コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

弘前市立相馬小学校

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
相馬村立相馬小学校から転送)
弘前市立相馬小学校
弘前市立相馬小学校
地図北緯40度35分0.87秒 東経140度23分57.77秒 / 北緯40.5835750度 東経140.3993806度 / 40.5835750; 140.3993806座標: 北緯40度35分0.87秒 東経140度23分57.77秒 / 北緯40.5835750度 東経140.3993806度 / 40.5835750; 140.3993806
過去の名称 相馬小学
相馬小学校
相馬簡易小学校
相馬尋常小学校
相馬第二尋常小学校
相馬第二国民学校
相馬国民学校
相馬村立相馬小学校
国公私立の別 公立学校
設置者 弘前市
併合学校 (旧)相馬小学校(本校・沢田分校)
五所小学校
設立年月日 1876年7月14日[1]
共学・別学 男女共学
学期 3学期制
学校コード B102210001597 ウィキデータを編集
所在地 036-1502
青森県弘前市大字黒滝字二ノ松本2-4
外部リンク 学校ホームページ
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
テンプレートを表示

弘前市立相馬小学校(ひろさきしりつ そうましょうがっこう)は、青森県弘前市(旧中津軽郡相馬村)大字黒滝にある公立小学校

沿革

[編集]
  • 1876年明治9年)7月14日 - 村内の民家を借用し、相馬小学として開校。
  • 1881年(明治14年)5月 - 相馬小学校に改称。
  • 1886年(明治19年)5月25日 - 相馬簡易小学校に改称。
  • 1891年(明治24年)11月 - 相馬尋常小学校に改称。
  • 1910年(明治43年)12月1日 - 沢田(季節)分校設置。
  • 1931年昭和6年)7月31日 - 相馬第二尋常小学校に改称。
  • 1938年(昭和13年)12月 - 舟打鉱山分教場設置。
  • 1940年(昭和15年)3月31日 - 舟打鉱山分教場が昇格・独立。
  • 1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令により、相馬第二国民学校に改称。
  • 1943年(昭和18年)11月29日 - 相馬国民学校に改称。
  • 1947年(昭和22年)4月1日 - 新学制発足により、相馬村立相馬小学校に改称。同日から藍内分校設置。相馬中学校併置し、高等科生を中学校に移籍。
  • 1949年(昭和24年)4月1日 - 相馬中学校移転分離。
  • 1961年(昭和36年) - 給食室完成により、完全給食開始。
  • 1968年(昭和43年)3月 - 藍内分校廃止。
  • 1976年(昭和51年)9月2日 - 創立百周年記念式典挙行。
  • 1977年(昭和52年)
    • 2月26日 - 五所小学校・相馬小学校の2校が過疎のため統合され、新たに相馬小学校として創立。統合新校舎にて、新校舎落成式典挙行。
    • 3月17日 - 旧校舎で閉校式挙行。
  • 2003年平成15年) - 校舎の長寿命化に類する工事実施[2]
  • 2006年(平成18年)2月27日 - 相馬村が弘前市に合併し、弘前市立相馬小学校に改称。

学区

[編集]
  • 旧相馬村全域[3]である。

交通

[編集]

関連項目

[編集]

参考文献

[編集]
  • 『相馬小学校百年史』(相馬小学校・1977年3月30日発行)153頁~157頁「相馬小学校教育年表」
  • 『相馬村史』(相馬村・1982年2月発行)「第3章 教育・第3節 学制の変遷」180頁~199頁・これに相馬小学校及びこれと関連の内容が記載されている。
  • 『青森県教育史 別巻』(青森県教育委員会・1973年12月20日発行)781頁「学校沿革 小学校 相馬小学校」
  • 弘前市教育委員会ホームページ
  • 角川日本地名大辞典 2 青森県(角川書店)

脚注

[編集]
  1. ^ 下記学校ホームページ(弘前市ホームページ内)には、「昭和52年4月1日創立」と記載されている。
  2. ^ 弘前市学校施設個別施設計画 (PDF) - 弘前市教育委員会(令和2年3月策定・令和3年10月、令和4年11月、令和5年10月変更)
  3. ^ 湯口黒滝五所水木在家紙漉沢坂市藤沢相馬大助藍内沢田の各地区

外部リンク

[編集]