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石井子彭

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
石井 子彭
時代 江戸時代
生誕 元文3年(1738年)6月
死没 文化9年8月29日1812年10月4日
別名 蠡(諱)、条大夫・左司馬[1](通称)、揚州[2](号)
戒名 長寿院徳巖全尭居士
墓所 群馬県館林市当郷町善長寺
主君 松平武元武寛斉厚
上野館林藩
氏族 服部氏、石井氏
父母 服部正之、石井高富
石野氏、古山氏
石井芚、粲、棠
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石井 子彭(いしい しほう)は江戸時代中後期の儒学者上野館林藩松平武元右筆、道学館教授。『続三王外記』『東都歳時記』を著した。

経歴

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江戸

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元文3年(1738年)6月江戸北嶼に服部正之の末男として生まれた[3]。3歳で父を喪い人に預けられ、館林藩士石井高富の養子となった[4]。少年時より藩主松平武元の寵愛を受け[5]、右筆として武元の老中職を補佐した[6]明和3年(1766年)の大火では財産を顧みず、自著のみを携えて避難した[7]安永以来岡田寒泉と親交があった[7]

大内熊耳古学を学ぶも、時流に従い朱子学に転じ、闇斎学派服部栗斎に接近した[8]。天明6年(1786年)栗斎の紹介で頼春水と知り合い、その帰郷後、代わって江戸に来訪した頼杏坪と交際した[9]。この他、木内石亭大田南畝[10]安達清河熊坂台州稲葉黙斎等と交流があった[11]

館林

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館林に帰郷し[12]藩校道学館教授[5]兼侍読を務めた[4]。記録方でも繰出し帳作成に従事し、休憩中は同僚が喫煙する間も歌書・稗史類を抜書し、「これが私の煙草だ。」と公言した[4]

寛政13年(1801年)2月松平武寛長女蓮乗院、享和3年(1803年)2月武元側室貞林院[13]文化元年(1804年)6月家老松倉惟水[14]、文化2年(1805年)8月武寛正室光寿院[13]、文化4年(1807年)9月藩士平石直右衛門敬勝の墓誌を記した[5]

文化9年(1812年)8月29日館林字裏宿内伴木通北通(後の清水屋裏)の自邸で死去し[5]、当郷村善長寺観音堂北墓地に葬られた[15]。法号は長寿院徳巖全尭居士[3]

著作

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家族

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  • 実父:服部正之 – 朝士[3]
  • 実母:近藤氏[3]
  • 養父:石井高富 – 館林藩士[3]
  • 先妻:石野氏 – 出産した年の冬に死去[3]
    • 長男 – 夭折[3]
  • 後妻:古山氏[3]
    • 次男:石井芚(天明4年(1784年) - 天保12年12月10日(1842年1月21日))[2]
      字は愚卿、号は酔石・狸谷[7]。通称は条右衛門か[5]。歴史・書道に通じ、館林藩右筆となり、『酔石街談録』を著した[7]天保7年(1836年)松平斉厚浜田藩転封に従い石見国浜田に渡った[25]
    • 三男:石井粲 – 通称は繁之助、号は一等院。21歳で死去[26]
    • 四男:石井棠[26]
    • 娘 – 御供氏妻[3]
    • 娘 – 小林氏妻[3]

定紋は剣片喰・矢源氏車[15]

脚注

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  1. ^ 森 1943, p. 143.
  2. ^ a b 森 1943, p. 145.
  3. ^ a b c d e f g h i j 寺島 1932, p. 38.
  4. ^ a b c 寺島 1938, p. 10.
  5. ^ a b c d e 寺島 1938, p. 11.
  6. ^ a b 森 1931, p. 48.
  7. ^ a b c d 森 1931, p. 51.
  8. ^ 頼 1981, p. 34.
  9. ^ a b 頼 1986, p. 35.
  10. ^ 森 1943, pp. 146–148.
  11. ^ 森 1931, pp. 49–51.
  12. ^ 森 1931, p. 52.
  13. ^ a b 森 1931, pp. 53–54.
  14. ^ 森 1931, p. 50.
  15. ^ a b 寺島 1938, p. 8.
  16. ^ 続三王外記』 - 早稲田大学図書館古典籍総合データベース
  17. ^ a b 森 1931, p. 49.
  18. ^ 森 1931, pp. 48–49.
  19. ^ 辻 1992.
  20. ^ 寺島 1938, p. 9.
  21. ^ 頼 1986, p. 34.
  22. ^ 民間風俗年中行事』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  23. ^ 浜田市立図書館文書”. 群馬県立文書館所蔵目録検索. 群馬県立文書館. 2018年1月23日閲覧。
  24. ^ a b 館林藩越智松平家文書”. 群馬県立文書館所蔵目録検索. 群馬県立文書館. 2018年1月23日閲覧。
  25. ^ 寺島 1932, p. 40.
  26. ^ a b 寺島 1938, p. 12.

参考文献

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