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石主岩

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石主岩
生誕 1916年6月9日
大日本帝国の旗 日本統治下朝鮮咸鏡北道茂山郡
死没 (1999-07-19) 1999年7月19日(83歳没)
大韓民国の旗 大韓民国ソウル特別市
所属組織 満州国軍
大韓民国陸軍
最終階級 上尉(満州国軍)
少将(韓国陸軍)
墓所 国立大田顕忠院将軍第1墓域108号
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石 主岩(ソク・チュアム、석주암)は、満州国軍および大韓民国陸軍軍人創氏改名時の日本名石川清[1]本貫忠州石氏[2]

経歴

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1940年12月、満州国軍の幹部養成所中央陸軍訓練処第8期卒業[1]。見習軍官を経て1941年4月、砲兵少尉任官[1]。第2次世界大戦終戦時は砲兵上尉[1]。戦後、韓僑保護を目的として満州国軍の朝鮮人軍官を中心に新京保安司令部(長:丁一権)が組織されると、警備隊の教官を務めた[3]

1946年3月、アメリカ軍政下の朝鮮半島に帰国[4]。同年12月、同軍政地域(後の韓国)の警備士官学校第2期卒業(軍番10222番)[5]。1947年12月1日、第1旅団作戦参謀(大尉)[6]。1949年1月15日、第7旅団参謀長(中領)[7]。同年3月15日、第5旅団参謀長[7]。1950年5月、第1師団参謀長(大領)[8]

1950年6月、朝鮮戦争勃発。臨津江の戦い多富洞の戦いなどに参加。1950年10月、平壌進撃中に搭乗していたジープが地雷に接触して足を負傷したため後送される[9]。1951年5月1日、陸軍本部戦史監[10][11]。1951年10月26日、慶尚北道地区兵事区司令官[12]。1952年9月10日、憲兵司令官(准将)[13]。1953年5月16日、任少将[14]。同年8月19日、陸軍本部情報局長[15]。1954年、アメリカ陸軍指揮幕僚大学卒業。1955年、第29師団長。1957年8月2日、第6管区司令官[16]。1957年8月付で、1年間、軍部隊の練炭貯蔵所管理権をソウル石炭会社に貸与する形式で500万を受けて売却した汚職容疑で陸軍中央規律委員会に回付された[1]。1959年3月、予備役編入[17]

1976年、大宇重工業顧問。

2008年4月29日に民族問題研究所親日人名辞典編纂委員会が発表した親日人名辞典収録対象者軍部門に記載[18]

出典

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  1. ^ a b c d e 親日人名辞典編纂委員会 2009, p. 281.
  2. ^ [충북의성씨를 찾아서충주-홍주석씨(忠州-洪州石氏)]” (朝鮮語). 충청일보 (2013年1月3日). 2022年7月18日閲覧。
  3. ^ “중국인들 무자비한 한인보복살인 교민 자유 위해 보안사 설치-김홍일장군 권고따라 천신만고 끝에 귀국” (朝鮮語). 中央日報. (1982年11月29日). オリジナルの2021年5月4日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20210504184853/http://news.joins.com/article/1665699 2017年10月8日閲覧。 
  4. ^ 張昌国 (1982年12月23日). “(3596) 제79화 제79화 육사졸업생들(49) 장창국” (朝鮮語). 中央日報. http://news.joins.com/article/1672357 2016年6月28日閲覧。 
  5. ^ 佐々木 1976, p. 98.
  6. ^ (PDF) 제주4・3사건자료집5[군경자료편1]. 제주4·3사건진상규명및희생자명예회복위원회. (2002). p. 66. ISBN 89-89205-28-X. http://43archives.or.kr/viewPdf/BBS_201611141133375260.pdf.do?uploadFileSeq=44131 
  7. ^ a b 佐々木 1976, p. 213.
  8. ^ 佐々木 1976, p. 211.
  9. ^ 白善燁『若き将軍の朝鮮戦争』、357頁。 
  10. ^ 박동찬 2014, p. 103.
  11. ^ 양영조 2003, p. 6.
  12. ^ 兵務廳 (1986). 兵務行政史 上巻. 兵務廳. p. 808 
  13. ^ “石主岩(석주암) 准將(준장) 新任(신임)” (朝鮮語). 부산일보. (1952年9月13日). http://www.busan.com/view/busan/view.php?code=19520913000053 2019年11月15日閲覧。 
  14. ^ “元 少將, 中將으로” (朝鮮語). 부산일보. (1953年5月29日). http://www.busan.com/view/busan/view.php?code=19530529000020 2019年11月15日閲覧。 
  15. ^ 박동찬 2014, p. 101.
  16. ^ “陸軍 少將級 補職 發令” (朝鮮語). 부산일보. (1957年8月4日). http://www.busan.com/view/busan/view.php?code=19570804000010 2019年11月15日閲覧。 
  17. ^ “政府人事” (朝鮮語). 부산일보. (1959年3月21日). http://www.busan.com/view/busan/view.php?code=19590321000011 2019年11月15日閲覧。 
  18. ^ “[명단] 친일인명사전 수록 대상자 4776명” (朝鮮語). オーマイニュース. (2008年4月29日). http://www.ohmynews.com/NWS_Web/view/at_pg.aspx?CNTN_CD=A0000889220 2021年4月30日閲覧。 

参考文献

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軍職
先代
方圓哲
(代理)
大韓民国の旗 大韓民国陸軍本部戦史監
第2代:1951.5.1 - 1951.6.30
次代
朴炳権
先代
沈彦俸
大韓民国の旗 大韓民国陸軍憲兵司令官
第10代:1952.9.10 - 1953.8.18
次代
任忠植