田辺カントリー倶楽部
田辺カントリー倶楽部 Tanabe Country Club | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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所在地 |
日本 京都府京田辺市薪小字平田谷73-1 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
概要 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
開業 | 1960年(昭和35年)11月6日 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
運営 | メンバーシップコース | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
設計 | 佐藤 儀一 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
運営者 | 一般社団法人 田辺カントリー倶楽部 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
コース | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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その他 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
公式サイト | 田辺カントリー倶楽部 |
田辺カントリー倶楽部(たなべカントリーくらぶ)は、 京都府京田辺市にあるゴルフ場である。
概要
[編集]1958年(昭和33年)、第一次ゴルフブームが始まっていた、大阪製鋼株式会社の社主・高石義雄は「宝塚ゴルフ倶楽部」(1926年(昭和元年)開場、設計・広岡久右衛門、福井覚冶)で、同伴の寺本清次郎(後・田辺カントリー倶楽部キャプテン)とプレー中だった[1]。高石は寺本に「われわれ仲間だけでいつでもプレーできるゴルフ場を造りたいね」「18ホールを造るくらいは、私ひとりの力でなんとかなる」と呟いた[1]。
高石義雄は、ゴルフが上手くハンディキャップ8で、休日はゴルフ場と決まっていたが、休日のスタート予約もままならなかった[1]。2年後、独り言が現実になり動き出した、ゴルフ場の建設用地は大阪府との府境の田辺町(現・京田辺市)の比較的フラットな土地だった[1]。
1960年(昭和35年)3月11日、コース設計は、日本アマチュアゴルフ選手権競技4回優勝、「廣野ゴルフ倶楽部」(1932年(昭和7年)開場、設計・C・H・アリソン)クラブチャンピオン12回、廣野ゴルフ倶楽部キャプテンの佐藤儀一に依頼し、コースの造成工事が着工された[1]。同年9月1日、コースが完成し、仮オープンされた[1]。同年11月6日、18ホール、6,648ヤード、パー72規模のゴルフ場が完成し、開場された[1]。
「田辺カントリー倶楽部」は、ただひとりの財力で造られたゴルフ場である、戦後では唯一、日本ゴルフ史上においても、神戸市垂水の日本綿花株式会社(現・双日株式会社)・南郷三郎が造った「舞子カントリー倶楽部」(現・垂水ゴルフ倶楽部、1920年(大正9年)開場、設計・J・E・クレーン)以来であった[1]。倶楽部運営も特別で、経営母体は任意団体である高石個人が経営責任者であり、会員権譲渡は不可のプライベートクラブである[1]。
所在地
[編集]〒610-0341 京都府京田辺市薪小字平田谷73-1
コース情報
[編集]- 開場日 - 1960年11月6日
- 設計者 - 佐藤 儀一
- コースタイプ - 丘陵コース
- コース - 18ホールズ、パー72、6,880ヤード、コースレート73.2
- フェアウェー - コウライ
- ラフ - ノシバ
- グリーン - 2グリーン、ベント
- 練習場 - 20打席247ヤード
- 休場日 - 毎週月曜日、12月31日、1月1日[2]
ギャラリー
[編集]交通アクセス
[編集]鉄道[3]
道路[3]
エピソード
[編集]- 初代理事長の高石義雄は、プレー中であっても雑草を見つけると、同伴プレーヤーにも草むしりをさせたという、それほどコース熱愛ぶりは凄かった[4]。
- 3代目理事長の誠二婦人・勝子は、クラブハウス内のアレンジメントを自ら買って出て、テーブルにはほうじ茶と玄米茶を並べ、夏には冷たいタオルを自ら配ったという[4]。
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g h i 『美しい日本のゴルフコース BEAUTIFUL GOLF CULTURE IN JAPAN 日本のゴルフ110年記念 ゴルフは日本の新しい伝統文化である』、ゴルフダイジェスト社「美しい日本のゴルフコース」編纂委員会編、「仲間だけでいつでもプレーできるコースとして個人の財力で誕生した」、東京 ゴルフダイジェスト社、2013年12月、2021年4月28日閲覧
- ^ 「田辺カントリー倶楽部」、ゴルフダイジェスト、2021年4月28日閲覧
- ^ a b 「田辺カントリー倶楽部」、アクセス、2021年4月27日閲覧
- ^ a b 『美しい日本のゴルフコース BEAUTIFUL GOLF CULTURE IN JAPAN 日本のゴルフ110年記念 ゴルフは日本の新しい伝統文化である』、ゴルフダイジェスト社「美しい日本のゴルフコース」編纂委員会編、「仲間だけでいつでもプレーできるコースとして個人の財力で誕生した」、東京 ゴルフダイジェスト社、2013年12月、2021年4月27日閲覧
関連文献
[編集]- 『ゴルフ場ガイド 西版』、2006-2007、「田辺カントリー倶楽部」、東京 ゴルフダイジェスト社、2006年5月、2021年4月27日閲覧
- 『美しい日本のゴルフコース BEAUTIFUL GOLF CULTURE IN JAPAN 日本のゴルフ110年記念 ゴルフは日本の新しい伝統文化である』、ゴルフダイジェスト社「美しい日本のゴルフコース」編纂委員会編、「仲間だけでいつでもプレーできるコースとして個人の財力で誕生した」、東京 ゴルフダイジェスト社、2013年12月、2021年4月27日閲覧