コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

相川浩

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
あいかわひろし
相川 浩
プロフィール
出身地 日本の旗 日本神奈川県横須賀市
生年月日 1933年7月6日
没年月日 2003年11月27日(70歳没)
最終学歴 東京経済大学経済学部卒業
職歴 元NHKアナウンサー、フリーアナウンサー
活動期間 1957年 - 2003年
担当番組・活動

相川 浩(あいかわ ひろし、1933年昭和8年〉7月6日[1] - 2003年平成15年〉11月27日)は、日本フリーアナウンサー。元NHKアナウンサー神奈川県横須賀市出身[1]

来歴・人物

[編集]

東京都立西高等学校[2]東京経済大学経済学部卒業後[1][3]1957年4月にNHK入局[1][2]。帯広局→山口局→大阪局を配属後、1970年に東京アナウンス室に着任[2]。『NHK紅白歌合戦』総合司会(1975年 - 1978年)、夏の紅白とも称される『思い出のメロディー』、『ゲーム ホントにホント?』(1975年 - 1976年)、『お国自慢にしひがし』(1976年 - 1978年)などの看板番組を担当した。『思い出のメロディー』では通算12回司会を担当、司会の最多記録となっている。

チーフアナウンサーから理事待遇エグゼクティブアナウンサーまで昇進する[4]

1991年7月にNHKを定年退職してフリーに転じ、1991年10月から日本テレビNNNニュースプラス1』のメインキャスターを徳光和夫の後任として1992年9月まで1年間担当した。また、『NNNニュースプラス1』担当終了後は、埼玉県新座市十文字学園女子短期大学教授を経て、1995年4月からは母校・東京経済大学コミュニケーション学部教授を務め、2002年3月に退職。

NHK在職時には宮田輝に認められ、宮田の葬儀では生前の宮田から指名をされて司会をしている[5]

夏休みを取ったことがないほどの“仕事人間”でもあった。

2003年11月27日、肝不全のために死去。享年70。亡き後も、NHKで以前放送されていた相川の収録ナレーションの紀行番組(『あの人あの芸[6]、『日本百名山』等)が深夜に時折放送されている。

出演番組

[編集]

著書

[編集]
  • おはよう心が元気です』青英舎、1985年12月3日。
  • ユーモア話術 : 人をひきつける話し上手の本』〈ムックの本〉、ロングセラーズ、1986年2月10日。
  • 相川浩の話し方実戦ゼミナール』泰光堂、1986年3月25日。
  • 話し度胸はこうしてつける : 勇気と自信が湧いてくる本』〈ムックの本〉、ロングセラーズ、1986年6月10日。
  • 仲間づくり入門 : かけがえのない"財産"ができる本』〈ムックの本〉、ロングセラーズ、1987年7月15日。

脚注

[編集]
  1. ^ a b c d e f g DJ名鑑 1987三才ブックス、1987年2月15日、170頁。
  2. ^ a b c ブルータスから塚原ト伝へ(12)NTTへの提言 / 相川浩」『NTT BUSINESS』455号、NTTレガット、1988年2月1日、3–8頁。
  3. ^ 『神奈川年鑑』1996年神奈川新聞社、306ページ
  4. ^ 知のコミュニケーション 言葉の外に真のメッセージありhttps://honto.jp/netstore/pd-book_01439932.html 
  5. ^ 古谷敏郎『評伝 宮田輝』文藝春秋、2022年3月10日、352-356,362-366頁。ISBN 9784163915128 
  6. ^ あの人あの芸 - NHK放送史

関連項目・人物

[編集]
先代
徳光和夫1988年1991年
NNNニュースプラス1
平日男性メインキャスター
2代目(1991年~1992年
次代
真山勇一(1992年~2002年