発寒神社
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発寒神社 | |
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所在地 | 北海道札幌市西区発寒11条3丁目1-33 |
位置 | 北緯43度5分30.1秒 東経141度17分39.8秒 / 北緯43.091694度 東経141.294389度座標: 北緯43度5分30.1秒 東経141度17分39.8秒 / 北緯43.091694度 東経141.294389度 |
主祭神 | 豊受大神・倉稲御魂大神 |
社格等 | 無格社 |
創建 | 1856年(安政3年) |
本殿の様式 | 三間流入母屋造 |
例祭 |
春祭 - 5月15日 秋祭 - 9月15日 |
地図 |
発寒神社、發寒神社(はっさむじんじゃ)は、北海道札幌市西区発寒11条3丁目1番33にある神社。道路を挟んだ向かいには札幌市立発寒小学校がある[1]。
祭神は豊受大神(とようけのおおかみ)と倉稲御魂大神(うがのみたまのおおかみ)。
境内には1857年(安政4年)に旗本20人が入植したことを記念した発寒移住記念碑と、1876年(明治9年)に屯田兵32戸が入植したことを記念した発寒屯田兵移住百年記念碑の2つが建っている[1]。
また、境内には復元されたストーンサークルもある。現物の遺跡は10世紀前後のものと推定され[2]、さらにその場所に後代の墓が重複した「二重墳墓」となっていた[1]。
歴史
[編集]記念碑の記述と異なる年代もあるが、参考資料のママとする。
- 1856年(安政3年)、幕府の命を受けた山岡精次郎らが開拓に訪れ、稲荷社を創建する[2]。
- 1875年(明治8年)、屯田兵32戸が入植し発展を遂げる[2]。
- 1898年(明治31年)12月、伊勢大神宮より豊受大神の分霊を受ける[2]。
- 1899年(明治32年)3月、神社明細帳に記載される[2]。
- 1903年(明治36年)1月、それまでの石狩国札幌郡発寒村稲荷神社から、発寒神社と改称する[2]。
- 1932年(昭和7年)11月、二重墳墓が発掘される[1]。
ギャラリー
[編集]-
社殿
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移住記念碑
-
環状石垣之跡
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 「29 発寒神社境内環状石垣之跡(西区発寒)」、青木由直編著『札幌秘境100選』マップショップ、2006年10月。ISBN 4-9903282-0-5