矢崎新二
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瑞宝大綬章 矢崎新二 | |
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会計検査院長 | |
任期 1994年4月12日 – 1996年9月27日 | |
任命者 | 細川内閣 |
前任者 | 中島隆 |
後任者 | 疋田周朗 |
個人情報 | |
生誕 | 1931年9月28日(93歳) 長野県 |
出身校 | 東京大学法学部 |
矢﨑 新二(やざき しんじ、1931年(昭和6年)9月28日[1] - )は、日本の官僚。元防衛事務次官。元会計検査院長。長野県茅野市出身[1]。
来歴
[編集]関東信越国税局長、国税庁調査査察部長、主計局次長を経て、1981年(昭和56年)防衛庁経理局長に転じ、1983年(昭和58年)防衛局長、1985年(昭和60年)防衛事務次官。
1987年(昭和62年)に退官し、1989年(平成元年)検査官に就任。1994年(平成6年)に会計検査院長となり、1996年(平成8年)に定年退官。1997年(平成9年)に日本銀行監事。 2003年(平成15年)の秋の叙勲で瑞宝大綬章を受章。
略歴
[編集]- 長野県諏訪清陵高等学校卒業[1]
- 東京大学法学部第2類(公法コース)卒業[1][2]
- 1953年(昭和28年) 大蔵省入省[1]。主計局総務課[3][4]
- 1958年(昭和33年) 防衛庁経理局会計課員[5][6]
- 1960年(昭和35年)7月11日 釜石税務署長
- 1961年(昭和36年)7月 国税庁直税部所得税課長補佐
- 1963年(昭和38年) 大蔵省主計局主計官補佐(司法・警察係主査)
- 1967年(昭和42年) 大蔵省主計局主計官補佐(厚生係主査)[7]
- 1969年(昭和44年)8月20日 福岡国税局直税部長
- 1971年(昭和46年)6月 日本専売公社管理調整本部主計課長
- 1973年(昭和48年)7月3日 大蔵省主計局主計官(総務課(企画担当))
- 1976年(昭和51年)7月1日 大蔵省主計局主計官(地方財政、補助金、大蔵担当)
- 1977年(昭和52年)6月17日 大蔵省主計局総務課長兼主計局司計課長兼主計局法規課長
- 1977年(昭和52年)6月27日 免兼主計局司計課長、免兼主計局法規課長
- 1978年(昭和53年)6月17日 関東信越国税局長
- 1979年(昭和54年)7月10日 国税庁調査査察部長
- 1980年(昭和55年)6月17日 大蔵省主計局次長(末席)(総理府、司法・警察、厚生・労働、運輸、郵政、給与、共済担当)[8][9]
- 1981年(昭和56年)6月26日 大蔵省大臣官房付
- 1981年(昭和56年)7月23日 防衛庁経理局長
- 1983年(昭和58年)6月29日 防衛庁防衛局長
- 1985年(昭和60年)6月25日 防衛事務次官
- 1987年(昭和62年)6月23日 退官
- 1989年(平成元年)4月10日 検査官
- 1989年(平成元年)11月22日 同再任
- 1994年(平成6年)4月12日 会計検査院長
- 1996年(平成8年)9月27日 定年退官
- 1997年(平成9年)1月27日 日本銀行監事
- 2003年(平成15年)11月3日 授瑞宝大綬章[10]
脚注
[編集]- ^ a b c d e 矢崎新二 とは 【事典・辞書サイトkotobank】
- ^ 『東大人名録 官公庁編』1986年発行、22頁
- ^ 『政界往来 第51巻、第10〜12号』1985年発行、127頁
- ^ 『日本官界名鑑』1981年発行、670頁
- ^ 『職員録 昭和34年版 上巻』大蔵省印刷局、1959年1月発行、124頁
- ^ 『職員録 昭和35年版 上巻』大蔵省印刷局、1960年1月発行、110頁
- ^ 『職員録 昭和44年版 上巻』大蔵省印刷局、1968年発行、396頁
- ^ 『週刊現代 第15巻、第1~3号』講談社、1981年発行、114頁
- ^ 『日本の官庁とその人:大蔵省・通商産業省・経済企画庁』国土政策研究会、1982年発行、507頁
- ^ “皇居で大綬章の親授式/赤松元文相ら15人”. 四国新聞社 (2003年11月5日). 2023年4月27日閲覧。
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