石井潤治
石井 潤治(いしい じゅんじ、1954年〈昭和29年〉2月21日 - )は日本の航空機設計者。航空教育者。人力飛行機ストークの設計者。
来歴
[編集]1954年(昭和29年)、岡山県倉敷市に出生。 1972年(昭和47年)、日本大学理工学部機械工学科航空宇宙工学コース入学、1976年同大学卒業。在学中は航空研究会ホームビルト斑に所属し、実機の設計・製作に没頭する。大学2年で木製ハンググライダー「HOBBY」を設計・製作し、飛行に成功。大学4年の時に、ラジコン模型航空機 Aka02(あかおに)が、2.5倍のエンジン付きパイロンレースで優勝機と同等のタイムを出し、ラジコン技術に連載記事を執筆。[1]1977年1月2日、卒業研究で設計製作した人力飛行機ストークが海上自衛隊下総基地で2093.9mを飛行し世界記録を樹立、[2]ストークは国立科学博物館に永久保存される。
1981年(昭和56年)6月、石川島播磨重工業(現IHI)入社、民間航空機用ターボファンエンジン(RJ-500)の開発に従事。1982年、山陽鉄工株式会社(岡山県倉敷市)に入社。1987年、超軽量飛行機パフィン(40ps1人乗り)、その後レモン(64ps2人乗り)を設計製作し、自らテストパイロットとして飛行。[3]設計、製造、強度、飛行特性など全項目を証明し「航空局型式認定を取得」[4]国内航空機メーカーとして販売。[5]
2004年(平成16年)大手工作機械メーカーと共同で、陸送限界サイズの部品を加工する超大型工作機械を開発。「3.7m×7.2m部品のナノテクノロジー切削に成功」液晶テレビの大型低価格化に大きく貢献。2006年 「大型旅客機部品の製造」を開始。[6][7][8]
2016年(平成28年)9月17日 NHK「超絶 凄ワザ!」距離競技で、高性能紙飛行機を開発し、インメルマンターンに成功。2017年(平成29年)5月1日NHK「超絶 凄ワザ!」凄ワザ杯 紙飛行機王決定戦、マト抜き競技に出演、垂直旋回で優勝。
2017年(平成29年)5月1日「飛行機と工作の会」立上げ、模型航空教育復活を目指して、子供部屋やリビングでアクロバット飛行できる室内機「リビングルームプレーン」を開発。リビングルームプレーンを使って、小学校、高等学校、大学、科学施設など、幅広い場で模型航空教育を行っている。
2021年(令和3年)10月、茨城県筑西市に新設された科博廣澤新航空博物館にて、人力飛行機ストークの大修復を行う。[9]
著書
[編集]輝ける讃岐人3 鳥になった男たち「幸吉の飛行を科学的に考える」(公益財団法人山陽放送学術文化・スポーツ振興財団発行、吉備人出版、2023年)
栄典
[編集]出典
[編集]- Don Dwiggins 「MAN-POWERED AIRCRAFT」(TAB BOOKS、1979年)
- 福本和也「人力飛行機」(光文社、1985年)
- おおえとしこ「ガンピの翼ストーク」(文芸社、2021年)ISBN 978-4-286-22911-9
- 石山修武「現代の職人」(晶文社、1991年)ISBN 4794960557
外部リンク
[編集]- 日本大学理工学部 模型紙飛行機の空力特性の測定
- 石井潤治と飛行機を飛ばそう飛行機ショップAO02
- 飛行機教室(3月20日開催)|サイピア人と科学の未来館
- 笠岡地区まちづくり通信 第104号 2020 年 令和2年 11月発行
- 長尾にある真備の児童クラブで工作教室
- ^ 石井潤治、若松秀信 (8~11 1975~1976). “超小型機入門(1)~(10)”. ラジコン技術 (電波実験社) 第15巻・第11号~第16巻・第9号: 142.
- ^ 片桐敏夫 (1977). “年誌・世界の翼・この1年”. 世界の翼’78: 177.
- ^ “テスト飛行上々~高度3メートル、軽快に最終審査残すだけ~”. 山陽新聞 (岡山市). (1986年5月8日)
- ^ 「手作り機で大空へ~マイクロライト機大阪航空局が認可~」『山陽新聞』1986年7月3日、夕刊。
- ^ “ウルトラライト・プレーン大空への夢かなえ”. 毎日新聞. (1988年9月11日)
- ^ 「山陽鉄工、倉敷に航空機部品工場、需要回復で受注増。」『日経経済新聞』2006年11月27日。
- ^ 「山陽鉄工は航空機部品工場を建設し事業を強化」『日経企業活動情報』2006年11月27日。
- ^ 「航空機産業、離陸の夢――岡山、2年で9億円受注、設備増強にも意欲」『日本経済新聞』2007年4月28日、朝刊。
- ^ 石井潤治 (2022年1月号~). “よみがえれ ストーク”. ラジコン技術 第62巻第1号・通巻836号~: 56.