矢野貴章
| ||||||
---|---|---|---|---|---|---|
名前 | ||||||
愛称 | キショウ | |||||
カタカナ | ヤノ キショウ | |||||
ラテン文字 | YANO Kisho | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | 日本 | |||||
生年月日 | 1984年4月5日(40歳) | |||||
出身地 | 静岡県浜松市 | |||||
身長 | 187cm | |||||
体重 | 78kg | |||||
選手情報 | ||||||
在籍チーム | 栃木SC | |||||
ポジション | FW / DF | |||||
背番号 | 29 | |||||
利き足 | 右足 | |||||
ユース | ||||||
2000-2002 | 浜名高校 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
2003-2005 | 柏レイソル | 39 | (4) | |||
2006-2010 | アルビレックス新潟 | 152 | (30) | |||
2010-2012 | SCフライブルク | 15 | (0) | |||
2012 | アルビレックス新潟 | 30 | (2) | |||
2013-2016 | 名古屋グランパス | 115 | (8) | |||
2017-2019 | アルビレックス新潟 | 94 | (8) | |||
2020- | 栃木SC | 114 | (18) | |||
代表歴2 | ||||||
2001 | 日本U-17 | 2 | (1) | |||
2007-2010[1] | 日本 | 19 | (2) | |||
1. 国内リーグ戦に限る。2022年10月23日現在。 2. 2009年6月17日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
矢野 貴章(やの きしょう、1984年4月5日 - )は、静岡県浜松市出身のプロサッカー選手。Jリーグ・栃木SC所属。 ポジションはフォワード、ディフェンダー。元日本代表。マネジメント会社はサニーサイドアップ。
実兄の矢野晴之介は現在、日本体育大学サッカー部の監督を務める[2]。
来歴
[編集]クラブ
[編集]プロ入り前
[編集]小学生時代はジュビロ浜北サッカースクールおよび静岡大学附属浜松サッカー少年団に在籍。中学生時代に在籍したヤマハジュビロSSではサイドバックを務めていたが、浜名高校在籍時にフォワードにコンバートされた[3]。2001年にはU-17日本代表としてU-17世界選手権に出場し、5-1と大敗したフランス戦でゴールを決めた。2002年は、ジュビロ磐田の強化指定選手に登録された。
柏レイソル
[編集]高校卒業時には4クラブから誘われた中からJ1・柏レイソルに入団[4]。プロ1年目の2003年開幕戦から先発メンバーに抜擢されるなどリーグ戦18試合に出場したが、2004年の試合出場はわずか9分に留まり、2005年もシーズン前半はベンチ外が続いたが、6月にU-21日本代表としてトゥーロン国際大会に参加したことが転機となり、シーズン後半はコンスタントに出場するようになった[5][6]。しかし、J1・J2入れ替え戦に柏が敗れたため、柏のJ2降格が決定した。
アルビレックス新潟
[編集]2006年、永田充と共にアルビレックス新潟に完全移籍。2009年は3トップの右ウィング及びセンターで起用され、プロ入り後最多のリーグ戦8得点を記録した。2010年は副将に就任し、状況によりゲームキャプテンを務めることもあった。
SCフライブルク
[編集]2010年8月27日、ブンデスリーガのSCフライブルク公式サイトにて、同クラブとの契約が発表され、夢だった海外移籍を実現。代理人は長谷部誠、香川真司らと同じトーマス・クロート。9月11日、VfBシュトゥットガルト戦でブンデスリーガデビューを果たすも、その後はレギュラーの座を掴めず、2010-11シーズンは主に途中投入で15試合に出場するも無得点に終わった。翌2011-12シーズンは、ベンチ入りすることもままならず、2011年12月20日にクラブから戦力外通告を受けた。その後、ドイツクラブへの移籍やスイス2部・FCアーラウのトライアウトの参加など去就が報じられたが、いずれも契約には至らなかった。
アルビレックス新潟 (2次)
[編集]2012年2月8日、古巣新潟への完全移籍での復帰が発表された。背番号は前回所属時の11番をFWブルーノ・ロペスが背負っていたため、空いていた9番を背負うこととなった。1年半ぶりの復帰となった新潟ではリーグ戦開幕から未勝利のまま低迷していたチームの初勝利となった第6節セレッソ大阪戦で決勝点を挙げるなどしたものの、出場したリーグ戦30試合は主に途中出場で、得点も2得点に留まるなど、低迷したチームの中、期待通りの活躍が出来ずにシーズンを終えた。
名古屋グランパス
[編集]2013年、名古屋グランパスに完全移籍。3月23日、ナビスコカップ第2節サガン鳥栖戦で決勝点となる移籍後初ゴールを決めた。リーグ戦序盤は負傷のジョシュア・ケネディに代わる長身FWとして先発出場を続けていたが、これが機能せず[7]、ケネディ復帰以後は途中出場が主となった[8]。2014年からは守備陣に故障者が相次ぐチーム事情もあり、主に右サイドバックや右サイドハーフで起用されることが多くなった[9]。2016年には右SBに古林将太が加わったが定位置を譲らなかった。またボスコ・ジュロヴスキー監督時代には前線で起用される試合もあった。
アルビレックス新潟 (3次)
[編集]2017年より古巣・新潟に復帰[10]。同年8月5日、第20節の横浜Fマリノス戦で、史上49人目となるJ1リーグ通算350試合出場を達成した[11]。
自身初のJ2で戦うことになった2018年より登録ポジションをFWに変更した。2019年を持って新潟を契約満了により退団[12]。
栃木SC
[編集]日本代表
[編集]2007年3月には日本代表に初招集され、3月24日のペルー戦で国際Aマッチ初出場を果たした[1]。また、9月11日の3大陸トーナメント・スイス戦で代表初得点を挙げた[1]。
2010年5月10日、2010 FIFAワールドカップの最終登録メンバーに選出される。事前に予想されていなかったサプライズ選出であり、新潟在籍選手としては初のW杯メンバーとなった。6月14日に行われたグループリーグ第1戦のカメルーン戦に、後半37分から大久保嘉人との交代で出場した。
プレースタイル
[編集]フォワードとしては長身を生かした空中戦や身体を張ったプレーだけでなく、ドリブル突破、スペースへの飛び出しを得意とする[15]。また、豊富な運動量や前線からの守備が得意であり、チームの為に労を惜しまない選手である[16][17][18]。その一方で、シュート精度に課題があり、J1リーグ戦におけるシュート決定率や90分平均得点は低いものとなっているが[19]、殆ど角度のない位置からのシュート(通称:貴章ゾーン)を決める事が多い選手でもある[16]。
エピソード
[編集]- 父親が亡くなった直後に試合に出場してゴールを決め、その試合をたまたま見ていた関係者の目にとまり、日本代表に選出された。
- 2010年W杯メンバーに選出されたとき、岡田武史監督(当時)はFWである矢野に、フィジカルとセットプレー時の守備に期待していると語っていた。
所属クラブ
[編集]- ジュビロ浜北サッカースクール付属少年団
- 1997年 - 1999年 ヤマハジュビロSS浜北ジュニアユース
- 2000年 - 2002年 静岡県立浜名高校
- 2003年 - 2005年 柏レイソル
- 2006年 - 2010年8月 アルビレックス新潟
- 2010年8月 - 2012年2月 SCフライブルク
- 2012年2月 - 同年12月 アルビレックス新潟
- 2013年 - 2016年 名古屋グランパス
- 2017年 - 2019年 アルビレックス新潟
- 2020年 - 栃木SC
個人成績
[編集]国内大会個人成績 | |||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
2003 | 柏 | 18 | J1 | 18 | 2 | 2 | 0 | 0 | 0 | 20 | 2 |
2004 | 2 | 0 | 1 | 0 | 1 | 0 | 4 | 0 | |||
2005 | 19 | 2 | 1 | 0 | 2 | 0 | 22 | 2 | |||
2006 | 新潟 | 11 | 33 | 6 | 6 | 1 | 2 | 1 | 41 | 8 | |
2007 | 33 | 7 | 6 | 1 | 1 | 0 | 40 | 8 | |||
2008 | 33 | 6 | 3 | 0 | 2 | 0 | 38 | 6 | |||
2009 | 33 | 8 | 1 | 0 | 4 | 5 | 38 | 13 | |||
2010 | 20 | 3 | 2 | 0 | 0 | 0 | 22 | 3 | |||
ドイツ | リーグ戦 | リーグ杯 | DFBポカール | 期間通算 | |||||||
2010-11 | フライブルク | 22 | ブンデス1部 | 15 | 0 | - | 0 | 0 | 15 | 0 | |
2011-12 | 0 | 0 | - | 0 | 0 | 0 | 0 | ||||
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
2012 | 新潟 | 9 | J1 | 30 | 2 | 4 | 0 | 2 | 0 | 36 | 2 |
2013 | 名古屋 | 19 | 29 | 1 | 5 | 1 | 1 | 0 | 35 | 2 | |
2014 | 26 | 2 | 6 | 1 | 4 | 0 | 36 | 3 | |||
2015 | 28 | 3 | 7 | 0 | 0 | 0 | 35 | 3 | |||
2016 | 31 | 2 | 3 | 0 | 0 | 0 | 34 | 2 | |||
2017 | 新潟 | 23 | 1 | 0 | 0 | 1 | 0 | 24 | 1 | ||
2018 | J2 | 39 | 5 | 2 | 1 | 0 | 0 | 41 | 6 | ||
2019 | 32 | 2 | - | 1 | 0 | 33 | 2 | ||||
2020 | 栃木 | 29 | 37 | 7 | - | - | 37 | 7 | |||
2021 | 41 | 4 | - | 1 | 0 | 42 | 4 | ||||
2022 | 36 | 7 | - | 0 | 0 | 36 | 7 | ||||
2023 | 26 | 2 | - | 0 | 0 | 26 | 2 | ||||
2024 | |||||||||||
通算 | 日本 | J1 | 358 | 45 | 47 | 4 | 20 | 6 | 425 | 55 | |
日本 | J2 | 211 | 27 | 2 | 1 | 2 | 0 | 215 | 28 | ||
ドイツ | ブンデス1部 | 15 | 0 | - | 0 | 0 | 15 | 0 | |||
総通算 | 584 | 72 | 49 | 5 | 22 | 6 | 655 | 83 |
- 2002年は強化指定選手として公式戦出場は無し。
その他の公式戦
- 2005年
- J1・J2入れ替え戦 2試合0得点
- Jリーグ初出場 2003年3月22日 J1-1st-1節 vsFC東京 (味の素スタジアム)
- Jリーグ初得点 2003年4月20日 J1-1st-4節 vsセレッソ大阪 (日立柏サッカー場)
代表歴
[編集]- A代表初出場 2007年3月24日 キリンチャレンジカップ vsペルー (日産スタジアム)
- A代表初得点 2007年9月11日 三大陸対抗サッカー大会 vsスイス (クラーゲンフルト / オーストリア)
出場大会など
[編集]- U-17日本代表
- 2001 FIFA U-17世界選手権 (出場2試合・1得点)
- U-19、U-20日本代表
- AFCユース選手権2002 (出場5試合・2得点)
- A代表
- アジアカップ2007 (出場3試合・0得点)
- 2010 FIFAワールドカップ南アフリカ大会 (出場1試合・0得点)
試合数
[編集]- 国際Aマッチ 19試合 2得点 (2007年 - 2010年)[1]
日本代表 | 国際Aマッチ | |
---|---|---|
年 | 出場 | 得点 |
2007 | 7 | 1 |
2008 | 5 | 0 |
2009 | 4 | 1 |
2010 | 3 | 0 |
通算 | 19 | 2 |
出場
[編集]ゴール
[編集]No. | 開催日 | 開催都市 | スタジアム | 対戦国 | 結果 | 大会 |
---|---|---|---|---|---|---|
1. | 2007年9月11日 | クラーゲンフルト | ヴェルターゼー・シュターディオン | スイス | ○4-3 | 3大陸トーナメント |
2. | 2009年5月31日 | 新宿 | 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 | ベルギー | ○4-0 | キリンカップサッカー2009 |
脚注
[編集]- ^ a b c d “矢野 貴章”. サッカー日本代表データベース
- ^ 初先発・ビューティー川澄2発/女子W杯 - サンケイスポーツ、2011年7月15日
- ^ 日刊スポーツ 高校サッカー2002 金の卵を探せ!注目選手紹介 第6回 矢野貴章(浜名3年)
- ^ 「止める蹴るしゃべる」『週刊サッカーマガジン』ベースボールマガジン社、2003年9月30日号 No.941、61-63ページ
- ^ 人 of the Week『週刊サッカーマガジン』ベースボールマガジン社、2005年8月9日号 No.1037、66ページ
- ^ 永田充×矢野貴章 対談『週刊サッカーマガジン』ベースボールマガジン社、2006年2月7日号 No.1063、96-97ページ
- ^ 名古屋が低迷の末に陥った悪循環 中断期間中に求められる攻撃の整備 スポーツナビ (2013年5月24日)
- ^ 選手出場記録 Jリーグ (2013年12月7日)
- ^ 右サイドバック、矢野貴章が大活躍 名古屋、6試合ぶりとなる見事な勝利 - ウェイバックマシン(2016年3月4日アーカイブ分) 共同通信 (2014年5月1日)
- ^ 『名古屋グランパスから矢野 貴章選手 完全移籍加入のお知らせ』(プレスリリース)アルビレックス新潟、2016年12月30日 。2016年12月30日閲覧。
- ^ “2017明治安田生命J1リーグ 第20節 矢野 貴章 選手(新潟)J1通算350試合出場達成”. Jリーグ.jp (2017年8月5日). 2018年7月13日閲覧。
- ^ 『契約満了選手のお知らせ』(プレスリリース)アルビレックス新潟、2019年11月22日 。2019年11月24日閲覧。
- ^ 『矢野 貴章 選手 栃木SCに移籍決定のお知らせ』(プレスリリース)アルビレックス新潟、2020年1月6日 。2020年1月8日閲覧。
- ^ 『矢野貴章選手 アルビレックス新潟より完全移籍加入のお知らせ』(プレスリリース)栃木SC、2020年1月6日 。2020年1月8日閲覧。
- ^ 『週刊サッカーマガジン増刊 2007 J1&J2リーグ選手名鑑』(ベースボール・マガジン社) 、『週刊サッカーダイジェスト』(日本スポーツ企画出版社)2008年6月17日号 No.953 p29等の記述によった
- ^ a b 『週刊サッカーマガジン増刊 2008 J1&J2リーグ選手名鑑』(ベースボール・マガジン社)の記述によった
- ^ “J1新潟・矢野、ドイツで羽ばたけ サッカー欧州移籍 契約交渉へ出発”. CHUNICHI Web (中日新聞社). (2010年8月27日). オリジナルの2010年8月30日時点におけるアーカイブ。 2010年9月11日閲覧。
- ^ “【Jリーグ】「新潟の誇りもって南アへ」矢野、得点逃すも6季ぶり4連勝に貢献”. MSN産経ニュース (産業経済新聞社). (2010年5月15日). オリジナルの2010年12月4日時点におけるアーカイブ。 2010年9月11日閲覧。
- ^ TBS スーパーサッカー の選手データによった
関連項目
[編集]- 特別指定選手としてJリーグクラブに登録された選手一覧
- ジュビロ磐田の選手一覧#アカデミー出身者
- 柏レイソルの選手一覧
- アルビレックス新潟の選手一覧
- 名古屋グランパスエイトの選手一覧
- 栃木SCの選手一覧
- ドイツ・ブンデスリーガに所属する日本人サッカー選手一覧
外部リンク
[編集]- 矢野貴章 - National-Football-Teams.com
- 矢野貴章 - Soccerway.com
- 矢野貴章 - FootballDatabase.eu
- 矢野貴章 - WorldFootball.net
- 矢野貴章 - Transfermarkt.comによる選手データ
- 矢野貴章 - FIFA主催大会成績
- 矢野貴章 - J.League Data Siteによる選手データ
- 矢野貴章 - TheFinalBall.com
- 矢野貴章 - Fussballdaten.de
- 代理人:トーマス・クロート日本公式サイト[リンク切れ]
- 矢野貴章 (@kisho_yano_) - X(旧Twitter)
- 矢野貴章 (@kishoyano) - Instagram
- 矢野貴章オフィシャルブログ