真保一輔
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真保 一輔(しんぼ いっぽ、1887年〈明治20年〉12月25日 - 1964年〈昭和39年〉7月17日)は、日本の植物学者。新潟大学名誉教授。
略歴
[編集]新潟県中蒲原郡庄瀬村大字牛崎(現 新潟市南区牛崎)出身[1]。1906年(明治39年)3月に新潟中学校を卒業、1909年(明治42年)7月に第一高等学校を卒業[注 1]、1912年(明治45年)7月に東京帝国大学理科大学植物学科を卒業[3][4][注 2]。
東京帝国大学理科大学大学院で3年間、植物生理学を研究、東京帝国大学理科大学植物学教室副手に就任、1919年(大正8年)6月に新潟高等学校教授に就任[3][4]、植物学と動物学と生物学を担当。
1928年(昭和3年)3月に文部省在外研究員として植物学の研究のため、ドイツ、オーストリア、イタリア、アメリカへの留学に出発[5][6][7]、1930年(昭和5年)4月に帰国[8]。
1946年(昭和21年)3月に新潟高等学校を退官、1949年(昭和24年)6月に新潟大学新潟高等学校講師に就任、1950年(昭和25年)3月に新潟大学理学部生物学科講師に就任、1958年(昭和33年)1月に新潟大学理学部生物学科教授に就任[5]、1959年(昭和34年)3月に新潟大学を定年退官[5]、6月に新潟大学名誉教授の称号を受称[9]。
1964年(昭和39年)7月17日午前10時20分に新潟大学医学部附属病院で再生不良性貧血のため死去[10]。
虫癭の研究で業績を上げた。また、新潟県史蹟名勝天然記念物調査会委員として新潟県の天然記念物について調査を行ったほか、佐渡や粟島の植物相についても調査を行った[4][11]。
栄典・表彰
[編集]家族・親戚
[編集]- 真保寅三郎 - 父、新潟県中蒲原郡菱潟村第4代村長。
- 真保吾一 - 弟、機械工学者、元東海大学教授、元東京学芸大学教授。
- 真保謙一 - 長男、皮膚科医。
- 真保禎二 - 次男、胃腸科医。
- 吉原賢二 - 甥、放射化学者、東北大学名誉教授。
- 小船井敬吉 - 義妹の兄、真保吾一の妻の兄、新潟中学校の1年先輩、逓信官僚、電気通信技術者、東海大学短期大学部初代学長。
主な論文
[編集]- 「蟲癭ノ硏究(圖入)」『東洋學藝雜誌』第30巻第380号、216-230頁、東洋學藝社、1913年。
- 「本邦產二三ノ蟲癭ニ關スル硏究(其一)」『植物學雜誌』第32巻第377号、121-128頁、東京植物学会、1918年。
- 「本邦產二三ノ蟲癭ニ關スル硏究(其二)」『植物學雜誌』第33巻第385号、1-12頁、東京植物学会、1919年。
- 「粟島のフロラ」『山形農林学会報』第3号、75-93頁、森邦彦[共著]、山形農林学会、1953年。
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ 『広報しろね』第350号、11面。
- ^ 『思出の記』98-101頁。
- ^ a b 『新潟百紳士』201頁。
- ^ a b c 『牧野結網補伝IV 人脈形成篇(その一)』154頁。
- ^ a b c 『牧野結網補伝IV 人脈形成篇(その一)』155頁。
- ^ 「敍任及辭令」『官報』第299号、698頁、内閣印刷局、1927年12月26日。
- ^ 「在外硏究員出發竝歸朝」「學事」「彙報」『官報』第385号、314頁、内閣印刷局、1928年4月13日。
- ^ 「在外硏究員出發竝歸朝」「學事」「彙報」『官報』第1024号、870頁、内閣印刷局、1930年5月31日。
- ^ 『新潟大学二十五年史 総編』593頁。
- ^ 『新潟日報』1964年7月19日付朝刊、13面。
- ^ 『新潟県 人物・人材情報リスト 2021 第1巻』527頁。『新潟の自然 第1集』326頁。『新潟日報』1964年7月19日付朝刊、13面。『北陸の植物』第13巻第2号、49頁。『青山同窓会會報』第2号、3面。『新潟大学二十五年史 部局編』474頁。
- ^ 「辭令二」『官報』第4438号付録、19頁、内閣印刷局、1941年10月23日。
- ^ 叙従三位 真保一輔(新潟高校) - 国立公文書館デジタルアーカイブ
- ^ 「叙位・叙勲」『官報』第11300号、15頁、大蔵省印刷局、1964年8月13日。
参考文献
[編集]- 「眞保一輔君」『新潟百紳士』200-202頁、梅田江湖[著]、新潟公友社、1925年。
- 「真保一輔」『新潟県 人物・人材情報リスト 2021 第1巻』526-527頁、日外アソシエーツ[編]、日外アソシエーツ、2020年。
- 「真保一輔」『新潟の自然 第1集』326頁、新潟の自然刊行委員会[編]、新潟の自然刊行委員会、1968年。
- 「真保一輔略年譜」『牧野結網補伝IV 人脈形成篇(その一)』154-155頁、漉川葵人[著]、牧野富太郎研究所、2016年。
- 「真保一輔氏」『新潟日報』1964年7月19日付朝刊、13面、新潟日報社、1964年。
- 「真保一輔名誉教授の不幸について」『新潟大学学報』第218号、2560頁、新潟大学事務局、1964年。
- 「真保一輔先生をいたむ」『北陸の植物』第13巻第2号、49・51頁、山崎敬[著]、北陸の植物の会、1964年。
- 「真保一輔先生を偲ぶ (PDF) 」『青山同窓会會報』第2号、3面、松田一郎[著]、青山同窓会、1966年。
- 『新潟大学二十五年史 総編』新潟大学二十五年史編集委員会[編]、新潟大学二十五年史刊行委員会、1974年。
- 『新潟大学二十五年史 部局編』新潟大学二十五年史編集委員会[編]、新潟大学二十五年史刊行委員会、1980年。
- 「歴史のページをひもとく (PDF) 」『広報しろね』第350号、11面、東樹友次[著]、白根市役所企画財政課広報広聴係[編]、白根市役所、1985年。
- 『思出の記』安川第五郎[著]、凡人社、1940年。