海・北信越担当のスカウト就任が同球団から発表された[3]

詳細情報

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年度別投手成績

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W
H
I
P
2003 ロッテ 5 2 0 0 0 0 0 0 -- ---- 54 10.0 13 1 10 0 1 5 0 0 11 9 8.10 2.30
通算:1年 5 2 0 0 0 0 0 0 -- ---- 54 10.0 13 1 10 0 1 5 0 0 11 9 8.10 2.30

記録

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背番号

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  • 36 (2001年 - 2003年)
  • 19 (2004年 - 2005年)
  • 99 (2006年 - 2008年)

脚注

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  1. ^ 指導者紹介”. 狭山西武ボーイズ. 2020年9月19日閲覧。
  2. ^ スタッフ”. 東洋学園大学硬式野球部. 2021年11月29日閲覧。
  3. ^ ロッテが田中良平氏、有吉優樹氏、松田進氏のスカウト就任を発表”. BASEBALLKING (2023年1月5日). 2023年1月5日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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