田口和美
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田口 和美(たぐち かずよし、天保10年10月15日[1](1839年11月20日) - 1904年(明治37年)2月4日[2])は、日本の医学者。字は士行、号は節堂[3]。
経歴
[編集]武蔵国埼玉郡小野袋村(現在の埼玉県加須市)出身[3]。医師の家に生まれ、江戸に出て佐藤一斎や塩谷宕陰のもとで漢学を学んだ[3]。その後、林洞海のもとで蘭学を学んだ[3]。1862年(文久2年)より下野国佐野で開業[3]。1869年(明治2年)、大学東校に入り、ウィリアム・ウィリスらについて化学・解剖学・生理学を学んだ[3]。東京医学校教授、東京大学医学部教授、東京帝国大学医科大学教授を歴任[1]。1887年(明治20年)、ドイツに留学し、翌年に医学博士の学位を得た。墓所は染井霊園(1イ-1-12)。
著書
[編集]- 『解剖攬要』(英蘭堂、1881年)
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 「東京帝国大学医科大学教授医学博士田口和美特旨叙位ノ件」 アジア歴史資料センター Ref.A10110142100
- 『日本現今人名辞典 第3版』日本現今人名辞典発行所、1903年。