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石井潤治

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
2021年10月ストーク修復完成後の石井潤治

石井 潤治(いしい じゅんじ、1954年〈昭和29年〉2月21日 - )は日本の航空機設計者。航空教育者。人力飛行機ストークの設計者。

来歴

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1954年(昭和29年)、岡山県倉敷市に出生。 1972年(昭和47年)、日本大学理工学部機械工学科航空宇宙工学コース入学、1976年同大学卒業。在学中は航空研究会ホームビルト斑に所属し、実機の設計・製作に没頭する。大学2年で木製ハンググライダー「HOBBY」を設計・製作し、飛行に成功。大学4年の時に、ラジコン模型航空機 Aka02(あかおに)が、2.5倍のエンジン付きパイロンレースで優勝機と同等のタイムを出し、ラジコン技術に連載記事を執筆。[1]1977年1月2日、卒業研究で設計製作した人力飛行機ストーク海上自衛隊下総基地で2093.9mを飛行し世界記録を樹立、[2]ストーク国立科学博物館に永久保存される。

1981年(昭和56年)6月、石川島播磨重工業(現IHI)入社、民間航空機用ターボファンエンジンRJ-500)の開発に従事。1982年、山陽鉄工株式会社(岡山県倉敷市)に入社。1987年、超軽量飛行機パフィン(40ps1人乗り)、その後レモン(64ps2人乗り)を設計製作し、自らテストパイロットとして飛行。[3]設計、製造、強度、飛行特性など全項目を証明し「航空局型式認定を取得」[4]国内航空機メーカーとして販売。[5]

2004年(平成16年)大手工作機械メーカーと共同で、陸送限界サイズの部品を加工する超大型工作機械を開発。「3.7m×7.2m部品のナノテクノロジー切削に成功」液晶テレビの大型低価格化に大きく貢献。2006年 「大型旅客機部品の製造」を開始。[6][7][8]

2016年(平成28年)9月17日 NHK「超絶 凄ワザ!」距離競技で、高性能紙飛行機を開発し、インメルマンターンに成功。2017年(平成29年)5月1日NHK「超絶 凄ワザ!」凄ワザ杯 紙飛行機王決定戦、マト抜き競技に出演、垂直旋回で優勝。

2017年(平成29年)5月1日「飛行機と工作の会」立上げ、模型航空教育復活を目指して、子供部屋やリビングでアクロバット飛行できる室内機「リビングルームプレーン」を開発。リビングルームプレーンを使って、小学校、高等学校、大学、科学施設など、幅広い場で模型航空教育を行っている。

2021年(令和3年)10月、茨城県筑西市に新設された科博廣澤新航空博物館にて、人力飛行機ストークの大修復を行う。[9]

著書

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輝ける讃岐人3 鳥になった男たち「幸吉の飛行を科学的に考える」(公益財団法人山陽放送学術文化・スポーツ振興財団発行、吉備人出版、2023年)

栄典

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出典

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  • Don Dwiggins 「MAN-POWERED AIRCRAFT」(TAB BOOKS、1979年)
  • 福本和也「人力飛行機」(光文社、1985年)
  • おおえとしこ「ガンピの翼ストーク」(文芸社2021年)ISBN 978-4-286-22911-9
  • 石山修武「現代の職人」(晶文社、1991年)ISBN 4794960557

外部リンク

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  1. ^ 石井潤治、若松秀信 (8~11 1975~1976). “超小型機入門(1)~(10)”. ラジコン技術 (電波実験社) 第15巻・第11号~第16巻・第9号: 142. 
  2. ^ 片桐敏夫 (1977). “年誌・世界の翼・この1年”. 世界の翼’78: 177. 
  3. ^ “テスト飛行上々~高度3メートル、軽快に最終審査残すだけ~”. 山陽新聞 (岡山市). (1986年5月8日) 
  4. ^ 「手作り機で大空へ~マイクロライト機大阪航空局が認可~」『山陽新聞』1986年7月3日、夕刊。
  5. ^ “ウルトラライト・プレーン大空への夢かなえ”. 毎日新聞. (1988年9月11日) 
  6. ^ 「山陽鉄工、倉敷に航空機部品工場、需要回復で受注増。」『日経経済新聞』2006年11月27日。
  7. ^ 「山陽鉄工は航空機部品工場を建設し事業を強化」『日経企業活動情報』2006年11月27日。
  8. ^ 「航空機産業、離陸の夢――岡山、2年で9億円受注、設備増強にも意欲」『日本経済新聞』2007年4月28日、朝刊。
  9. ^ 石井潤治 (2022年1月号~). “よみがえれ ストーク”. ラジコン技術 第62巻第1号・通巻836号~: 56.