唐津市立相知小学校
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(相知町立相知小学校牟田部分校から転送)
唐津市立相知小学校 | |
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北緯33度20分54秒 東経130度00分39秒 / 北緯33.34842度 東経130.01077度座標: 北緯33度20分54秒 東経130度00分39秒 / 北緯33.34842度 東経130.01077度 | |
過去の名称 |
相知小学 尋常相知小学校・高等相知小学校 相知尋常小学校 相知尋常高等小学校 相知尋常小学校 相知国民学校 相知町立相知小学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 唐津市 |
併合学校 |
相知町立相知小学校牟田部分校 相知町立佐里小学校 相知町立平山小学校 唐津市立田頭小学校 |
設立年月日 | 1875年(明治8年)11月13日 |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 3学期制 |
学校コード | B141220200197 |
所在地 | 〒849-3201 |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
唐津市立相知小学校(からつしりつおうちしょうがっこう)とは、佐賀県唐津市相知町相知にある市立の小学校。
概要
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- 歴史
- 1875年(明治8年)に「相知小学」として創立。数回の改編・改称を経て、現校名になったのは2005年(平成17年)。2025年(令和7年)には創立150周年を迎える。
- 校歌
- 1955年(昭和30年)に制定。歌詞は3番まであり、校名は歌詞中に登場しない。
- 校区
- 住所表記で「唐津市相知町」の後に「相知、中山、牟田部、山崎、久保、千束、平山上、平山下、佐里、横枕、湯屋、田頭、楠、町切、長部田、鷹取」が続く区域。中学校区は唐津市立相知中学校[1]。
沿革
[編集]- 1875年(明治8年) - 「相知小学」が創立。初代校長は堀江成博。熊野神社拝殿とコモリ堂を教室とする。下等科・上等科を設置。
- 1877年(明治10年)2月 - 大河内禎助所有の倉庫を改修し、仮校舎とする。
- 1878年(明治11年)
- 8月 - 相知90番地(旧役場所在地)に校舎を新築。
- この年 - 田頭小学校を統合の上、田頭分校とする。
- 1881年(明治14年)4月 - 牟田部分校と佐里分校を設置。
- 1883年(明治16年)- 教育令の施行により、初等科と中等科を教授。
- 1885年(明治18年)4月19日 - 田頭分校が隣村(岩屋村)の岩屋小学校との統合により、東川小学校として分離・独立[2]。
- 1887年(明治20年)4月 - 前年の小学校令の施行により、「尋常相知小学校」と「高等相知小学校」が設置される。 尋常科は4年制で義務制であった。
- 1888年(明治21年)- 松尾平九郎所有の酒倉庫(旧役場より東側全部)を仮校舎とする。
- 1889年(明治22年)- 東川小学校を統合の上、東川分校とする。
- 1890年(明治23年)8月 - 校舎を増築。
- 1891年(明治24年)11月 -「尋常相知小学校」となる。
- 1892年(明治25年)
- 3月4日 - 「相知尋常小学校」に改称。補習科を設置。
- 4月 - 牟田部分校と東川分校がそれぞれ、牟田部尋常小学校・田頭尋常小学校として分離・独立。
- 1893年(明治26年)4月 - 高等科(4年制)を併置の上、「相知尋常高等小学校」に改称。2階建て瓦葺き校舎が完成。
- 1898年(明治31年)
- 4月1日 - 佐里尋常小学校と牟田部尋常小学校を統合の上、尋常科3年生までを収容する分校(佐里分校・牟田部分校)とする。
- 6月15日 - 相知字長尾(現在地)に移転。
- 1899年(明治32年)10月 - 天徳山旧競馬場に瓦葺き平屋建て校舎3棟が完成。佐里分教場が佐里尋常小学校として分離・独立。
- 1900年(明治33年)8月19日 - 旧・牟田部炭鉱私立小学校[3]跡地に牟田部炭鉱分校を設置(牟田部分校とは別)。
- 1901年(明治34年)
- 1902年(明治35年)4月 - 相知実業補習学校を併設。
- 1903年(明治36年)2月17日 - 学級増加のため、熊野神社拝殿・中山日子神社(彦山神社)拝殿を仮教場として、「相知仮教場」(高等科第1学級第1学年男子46名)・「中山仮教場」(高等科第2学級第1学年男子43名)を設置。
- 1906年(明治39年)
- 4月 - 辺保木天満宮拝殿(現・上園公民館)を仮分教場とする。
- この年 - 相知炭鉱が独自で「私立和田山尋常高等小学校」の設立を決定する。
- 1907年(明治40年)10月30日 - 中園1525番地に仮分教場設置の認可が下りる。
- 1908年(明治41年)4月1日 - 私立和田山尋常小学校[5]へ206名の児童が転出。これにより高等科分教場の仮教場を廃止。また改正小学校令により、尋常科を6年、高等科を3年とする。
- 1909年(明治42年)- 牟田部炭鉱分教場[6]を和田山尋常高等小学校へ移管。
- 1914年(大正3年)4月- 女子実業補習学校を併設。
- 1919年(大正8年)4月- 男子実業補習学校を併設。
- 1922年(大正11年)4月 - 佐里分教場を6年制、牟田部分教場を4年制とする。
- 1925年(大正14年)3月 - 運動場を拡張。
- 1928年(昭和3年)4月 - 併設の青年訓練所充当相知実業補習学校が相知公民学校に改称。
- 1929年(昭和4年)4月1日 - 佐里分教場が分離の上、佐里尋常小学校として独立。
- 1931年(昭和6年)4月 - 貧困児童を対象に給食を開始。
- 1932年(昭和7年)
- 4月 - 高等科を廃止の上、「相知尋常小学校」に改称[7]。
- 10月 - 校舎の大改築を行う。
- 1935年(昭和10年)9月1日 - 相知村が町制施行で相知町となる。
- 1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令の施行により、「相知国民学校」に改称。尋常科を初等科に改める。
- 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革により、国民学校初等科は「相知町立相知小学校」に改組される。
- 1952年(昭和27年)4月 - 管理棟を改築。
- 1953年(昭和28年)6月 - 特殊学級を開設。
- 1955年(昭和30年)- 創立80周年を記念し、新校舎が完成。校旗・校歌を制定。
- 1956年(昭和31年)4月 - 促進学級を開設。
- 1958年(昭和33年)1月 - 完全給食を開始。
- 1969年(昭和44年)- プールが完成。
- 1971年(昭和46年)
- 9月 - 給食センターの完成により、センターからの配送方式に変更。
- 11月 - 新グラウンドが完成。
- 1972年(昭和47年)3月 - 焼物窯部屋を設置。
- 1975年(昭和50年)11月 - 創立100周年記念式典を挙行。
- 1977年(昭和52年)3月31日 - 牟田部分校を廃止。
- 1981年(昭和56年)- 鉄筋コンクリート造2階建の新校舎が完成。
- 2003年(平成15年)4月1日 - 相知町立佐里小学校と相知町立平山小学校を統合。
- 2004年(平成16年)4月 - 文部科学省委嘱「地域ぐるみの学校安全モデル事業校」に指定される。
- 2005年(平成17年)1月1日 - 市町合併により、「唐津市立相知小学校」(現校名)に改称。
- 2010年(平成22年)4月1日 - 唐津市立田頭小学校を統合。
- 牟田部分校(むたべ)
- 1876年(明治9年)8月 - 大字牟田部41番地に「牟田部小学校」が創立。下等・上等小学科を教授。
- 1882年(明治15年)7月 - 統合により、「相知小学校 牟田部分校」となる。初等科・中等科を教授。
- 1887年(明治20年)4月 - 「尋常相知小学校 牟田部分校」に改称。尋常科を教授。
- 1892年(明治25年)4月 - 「牟田部尋常小学校」として独立。
- 1898年(明治31年)4月 - 統合により、「相知尋常高等小学校 尋常部 牟田部分校」となる。
- 1901年(明治34年)4月 - 「相知尋常高等小学校 尋常部 牟田部分教場」となる。尋常科3年生までを収容。
- 1902年(明治35年)3月 - 校舎を新築。
- 1922年(大正11年)4月 - 尋常科4年生までを収容。
- 1929年(昭和4年)2月 - 校地を拡張の上、校舎を建築。
- 1932年(昭和7年)4月 - 「相知尋常小学校 牟田部分教場」となる。
- 1941年(昭和16年)4月 - 「相知国民学校 牟田部分教場」となる。
- 1947年(昭和22年)4月 - 「相知町立相知小学校 牟田部分校」となる。
- 1951年(昭和26年)10月 - 教室を増築。
- 1956年(昭和31年)7月 - 教室を増築。
- 1970年(昭和45年)3月 - プールが完成。
- 1975年(昭和50年)9月 - 創立100年を迎える。
- 1977年(昭和52年)3月31日 - 閉校。
- 最終所在地 - 佐賀県東松浦郡相知町牟田部(北緯33度22分20.5秒 東経129度59分39.5秒 / 北緯33.372361度 東経129.994306度)
- 現在は牟田部公民館として利用されている。
- 周辺 九州旅客鉄道 唐津線 「本牟田部駅」
交通
[編集]- 最寄りの鉄道駅
- 最寄りのバス停留所
- 昭和バス 「相知市民センター前」停留所
- 最寄りの幹線道路
周辺
[編集]- 唐津市役所 相知市民センター(旧・相知支所、旧・相知町役場)
- 相知浦の川スポーツセンター
- 唐津市相知図書館
- 唐津市社会福祉協議会相知支所
- 唐津警察署相知警察官駐在所
- 唐津信用金庫相知支店
- 唐津市立相知中学校
- 唐津市相知庭球場
- 村田英雄記念館
- 熊野神社
- 妙音寺
- エレナ相知店
- 厳木川
参考資料
[編集]- 「相知町史 下巻」(相知町史編さん委員会, 1977年(昭和52年)3月発行)p.364~
脚注
[編集]- ^ 唐津市立小中学校通学区域 - 唐津市ウェブサイト
- ^ 唐津市立箞木小学校を参照。
- ^ 1898年(明治31年)2月14日創立、1900年(明治33年)5月11日廃止。
- ^ この時点では、1903年度(明治36年度)に相知尋常高等小学校を男子部と女子部に分離し、女子尋常高等小学校を新築、高等科教科分教場を男子尋常高等小学校へ合併移転させる計画であった。
- ^ 1909年(明治42年)に高等科併置の上、私立和田山尋常高等小学校となる。1932年(昭和7年)高等科を廃止の上、私立和田山尋常小学校となり、1933年(昭和8年)に閉校。
- ^ 1912年(明治45年)廃止。北波多村の芳谷尋常高等小学校(唐津市立北波多小学校を参照)へ統合された。
- ^ この時、相知小学校および私立和田山小学校の高等科は、同じ学齢の児童生徒が通う青年訓練所充当実業補習学校の役割を持つ、「相知公民学校」に統合された。相知公民学校は1935年(昭和10年)には青年学校令の施行により、「相知高等実業青年学校」に改称の後、戦後には新制中学校「相知町立相知中学校」に改組された。