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白井烟嵓

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
しらい えんがん

白井 烟嵓
生誕 1894年2月8日
愛知県豊橋市
死没 (1976-01-19) 1976年1月19日(81歳没)
国籍 日本の旗 日本
職業 画家
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白井 烟嵓(しらい えんがん、1894年2月8日[1] - 1976年1月19日[1])は、愛知県豊橋市出身の画家[1]

来歴

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1894年(明治27年)2月8日、愛知県渥美郡花田村(現豊橋市)に白井徳平の二男として生まれた。本名は龍、字名は瀧司[1]。従兄弟の白井永川から絵の手解きを受け、静古と号した。他に烟巌とも[2]。1917年(大正6年)、南宗画家の松林桂月に師事し、烟嵓と号する。1920年(大正9年)第2回帝展に「幽栖」が初入選した[1]

1896年(明治29年)の日本南画院創設に参加し、日本南画院では理事も務めた。大正・昭和を通じて帝展、新文展、日展を中心に日本南画院展など団体展を舞台に活躍した[3]

1918年から1933年まで外海家と養子縁組していた時期があり、この期間は外海烟巖名義。1933年の第14回帝展以降は白井烟巖名義、1939年の新文展第3回展からは、白井烟嵓名義となる[1][4]

渡辺崋山顕彰の功績により田原町町政功労者としても表彰され、遺品は田原町(現田原市)に寄贈されている。

特記

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画風

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渡辺崋山椿椿山(つばきちんざん)、野口幽谷(のぐちゆうこく)、松林桂月、白井烟嵓という画系の流れを引く崋山ゆかりの画家[5]写生をもととした、古雅な風趣のある画風を得意とする[1]

烟嵓の師である松林桂月は、墨を主体とする山水画の世界に身を置きながら、現代的な感覚を取り入れた、新たな可能性を追求していた[6]。烟嵓もまた、師の画風を継承し、独自の画風を模索しながらダイナミックな作品を描き続けた[3]

烟嵓が編み出した技法には「白描水墨」がある。これは、油と水が反発する性質を利用して、対象を白く抜く技法で、晩年の作品である「陰文竹」などの後景に用いられ、独特な雰囲気を与えている[7]。 崋山・椿山の画に影響を受けた画家を崋椿系と呼び[8]、近代までの華椿系の流れを昭和の時代に引き継いた、現代につながる作家と言える[5]

2015年に豊橋市のギャラリーで行われた展覧会では「崋椿系南画」と紹介されている[9]

受賞歴

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  • 1920年(大正9年) - 第2回帝展「幽栖」初入選[10] 
  • 1949年(昭和24年) - 第5回日展「雲行雨施」特選[10]
  • 1961年(昭和36年) - 第1回日本南画院「秀孤松」文部大臣賞[10]
  • 1974年(昭和49年)10月10日 - 田原町表彰[11]

作品

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  • 「雨後」1962年(昭和37年)紙本墨、163.4×95.0、後素会展出品(豊橋市美術館蔵)[12]
  • 「雲行雨施」1949年(昭和24年)紙本墨、額装、258.0×141.2、第5回日展特選(豊橋市美術館蔵)[13]
  • 「秀孤松図」1973年(昭和48年)絹本墨、軸装、88.3×41.81[14]

著書

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  • 『東三河画人伝』、社団法人豊橋文化協会、1973年

出典

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  1. ^ a b c d e f g 白井烟嵓”. www.tobunken.go.jp. 東文研アーカイブデータベース. 2023年8月5日閲覧。
  2. ^ 白井烟嵓”. shiraitakashi. 2023年8月7日閲覧。
  3. ^ a b 『白井烟嵓』田原市博物館、2002年、62頁。 
  4. ^ 展覧会の変遷と開催年”. 公益社団法人日展. 2023年8月7日閲覧。
  5. ^ a b 『白井烟嵓』田原市博物館、2002年、4頁。 
  6. ^ 『白井烟嵓』田原市博物館、2002年、67頁。 
  7. ^ 『白井烟嵓』田原市博物館、2002年、69頁。 
  8. ^ 田原市博物館|崋椿系の流れ”. www.taharamuseum.gr.jp. 2023年8月7日閲覧。
  9. ^ 個性光る作品並ぶ | 東日新聞”. www.tonichi.net. 2023年8月7日閲覧。
  10. ^ a b c 豊橋百科事典編集委員会, ed (2006). 豊橋百科事典. 豊橋市文化市民部文化課. p. 284 
  11. ^ 田原町, ed (1974). 広報たはら. 田原町. p. 2 
  12. ^ 『白井烟嵓』田原市博物館、2002年、104頁。 
  13. ^ 『特別展白井烟嵓展』豊橋市美術館、1986年、23頁。 
  14. ^ 『特別展白井烟嵓展』豊橋市美術館、1986年、60頁。 

参考文献

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  • 『没後五〇年松林桂月』神戸新聞社、2013年8月8日。 
  • 竹内孝一 編『増補改訂東三画人伝~近世以降東三河日本画家列伝~』1989年1月25日。 
  • 郷土豊橋を築いた先覚者たち編集委員会 編『郷土豊橋を築いた先覚者たち』豊橋市教育委員会、1986年8月1日。 
  • 『特別展 白井烟嵓』豊橋市美術博物館、1986年。 
  • 『定本 東三河の美術』郷土出版社、1992年11月19日。 

新聞

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  • 「崋山先生の顕彰に貢献 白井烟嵓さん(80歳)」『広報たはら 第213号』1974年11月1日、2面。
  • 中村晋也「華山の画風継ぐ最後画家 墨を生かした抜群の表現力 田原で白井烟嵓展」『東愛知新聞』2002年10月10日。
  • 「9日から白井烟嵓展 田原町博物館」『東日新聞』2002年9月28日。
  • 鈴木「歴史探訪クラブ 城宝寺 渡辺崋山霊牌堂」『広報たはら 平成31年1月号』、30面。

外部リンク

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