畠田好章
表示
獲得メダル | ||
---|---|---|
体操競技 | ||
オリンピック | ||
銅 | 1992 バルセロナ | 団体総合 |
世界選手権 | ||
銀 | 1995 鯖江 | 団体総合 |
銀 | 1995 鯖江 | あん馬 |
銀 | 1995 鯖江 | 鉄棒 |
畠田 好章(はたけだ よしあき、1972年5月12日 - )は、日本の元体操競技選手である。日本体育大学体育学部体育学科教授。徳島県鳴門市出身[1]。
長女の瞳(2022年4月に現役を引退)、次女の千愛も体操選手である。
人物
[編集]小学2年生で体操競技をはじめ[1]、高校2年生の時にインターハイで個人総合優勝。翌年のNHK杯では個人総合で6位に入り、アジア競技大会に高校生でただひとりの代表入りを果たした[2]。日本体育大学に進学後、1991年世界体操選手権に出場し団体4位、翌1992年のバルセロナオリンピックで団体銅メダルを獲得。1995年の世界選手権では団体銀メダル、種目別ではあん馬と鉄棒で銀メダルを獲得した。
2000年に現役を引退し、指導者研修のための米国留学を経て、2003年から日本体育大学のコーチとなる[1]。
主な成績
[編集]- 1991年インディアナポリス世界体操選手権団体総合4位、個人総合10位、種目別あん馬4位、鉄棒6位
- 1992年バルセロナオリンピック団体総合3位、個人総合13位、種目別あん馬6位、鉄棒5位
- 1994年ブリスベーン世界体操選手権個人総合13位
- 1995年鯖江世界体操選手権団体総合2位、個人総合6位、種目別あん馬2位、鉄棒2位、平行棒7位
- 1996年アトランタオリンピック個人総合15位、あん馬5位
- 1997年ローザンヌ世界体操選手権個人総合11位、鉄棒5位
経歴
[編集]- 1991年 徳島県立鳴門高等学校卒業
- 1995年 日本体育大学卒業
- 1997年 日本体育大学大学院修了
- 2021現在 日本体育大学 体育学部 体育学科 教授
エピソード
[編集]TBS系列で放送中のSASUKEの第6回大会に出場した彼は、ジャンプハングで一番上の縁につかまり、上から転がりながらクリアしてみせた。現在ではこの上に登ってクリアするという攻略法はパターンとなっている(その後、畠田本人は3rdステージのクリフハンガーまで進んだ)。
著書
[編集]- 技術と安定性を磨く! 男子体操競技 上達のポイント50(2018年5月10日、メイツ出版、ISBN 978-4780419504) - 監修
脚注
[編集]- ^ a b c “畠田好章(日本体育大学体操競技部監督/徳島県鳴門市出身)第1回「世界を知る指導者の確信」”. SPORTS COMMUNICATIONS. 2022年12月24日閲覧。
- ^ “畠田好章(日本体育大学体操競技部監督/徳島県鳴門市出身)第2回「過信せず、無欲で掴んだバルセロナ行きの切符」”. SPORTS COMMUNICATIONS. 2022年12月24日閲覧。
外部リンク
[編集]- 日本体育大学 教員情報データベース 畠田好章
- 畠田好章 - Olympedia