石井垣城
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石井垣城 (鳥取県) | |
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別名 | 岩井垣城、中山城 |
城郭構造 | 複郭式平山城 |
天守構造 | なし |
築城主 | 糟屋氏か |
築城年 | 元弘3年(1333年)以前 |
主な改修者 | 箆津氏 |
主な城主 | 糟屋重行、赤坂幸清、箆津敦忠 |
廃城年 | 不明 |
遺構 | 郭、土塁、石塁、堀切、馬出、土橋 |
指定文化財 | 未指定 |
位置 | 北緯35度30分55.6秒 東経133度34分58.1秒 / 北緯35.515444度 東経133.582806度座標: 北緯35度30分55.6秒 東経133度34分58.1秒 / 北緯35.515444度 東経133.582806度 |
地図 |
石井垣城(いわいがきじょう)は、鳥取県西伯郡大山町石井垣にあった日本の城。この地方では珍しい複郭式の遺構が確認される。
歴史
[編集]南北朝時代初期には伯耆守護代の糟屋弥次郎元覚の拠点であった。元弘3年(1333年)、船上山合戦の後、名和長年によって攻撃され炎上、幕府方の糟屋氏は滅亡した。まもなくして付近の国人・赤坂掃部助が居城、その後箆津豊後守敦忠が居城して以後は箆津氏の拠点となった。
遺構
[編集]- 当城は甲川(きのえがわ)沿いに位置する標高55m(比高10m)の丘陵にあり、この地方では珍しい複郭式の平山城である。
- 甲川沿いに主郭部の本丸、二の丸が配置されており、郭を3本の空堀で区切っている。西側の曲輪は現在、春日神社の境内になっている。(境内から土橋を渡って城の中に入ることができる)
- 全部で7つの曲輪が存在しており、東西300m、南北500mの広範囲に城域が広がっている。また、主郭周辺の平坦地等は侍屋敷、館跡と推定されている。
参考文献
[編集]- 鳥取県史2中世
- 鳥取県教育委員会 『鳥取県中世城館分布調査報告書 第2集(伯耆編)』