田口村 (長野県)
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たぐちむら 田口村 | |
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廃止日 | 1956年9月30日 |
廃止理由 |
新設合併 田口村、青沼村 → 田口青沼村 |
現在の自治体 | 佐久市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 中部地方(甲信越地方) |
都道府県 | 長野県 |
郡 | 南佐久郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
面積 | 38.52 km2. |
総人口 |
6,074人 (国勢調査、1955年) |
隣接自治体 |
長野県南佐久郡臼田町、野沢町、中込町、青沼村 群馬県甘楽郡南牧村 |
田口村役場 | |
所在地 | 長野県南佐久郡田口村 |
座標 | 北緯36度11分54秒 東経138度29分14秒 / 北緯36.19825度 東経138.48722度座標: 北緯36度11分54秒 東経138度29分14秒 / 北緯36.19825度 東経138.48722度 |
ウィキプロジェクト |
田口村(たぐちむら)は、長野県南佐久郡にあった村。昭和の大合併により消滅した。現在の佐久市南東部、小海線臼田駅・龍岡城駅の東側一帯にあたる。
地理
[編集]- 山:離山、霊仙峰
- 河川:千曲川、雨川
歴史
[編集]元治元年(1864年)には、領主である奥殿藩藩主松平乗謨(のりかた)により、田野口村に龍岡城が建設された。龍岡城は日本に二つしかない五芒星形の西洋式城郭(もう一つは函館の五稜郭)として知られる。奥殿藩松平家は龍岡城に藩庁を移転し、以後は田野口藩(のち龍岡藩)と呼ばれる。明治初年の領地を記録した「旧高旧領取調帳」によれば、のちの田口村域には田野口藩領のほか幕府領があった。明治4年(1871年)、龍岡藩は廃藩となる。
1876年(明治9年)、田野口村と上中込村が合併して田口村となる。1889年(明治22年)、町村制による田口村が発足。
1915年(大正4年)12月、佐久鉄道(現在の小海線)の中込駅 - 羽黒下駅間が開業、小諸と鉄道で結ばれた。開通と同時に、下越地区に三反田駅(現在の臼田駅)、田口地区に大奈良停留場(現在の龍岡城駅)が置かれた。なお、佐久鉄道は1919年(大正8年)に小海まで全通、1934年(昭和9年)に国有化され、国鉄の小海線となる。
1956年(昭和31年)9月、南に隣接する青沼村と合併して田口青沼村となり、自治体としては消滅した。なお、田口青沼村も約半年後に臼田町と合併し消滅している。
行政区画・自治体沿革
[編集]- 町村制施行以前
- 1876年(明治9年)8月2日 - 田野口村と上中込村が合併、田口村となる。
- 1876年(明治9年)8月2日 - 山田村、北沢村、清川村が合併、常和村となる。
- 町村制施行以後
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、田口村・下越村・三分村および常和村の一部(山田・北沢)の区域をもって発足。
- 1956年(昭和31年)9月30日 - 青沼村と合併して田口青沼村が発足。同日田口村廃止。
経済
[編集]- 農業
『大日本篤農家名鑑』によれば田口村の篤農家は、「佐々木常助、依田清勝、堀籠鹿之助、柳澤安次郎、柳澤伴次郎、瀬下熊之助、大塚文平、宮澤啓之助、高橋周助、高橋大吉、加藤多忠」などである[2]。
交通
[編集]鉄道路線
[編集]脚注
[編集]- ^ 国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成(1975年度撮影)
- ^ 『大日本篤農家名鑑』365頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2017年5月9日閲覧。
参考文献
[編集]- 大日本篤農家名鑑編纂所編『大日本篤農家名鑑』大日本篤農家名鑑編纂所、1910年。
- 角川日本地名大辞典編纂委員会編『角川日本地名大辞典 20 長野県』角川書店、1990年。