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真庭市立富原小学校

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
真庭市立富原小学校
校舎外観
地図北緯35度03分36.7秒 東経133度36分33.58秒 / 北緯35.060194度 東経133.6093278度 / 35.060194; 133.6093278座標: 北緯35度03分36.7秒 東経133度36分33.58秒 / 北緯35.060194度 東経133.6093278度 / 35.060194; 133.6093278
過去の名称 尋常井原小学校
井原尋常小学校
井原尋常高等小学校
富原尋常高等小学校
富原国民学校
富原村立富原小学校
勝山町立富原小学校
国公私立の別 公立学校
設置者 富原村(1902年 - 1955年)
勝山町(1955年 - 2005年)
真庭市(2005年 - )
併合学校 新成小学校
後谷簡易学校
井原尋常小学校月田本分教場
勝山町立富山小学校
設立年月日 1875年4月1日
共学・別学 男女共学
学期 3学期制
学校コード B133210003213 ウィキデータを編集
校舎面積 1,845 m2[1]
所在地 717-0741
岡山県真庭市若代1948番地
外部リンク 公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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真庭市立富原小学校(まにわしりつ とみはらがっこう)は、岡山県真庭市若代(わかしろ)にある公立小学校

概要

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当校は勝山地区の西端、新見市大佐地区との境に位置する[2]

児童数は2024年度時点で23人で、完全複式学級(=3学級編成)となっている[3]。近年は減少傾向にある[4]

沿革

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1875年の設立から教育制度の変遷に伴い、1947年昭和22年)4月1日に富原国民学校を富原小学校と改名[5]1972年から1973年にかけて校舎や体育館を改築した[1]1999年4月1日には富山小学校を統合[6]し、現在に至る。

通学区域

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  • 若代・下岩・清谷・曲り・古呂々尾中・野・高田山上・若代畝・後谷・月田本(岩坪浜田・森久を除く)・岩井谷・岩井畝・上[7]

進学先の中学校

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  • 真庭市立勝山中学校[7]

交通アクセス

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周辺

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  • 真庭市立富原保育園
  • 若代郵便局

脚注

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  1. ^ a b 真庭市学校施設マネジメント基本方針”. 真庭市. p. 5 (2020年2月). 2024年12月10日閲覧。
  2. ^ 富原小学校”. 真庭市公式ホームページ. 真庭市. 2024年12月10日閲覧。
  3. ^ 令和6年度公立学校一覧 - 公立小学校一覧” (XLSX). 岡山県ホームページ. 岡山県. 2024年12月10日閲覧。
  4. ^ 真庭市立富原小学校 - 学年別の児童数・学級数”. 学校教育情報サイトGaccom. ガッコム. 2024年12月10日閲覧。
  5. ^ 尾崎蘭青 1961.
  6. ^ 想いでの学び舎 旧勝山町(現:真庭市)編 - 勝山町立富山小学校”. 想いでの学び舎 ラジコンヘリによる空撮記録. 岡山県立図書館. 2024年12月10日閲覧。
  7. ^ a b 真庭市立小、中学校通学区域に関する規則”. 真庭市例規集. 真庭市. 2024年12月10日閲覧。

参考文献

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  • 尾崎蘭青『富原村史』富原公有林保護料管理委員会、1961年6月。 

関連項目

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外部リンク

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