田部長右衛門 (22代)
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22代目田部 長右衛門(22だいめ たなべ ちょうえもん 1878年(明治11年)1月31日 - 1956年(昭和31年)6月11日[1])は日本の実業家・政治家。奥出雲の山林大地主田部家の第22代当主[2]。貴族院議員。農業[3]。島根県多額納税者[3]。勲四等[4]。旧姓は宇山、名は茂秋。 田部長右衛門 (23代)は二男[4]。田部長右衛門 (21代)は養父[2]。
来歴・人物
[編集]島根県能義郡伯太町母里(現在の安来市)の宇山清左衛門の三男に生まれ[4]、飯石郡吉田村、田部長秋の養子となる[2][4]。1926年(大正15年)家督を相続し前名種之助を改む[2][3]。
1903年(明治36年)早稲田大学政治科を卒業[1][2][4]。家業を継ぎ農業に従事する[3]。
島根県農会副会長[4]、日本勧業銀行島根地方顧問[4]、島根地方森林会議員[4]、大日本山林会・帝国森林会各評議員[4]、山陰合同銀行取締役等その他種々の名誉職を歴任した[4]。その間1939年(昭和14年)島根県多額納税者として貴族院議員に互選され[4]、同年9月29日に就任し[5]、研究会に所属して1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止まで在任した[1]。
1947年、家督を田部長右衛門 (23代)に譲って引退し[2]、1956年6月、自邸において死去した[4]。
家族・親族
[編集]田部家
[編集]脚注
[編集]参考文献
[編集]- 人事興信所編『人事興信録 第7版』人事興信所、1925年。
- 人事興信所編『人事興信録 第11版 下』人事興信所、1937年。
- 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
- 『新日本人物大観:島根県版』人事調査通信社、1957年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 山陰中央新報社・島根県歴史人物事典刊行委員会編『島根県歴史人物事典』1997年。