百済王忠宗
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時代 | 平安時代初期 |
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生誕 | 不明 |
死没 | 天長7年5月18日(830年6月12日) |
官位 | 従四位上 |
主君 | 桓武天皇→平城天皇→嵯峨天皇→淳和天皇 |
氏族 | 百済王氏 |
百済王 忠宗(くだらのこにきし ちゅうそう)は、平安時代初期の貴族。位階は従四位上。
経歴
[編集]桓武朝にて従五位下に叙爵後、延暦23年(804年)伊予介に任ぜられる。
平城朝での動静は不明だが、嵯峨朝に入ると少納言兼左兵衛佐に任ぜられる一方で、弘仁4年(813年)従五位上、弘仁5年(814年)正五位下と昇進した。
淳和朝の天長6年(829年)従四位上に至るが、翌天長7年(830年)5月18日卒去。最終位階は従四位上。
官歴
[編集]『日本後紀』による。
- 時期不詳:従五位下
- 延暦23年(804年) 正月24日:伊予介
- 時期不詳:少納言
- 弘仁4年(813年) 正月7日:従五位上。正月10日:兼左兵衛佐
- 弘仁5年(814年) 3月1日:正五位下
- 時期不詳:従四位下
- 天長6年(829年) 正月7日:従四位上
- 天長7年(830年) 5月18日:卒去(従四位上)