石井村 (愛媛県)
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いしいむら 石井村 | |
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石井村 松山市 合併三十周年記念植樹 (松山市東石井6丁目) | |
廃止日 | 1962年4月1日 |
廃止理由 |
編入合併 松山市、石井村 → 松山市 |
現在の自治体 | 松山市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 四国地方 |
都道府県 | 愛媛県 |
郡 | 温泉郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
面積 | 9.01 km2. |
総人口 |
8,131人 (国勢調査、1955年) |
石井村役場 | |
所在地 | 愛媛県温泉郡石井村 |
座標 | 北緯33度48分40秒 東経132度46分31秒 / 北緯33.811度 東経132.77533度座標: 北緯33度48分40秒 東経132度46分31秒 / 北緯33.811度 東経132.77533度 |
ウィキプロジェクト |
石井村(いしいむら)は愛媛県久米郡・温泉郡にあった村である。
沿革
[編集]- 1889年(明治22年)12月15日 - 町村制の施行により、今在家村、井門村、越智村、居相村、古川村、西石井村、東石井村、星岡村、天山村、朝生田村、和泉村、北土居村、南土居村(一部)が合併して久米郡石井村が発足。
- 1896年(明治29年)1月26日 - 伊予鉄道森松線が開業。
- 1897年(明治30年)4月1日 - 所属郡を温泉郡に変更。
- 1907年(明治40年)6月30日 - 村役場が東石井(本覚寺)から西石井に移転[1]。
- 1914年(大正 3年)4月 - 小野・久米・石井・浮穴・南吉井五ヶ村入山組合設立[2]。
- 1934年(昭和 9年)3月24日 - 国鉄バス松山-久万間運転開始[3]。
- 1945年(昭和20年)7月26日 - 空襲により石井国民学校、民家30戸などを焼失。死者1名[4]。
- 1946年(昭和21年)3月 - 石井郵便局が開局[5]。
- 1951年(昭和26年)10月15日 - 石井公民館が開館[6]。
- 1962年(昭和37年)4月1日 - 松山市に編入。同日石井村廃止。
地理
[編集]温泉郡のほぼ中央にあり、東は久米村、南は浮穴村および伊予郡北伊予村、西は余土村、北は素鵞村および雄群村に接する。地勢はおおむね平坦だが、北東部に3つの小丘がある[7]。
河川
[編集]丘陵
[編集]- 天山
- 星岡山
- 東山
官公署など
[編集]- 石井村役場 - 石井村発足当初は大字東石井の本覚寺に役場が置かれていたが、1906年(明治39年)に大字西石井の有力者から土地提供の申し入れがあり、翌年に庁舎を新築して本覚寺より移転した[8]。村役場は松山市への編入後、同市石井支所となり、1976年(昭和51年)10月11日まで西石井町19番地(現在の石井保育園所在地)にあった[9]。
- 石井村駐在所 - 1898年(明治31年)に大字北土居の国道沿いに設置されたが、1935年(昭和10年)に越智305番地に新築移転した[10]。
- 石井郵便局 - 1946年(昭和21年)大字北土居に開局。
- 石井村農業協同組合 - 1948年(昭和23年)5月発足[11]。
教育
[編集]交通
[編集]鉄道路線
[編集]道路
[編集]名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事
[編集]- 伊豫豆比古命神社 - 椿祭り
- 天山神社(大字天山)
- 雲門寺(大字星岡)
- 善宝寺(大字朝生田)
- 長徳寺(大字古川)
- 万福寺(大字南土居)
- 縦渕城跡 - 承久年間中河野通久が築城し、曾孫通盛が湯築城を築くまで河野氏の拠点となった[12]。
出身・ゆかりのある人物
[編集]- 岡田温 - 衆議院議員、石井村長
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 石井村史追録編集委員会 『愛媛県温泉郡 石井村史』 石井公民館、1982年
- 石井地区ふるさと史編集委員会 『わが郷土石井の今昔そして未来へ』 石井公民館、2007年
- 椿南松田卯太郎 『新編温泉郡誌』 松山石版印刷所、1916年